カキ

 いよいよ学生さん達は学年末の春休みに入った様である。
春休みには上級への期待や不安、また春には社会人となる最後の春休みと言う チョッピリ複雑な気持ちの休みを過ごしている学生さん達もいるはずである。
 近頃の学期末の旅行や、卒業記念旅行はその主流が海外体験旅行にとって 代わられてから久しい。
それでなくても国内の観光地はモロモロの環境変化の影響を受けている。
この話しはそのようなことが少しも考えられなかった大昔の話しだ。

   学生だった頃。春休みになると半月ほどの旅行に出かけた。
冬景色の中を出発すると帰宅する頃には庭の木々の花芽が大きく膨らんでいた、季節が大きく移り変わる頃である。


 ある年は 東京発東京行きの周遊切符を一枚持って親友と二人『夜汽車』の 乗客 となった。
  上野駅は夜汽車の出発にふさわしい。旅は各駅停車を乗り継いでの本州一周で ある。北はまだ冬景色の青森、日本海に沿って西は下関、折り返して山陽路から 南はその頃やっと開通したばかりの紀勢本線で菜の花の咲く潮の岬まで。
たしか、乗車賃は学割で2,000円に満たなかったと記憶している。

 広島では安芸の宮島に泊まった。宮島口駅の観光案内所で紹介された安宿である。 さて夕食になると ご当地名産のカキが食卓に載っていた、小鉢には酢カキである。
「今ごろのカキフライは、大丈夫だっしゃろか?」と突然、隣から関西なまりの声が かかった。 何しろ部屋は襖で仕切っただけの安宿だから隣室とは欄間がいけいけで 声などは 筒抜けだったのである。カキの食べ頃 R の月も終わりに近づいて心配して のこと だったのだろうか。だが、こっちはもっと危ないナマ物だった。

 その頃の物価で言えば隣室の関西の学生さん達に較べて 我々は泊まり賃を50円 ほど多く払っていた様った。

  カキといえばこんな古い話しを思い出すのだが、それから年を経て  最近カキの 季節の始りに ヨーロッパ旅行の途次パリに立寄った。カキにあたると怖いと言う話も 聞いているし、旅行中にもしも あたっても・・・などといらぬ考えが頭をよぎったが 名物のその魅力には効しきれずについに注文してしまった。
連れと向き合ったテーブルの上に運ばれた氷皿の上に並んだのは 殻をむかれて 乗っているカキ50個・・・
 他には 白ワインと小さなパンしかない食卓の上でチョットした「たれ」を浸けたり、 レモンを絞ったりして 口に運ぶ、冷たく淡白で爽やかなカキのやまを平らげるのに それ程の時間は かからなかった。

 今度聞こえてきたのは 「メルシー」という ウエイターの声だったのである。

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