自噴水

 芭蕉翁の足跡を巡る「新・おくの細道」も予定した最終日前日は残念な雨の一日になってしまった。
時には豪雨といえるほどの大きな雨粒が車のフロントガラスで大きな音をたてヽいた。
芭蕉翁も敦賀から結びの地である大垣までの道中については「奥の細道」で一行にも満たない記述しか割かず、馬に揺られながら脳裏にはこの長旅道中についてや、去りし人々への惜別など思いの数々が巡っていたのではないだろうか。

 大垣に着けば門人、弟子たち、とくに山中温泉で別れた弟子の曾良も元気になって出迎えて、蘇生のものに合うがごとく、かつ悦び、かついたはる。・・・と著している。
 小生の敦賀発ちの祝雨は一日続き、難所の柳ケ瀬峠の急峻は雲の中で山道を行く馬上の翁の姿を彷彿することは出来なかったが、わが往く道は明治17年に完成した旧国鉄の鉄道トンネル(1352m)を利用した自動車専用道路で信号機による一方通行になっている。
トンネルを抜けると近江、滋賀の里の風景が次第に開けてくる、姉川を渡り、国友など戦国の歴史に名をとどめる集落を通り過ぎると雲間に時折円い山容を覗かせるのが伊吹山、南斜面の不破の関、関が原は濃霧に覆われていた。
 










柳ケ瀬トンネル  

 「奥の細道・結びの地」は水都らしく川を挟んだ園地になっている。一角に翁ゆかりの施設の数々がある。
小生は翁達と同順路で訪れるのを今回の旅のコンセプトにしてきたのでそれに従って27番目のカードを頂く。と言うのは2009年は「奥の細道」紀行から数えて320年にあたり通過経路の自治体28市町村が主催するカードラリーが催されていたのである。この大粒の雨模様ではスケッチもままならず芭蕉翁出身の伊賀上野市へ車を進めた。

   伊賀と言えば忍者が思い浮かぶほどの地域、それだからか芭蕉翁にも忍者説がある。翌日は雨上がり、気持ち良い午前の陽を浴びながら翁の生家、蓑虫庵、上野城址、俳聖殿などの史跡を訪ねて一つの思いを遂げた日に、40数年ぶりに訪ねた昔とは違った感慨で眺めたものだ。
ここで28番目のカードを頂戴してルートは完了・・・あとは再び大垣市で認定を受ければラリー完成だ。
 昨日一度訪れた大垣市観光ボランティアセンターに着いたのは昼下がり、28枚のカードに認定のスタンプを貰う、小生のアンケートの住所を見た担当の女性が「息子が同じ町に住んでいるわ」と言う、急に身近になった話ではその 番地は我が家から数百mの近さ・・・ちょっとしたご縁、それからの 時間は旅の思い出話などが一段と弾んだことはご想像いただけるだろう。

 雨で出来なかったこの町のスケッチは快晴の最終日の午後しっかりと楽しめた。結びの地の園地に隙間のないほど並んだ句碑もさることながら、チョッとはなれた小さな寺院の奥まった庭にある句碑や記念碑も街中に散在するので車は走り回ることになる、整備された大垣駅前の広場にも「奥の細道結びの地」の大看板が立っている、駅前で名物の竹筒の「柿羊羹」を旅の最後 の家へのみやげに買い求める。
 

            句碑を訪ねての最後は八幡神社、神社の前庭に小さな洒落た句碑を見つけることが出来た。
 それにもまして大きく目立つのは鳥居脇の東屋内で滾々と湧き出している井戸、見ると中年のご夫婦が大きなポリタンクに何本も詰め込んでいる 「とても美味しい水だから・・・」と 手を休めることなく作業を続けていた。

 さすがに水都と云われるだけのことはある、そして井戸は八幡様のまさに境内・・・「ありがたい清水を戴くために」車中 の水筒に使っていたペットボトルに125mの地の底からの湧き出した自噴水の清水を満たしたものだ。
夕方近く、400km先の我が家へ向けて旅の最後となる行程に走り出した、もちろん道中の渋滞、混雑や疲労を休め、癒してくれたのはペットボトルの清水であった。
 かくて、全行程 5300kmの「新・おくの細道}の旅から無事帰着した。

 

 
八幡神社の自噴水

<後日談> 奥の細道紀行320年カードラリーでは5枚以上のカードを集めた認定者には認定証と抽選による賞品を、また全28枚カードを集めると特別賞が 実行委員会から贈呈されることになっていた。
  先日小生にも大垣市から賞品が宅配便で届いた、それは<大垣市の枡屋さん製の電気スタンド>だった。枡の材と伝統の技術の民芸品だ、すがすがしい木の香が好ましく、来春の個展「新・おくの細道」特集会場に展示させて頂こうと思う。
 ちなみに、2009年 5/16〜10/18のイベント期間の特別賞認定者は88名、5枚以上認定者は457名だったとのこと・・・

  芭蕉翁も句を詠んで   <枡買うて 分別かはる 月見かな>   さぞや月見酒は旨かったろう。

(2010)
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