井戸水

 近頃は都会地の井戸など なかなか見つけるのは難しいかもしれないが、豆腐屋さんや魚屋さんなどでは今でも重宝しているかもしれない。
「つるべ打ち」とか「つるべ落とし」などの言葉は使っても、最近では肝心の「つるべ」はついぞ小生も お目にかかったことがない。

 時代劇などに登場する江戸下町のおカミさん達の井戸端会議は井戸の木枠を覆って屋根が作られている。もっとも江戸下町の井戸は玉川、神田川などから引いた上水を汲み上げるものだったので  「掘りぬき井戸」とは違っていたようだけれど、いずれにしても地中から水を汲み上げるには 「つるべ」を使う、井戸の中に竹竿やロープに結びつけた桶(つるべ)を下ろして水を汲み上げる。
 水が欲しければ桶を井戸の中に投げ入れる、滑車が「カラカラッ」と鳴って井戸の中で「バシャン!」と水音が聞える、ロープを使うなら屋根にぶら下げた滑車が役立ち、桶を引き上げるのはロープを引き降ろせば良くて楽だが、竹竿の先の水桶を地上に持ち上げるのには少し力が必要だ。

 こんな風景が近所であった訳ではないけれど小さい頃に疎開地や昔の旅行などで見た覚えがある。
我が家の庭の井戸はモーターポンプ、停電時用にと思って今も手押しポンプも大切にしている。
以前は近所の家々にも井戸が散在してはいたが、近頃は家の建て直しのおり次々に埋められている様である。埋めるときはやはりお宮の神主さんが来てお払いをしてからだ。


昭和30年代初め頃


 

 

 


 

 

 戦時中は家々の前にはコンクリート製の「防火用水」が備えられてた。戦火に備え、バケツリレーで消火に役立てようと言う目論みだった、江戸の頃からの東京の備えであるが役立ったのだろうか。
 我が家では戦後 庭の井戸から表通りの防火用水桶に水を送るための土管を地中に埋めた、父親のアイデアだが 砂利道だった当時の表通りに暑い夏には土埃よけも兼ねて散水する、庭の井戸端から何度もバケツを両手に提げて行くのはしんどい・・・
 そこで水撒きは通りの用水桶から水をすくえば楽だろうという素晴らしいアイデアだった。

 夕方 表の通りにバケツの水を何十杯も撒く作業は画期的に楽になった、ただし この連続作業は押し井戸ポンプを上下し続けて用水桶に水を送る役目が必要で、バケツで散水している当時の自分 の姿は思い起こせるのだけれど・・・誰が手押しポンプ係を引き受けてくれていたのか今では定かに思い起こすことが出来ない・・・母親のことが多かったような気もするが・・・?
 もちろん井戸水は暑い夏でも冷たい スイカやトマトなどを冷やしてくれたし、年末の障子張替えでは 暖かい井戸水が障子洗いを楽にさせた。
やがて表通りはアスファルト舗装され土埃も立たなくなり、下水道も完備されてコンクリートの用水桶は道端から姿を消した。

 この辺りは多摩川水系の質の良い水道水が生活用水で 井戸水は庭の散水が一番の役割が、日照りが続く盛夏の夕方の庭で モーターポンプの力で吹き上げるスプリンクラーの勢いは涼感を増す。
表通りにも舗装路だけれどホースを伸ばして散水する、打ち水効果が歩く方々に少しの涼を届けられれば良いと思う。
 水質は保健所で検査してあるが 非常時用には役立つだろう、その時は無いのが良いが手押し ポンプも時折動かして確かめてはいる。

(2008)

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