柿の種
彼は新潟県の出身で、年の頃なら小生とそれほどの違いは無かったと思う。
小生は社会人になって間もない頃、会社で個人のお客さん相手の仕事をしていた。ある日デスクの電話を取り上げると相手は話をこう切り出した。「自分は東京駅近くの理容店で働いているけれど、そのうちに店を持ちたいので開業資金をためるのに良い方法を教えてほしい・・・」というようなたどたどしい話の内容だった。
当社からはさほど遠くはなかったので早速その理容店に客となって行き、散髪をしてもらいながら電話をかけてきた彼の将来の夢を聞いてみる、計画の内容やとてもまじめそうな彼には堅実な方法を強調して、毎月積み立てが出来る利回りの高い堅い商品を薦めておいた。当時は七三(しちさん)にわけていた小生の髪はふた月に三回ほどの散髪ペースだったけれど、店構えも大きく高級で当時としては高額な料金の店だったが彼の丁寧な仕事振りが気に入ってしばらくは彼の世話になった通った。
転勤は勤め人には付き物、その後2年ほど地方へ行って東京を離れていた間に彼からは前の店からさほど離れていない場所に店を構えたと連絡があり、再び東京勤務に戻ってからはその新しい店での散髪が復活した。
小さなビルの地下の小さな店には椅子が三脚並んではいたが彼一人きりの営業で、相変わらずの丁寧な手順での仕事振りやまじめさが客の間に伝わって段々と客足を増やしていた。そうこうするうち結婚するんですという話があって、働き者の嫁さんを迎えて店は二人での営業になり、また子供が出来たとお目出度も重なった。
年末にはいつも郷里の名産ですからと四角い大きな缶に入った「柿の種」を用意していた。
我が家にも子供が出来て初めて髪にハサミを入れてもらったのはその店で、嫁さんのハサミだった。
その店にはまた地方勤務になってからは散髪に行くことは出来なくなったが、時折の上京時には店を覗いては元気な姿を見て安心していたものである。二人で黙々と精を出す相変わらずの小さな店で見る彼の頭も段々と薄くなり、お互いの子供たちの成長の有様を伝え合ったものだ。
長い空白の期間があってある日久しぶりに昔の理容店を訪ねてみた、周りのビルが次々に建て替えられる中で頑固に残っていた小さなそのビル、その日は遠目になぜか寂しげに見えたが、近くに行くとクルクル回る床屋さんの回転サインが取り外されて地下の理容店も閉店になっていた。やはりビルの建て替え計画が持ち上がったのかも知れない・・・彼は同じ年頃だったから、もうハッピー・リタイアをしたのだろうと思うことにした。
長い地方勤務を終えて生まれ育った東京に戻り、定着したいまでは散髪をしてくれるのは小学校の級友で、親父から引き継いだ神社の前の理容店の椅子に座り、昔話や世間話をしながらの幼馴染との時間である。
家では晩酌のとりあえずのツマミに「柿の種とピーナツ」の小さな袋を開ける、不思議とよく合うこの組み合わせからとても香ばしい香りが流れてくる。人気のスナックなのか時折カミさんはスーパーの棚が売り切れで空になっていると言っていた。
子供の頃から唐辛子でチョッピリ辛味の利いた小さな粒は、香ばしくて馴染みのある「おやつ」だった。
いま晩酌時に切る柿の種とピーナツの包装袋に印刷されたメーカー名、遠い昔に新潟出身のぼくとつな職人店主の理容店が歳暮にした四角い印刷缶に記されていたのと同じメーカー名が読める。
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(2010)
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