花見酒
 
   咲き誇る桜を愛でながらの一杯は、日本人であることの幸せを感じるひと時 、桜には爽やかな朝日の光が良く似合う、ちょうどレンギョウの黄色い花も盛りで、それに下草の緑があり青空の風景なら・・・これはもう最高な舞台装置である。
  そのような時間なら、さすがに花見酒を飲んでいる人などにお目にかかることはないが、盛り上がった昨晩の大酒宴の残り物を狙いカラスたちが代って宴会を している
だろう。

 そんなカラス達を追い散らすように、ブルーシートや紐などを持参して今夜の 花見宴のために場所取りをしているのが若い者たち、やはりよい場所から早く 陣取りされてゆくが、それから開宴の時間まではとても長く感じると思う。
若者がそうならば年に一度の花見を人生の糧にしている おじさんやおばさん だっていて、今夜の宴に備えてせっせと料理の用意に余念がないのである。
休日はともかく勤め人ならどうしても夜桜見物になってしまうのは仕方がない。

 子供心に花見はだらしのない酔っ払いの姿と喧嘩が名物と思っていたのだが、 世相が変ったのか 皆がおとなしくなったのか近頃はずっとスマートになって いるようである。
 筆者の育った地域では多摩川の辺りが一番の桜の名所だったが、花の盛りは 日中でも飲み潰れて道端に青い顔で転がっているおじさんが必ずいたものだ。
物がない時代だったから、日中から大っぴらに飲むことができる会社の慰安会や 仲間内の宴でメートルを上げ過ぎたのだろう、酒の質そのものもが良くなかった のかも知れない。

 昔も桜の下の歌声が沢山聞こえ 三味線や太鼓、手拍子で賑やかだったが、 今はカラオケ装置を揃えて、ほんのり赤い顔のお嬢さんが皆に押されてマイクを とり、テンポの速い曲をプロもどきの身振り手振りをつけて歌っている、時代の 移ろいに騒がしさの種類も変ってきたようである。

 近頃では桜の枝を折るような不届き者もいないし、みな普段の飲み食いに満ち 足りているからだろう。この時とばかりのご乱行が少ないのは良いことだと思う、 小さな子供達を囲んでファミリーたちが夫々に持ち寄った料理をつつきながら 楽しげに集っている幸せな光景が多く目に付く、これは平和なパーティーである。

 だがすでに おじさんである筆者 今年も公園の桜、遊歩道の長い桜並木、 個人のお宅の名木などの花見をしながら家の近くを散歩して 染井吉野、しだれ 桜、 山桜などの見事な姿を満喫したが、やはり樹下の休憩には左手に何か飲み 物がとても良く似合うという 切なる気持ちは隠しきれなかった。

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