肝油

 親戚の集まりがあり、それは普段ご無沙汰の面々も久しぶりに集まる会だった。 一番年若い者は引受けていた小学校のPTA会長を子供の卒業とともに降りた・・・ という辺りから、近頃の小学校について数多くの話題が広がっていった。

 今時の教師、保護者、生徒のおかれた立場については同情とも、嘆きとも 何ともやりきれない現状について尽きることなく話題が次々に飛び出してきて・・・ そんな時にその場の参会者が過ごして来た自分達の時代の思い出話しになった。
 先ずは今で言えば悪ガキだった自分を 夕暮れの門前で待ち構え、詰問する 母親の厳しかった姿を思い出し口にしたのは元PTA会長だった。

 「ガキ大将していたんだ」と白状した年長者には皆から「へぇ〜」と驚きの感嘆符 が挙った、と言うのも普段の穏やかな日常からはそれが想像できなかったからだ。

 その時 先生にきつく叱られた話し、「強い子になるようにと 皆が飲 む肝油、 その 口直しの飴玉を 全員から取り上げたのが見つかった時。」のことだと言う。
  昭和一ケタの子供達は液状の肝油を口をあけて流し込まれたそうだ、肝油は 不味いものヽ大将のようだったから・・・口直しが必要だったのだ。 それなのに 集めた飴玉を あとで手下どもに分け与えたとか。当然先生にはこっぴどく叱られたが、 飴玉をしゃぶらされた手下どもとはそんな事は仕舞って、今に至る固い付き合いを 続けているそうだ。

   昭和二ケタの小生の記憶では 学校で配られた肝油は六角形の粒がザラ目の砂糖に包まれていたような覚えがある。砂糖の甘さはしゃぶっているとすぐに溶けてしまい 、口に残った固形物は噛むと とてもいやな味だった。
 第二次大戦後の食糧不足で学校給食が始まった頃の話しだが、脱脂粉乳の不味い味とともに忘れがたい思い出である。

 さらに20年ほど後輩の元PTA会長の頃になると  ゼリーのように甘い肝油は美味 しい 物になっていたらしい。

 子供の頃にさんざん親にも心配をかけながら表を駆け 回り、 子供の世界の社会 生活で揉まれてきた悪ガキの生き様と、科学進歩や 経済発展で環境は 大いに 変ったけれど、コンピュータに囲まれて家の中に閉じこ もり ゲームの世界に 浸る 現在の子供達を較べて・・・

  昔から「良薬口に苦し」 と言われたが、今ではなんでも楽になり、美味しくなって 挙句の果てには肥満が世代を問わずに社会問題化する。
 「健全なる精神は、健康なる身体に宿る」・・・と 言い聞かせられ、アァ〜ンと口を あけた子供達の時代を 懐かしむのは小生だけだろうか。

(2007)

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