さつまいも 戦争が終わりに近づく頃になると 首都圏方面(その頃は帝都と言った)の空襲に
向うB29爆撃機は昼日中でも堂々と四角い編隊で白い飛行機雲を後ろに長く引き、
甲府盆地の上空で旋回して東に向って行くのが見上げられるようになった。 もともと東京の恵比寿にあった父親の会社は戦火を避けて八王子に移転し、更に戦火に
追われて山梨県の甲府に工場を移していた。
家から遠く東の山の斜面に見える中央本線も停電のためだろうか、列車が立ち往生
する姿もしばしば見えるのだった。 ますます物不足はひどくなって配給所に「豆かす」が積み上げられるところも見た、 大豆から油を絞り摂った{かす}だという事だったが、さすがに食卓に上ることは無 かったようである。もっぱら多くなったのは「すいとん」や「さつまいも」であるが、 さつまいもにも種類が多くて実が白いのや、黄色い「金時」などは最上級だが、 白くてふかすとベチャ〜と水っぽい 「農林・・・何号」のときは何とも憂鬱だった。
田植えを終えて暫らく経った頃の夜、只ならぬ様子でたたき起こされた。 翌朝、少し茎を伸ばした稲が整然と並ぶ田んぼには、甲府の東に離れた奥野田
村西広門田(かわだ・
今は甲州市にある)でさえ昨夜の空襲の灰、黒い燃えカスが
一杯に浮いていた、
甲府空襲は昭和20(1945)年7月6日の夜の事だったと言う。 そして、あの日は朝からの快晴で父親は母家の人達と力を合わせて庭の防空壕
堀りだった、
上空には珍しく朝から日の丸らしい戦闘機が飛んでいた。
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