ジェラート

 絵の仲間と三人の旅、ワールドカップと重なるこの時期ではあったけれど、イタリア 中部を訪ねた。
概ねの骨組みは往復航空券、ホテル、鉄道パスで国内で予約、日帰り旅行で 訪問する小さな町へ の日程は現地で自由に決めようという算段だった。

  梅雨入り真直の出発だったが到着したミラノから 各地を回りローマから帰国するまで、 イタリアの 空には薄雲が流れる日はあっても真夏の太陽が照り付ける毎日ですっかり日焼けしてしまった。
この季節は旅行に絶好の季節なものだから観光客も一杯で、各国からのツアー客はそれぞれ 忙し そうに詰め込みで観光していたし、個人旅行客も老若それぞれの計画で楽しそうに旅していた。
 ミラノ近くのベルガモの町を訪ねた折には神奈川県から来られた日本人老夫婦とケーブルカー の中で偶然巡りあった。
 「ミラノのホテルに16日間連泊して、近くの小さな町々を訪ねるのだ」と楽しそうに語っておられた。

 地元料理を食べさせるヴェネチアのレストラン、この店は大変人気があり 店の外までの行列に なる
ほどだったが、席を占めた狭い店内の 続きのテーブルにはドイツ人カップルが隣り合った。
どの皿も中身の多いイタリアのメニュー、 お腹のキャパシティーが小さい我々は幾品か皿を並べてシェアしている。その中の「イカ墨スパゲッ ティー」を隣のその男性が珍しそうに眺めていたので、「試してみたら」と皿を勧めると、黒いスパゲティーを珍し そうに口に運んで味わっていた。キャリア・ウーマンとクロス・カントリー・スキー教師のカップル だったが 「彼はワタシより若いの!」と言いながら二人はとても楽しそうだった。

   フィレンツェで我々は久し振りに和食の夕食に舌鼓をうち ご機嫌でホテルに帰り、バーに寄ってバーボン・ウイスキーのグラスを注文した。
 先客で隣テーブルに座っていた老夫婦が見つめている、声を掛けるとサンフランシスコから来た、揃って82歳だと言った。
たいそうフレスコ画が気に 入っていると見えてフレスコ画について質問を受けたが 専門外のこととて詳しく説明することは出来な かったが、小生が水彩画を描いているというとフレスコ画を見て勉強になるのかなどと聞く・・・、 あれやこれやの雑談は夜更けまで続いたが、聞けばもともとご主人はローマ、奥さんはフィレンツェの出身で結婚後に南米のどこかへ行き、そのあとサンフランシスコに移り住んだと言う、建築業をしていたと言っていった。

  翌日バーテンから聞いた話では最近では10年ほど毎年帰郷してくると言っていた。見掛けは歳より
はるかに若く見えるお二人だったが「まだワタシは誕生日前だから、81歳なの」と茶目っ気のある目で
ご主人の顔を見やり、幸せな人生だったねと聞くと 「とっても、素晴らしかった」と奥さんは力を込め て
言っていたのが印象的だった。

 旅行期間中に最高気温は連日上ってローマに着いた頃には午後の陽射しは真夏そのものだった。
ある日の夕食レストランの隣テーブルは若い娘さんと両親だった、例によってシェアしながら皿をつつく 我々の食卓が気になったのか、或いは良く酒を飲む我々の行動に興味があったのかもしれない、声を掛ると両親はイタリア語しか通じなかったが二十歳くらいの娘さんは英語とイタリア語の通訳 は 巧みだった、ローマへはミラノから三日ほどの観光旅行に来たのだという。
  「娘さんにはもうお相手が居るのか?」というような話をしているとき、その答えには曖昧だったけれど、
母親は 「24歳までには結婚させたいと思っている」と語っていた。一足早く席を立つ家族はわざわざ
我々 一人一人の席を回り別れの挨拶と握手をしてから店を去って行った、が、あとから思えば折角だから イタリア式のチーク to チークの挨拶をするべきだったのではなかったか・・・などと残念に思った。

 われわれ三人のうちの一番の呑ん兵はM君だが、毎日の暑さのせいか一気にイタリア名物の甘い
ジェラート好きに なってしまった。
  大抵は10種類近く、品数の多い店なら20種類くらいの中から好みのジェラートを選ぶ L, M, S、
サイズ の違いはLは3種類、Mは2種類、Sは1種類のジェラートが山盛り載せられる。とてもサッパリとして 美味 しいが コーンの上にはみ出して盛り付けられたジェラートを 溶けて滴り落ちる前に嘗め尽くす のは一寸した 特技かな などと言いながら街角でカップに盛られたMを舐めたのだが、M君はすっかり 病み付きになった コーンに乗せた Lを堂々とトレヴィの泉の前でもイタリア風に味わっていたのである。

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