かも南蛮、蒸し鶏のフォー、伸びるアイスクリーム 昔の会社仲間達九人のグループ展は秋の銀座で13回目を終えた。メンバーは激烈な高度成長時代の会社で活躍したサムライ達である、この会社では全社員を社友と呼 んでいる。 銀座の展覧会場もいろいろな事情で転じて今のは三か所目になった 。まずこのグループ展を定着させてくれた恩人の画廊主の他界で最初の会場は終わった、次の会場は広くて設備が立派、贅沢なほど適当 だった会場だったのだが、世界的金融経済の荒波が世界中を覆う中で突然閉廊してしまった・・・理由は金価格高騰で貴金属店の家主の本業の地金取引が多忙になったためだ。
その建物の裏側は高架の高速道路であり、水面に映っていた「君の名は」の数寄屋橋は消え去って、代わりの橋は高速道路の高架橋になった、それは日本初の高速道路であ る。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」や「西銀座駅前」などにも唄われ…江戸城外堀の黒いドブ水になびく銀座のヤナギ、飛び交うツバメ、朝日新聞社々屋そして日劇の弧を描く外壁からの様変わりだった。 九人の社友たちはそのような風景に始まる時代を走り抜けた、時には仕事を終えて西銀座の赤い提灯、のれんを潜って日中のうっ憤を晴らした日も多かったかも知れない。
グループ展は新しい会場でも回を重ねた、会期の昼食には近所の蕎麦屋さんへ行く…前年の来展者が教えてくれた名店で、焙ったカモ肉と長ネギが香ばしい「かも南蛮」がすこぶる美味い、今年も第一日は相変わらずの注文をして楽しんだ、
・・・と見ると、壁の張り紙に「かき南蛮」とある…季節でもあり二日目にはそれを注文、小ぶりながらプリプリと太ったカキの味が口中に広がった。
夕食は高速道路下の、その地下にアジア料理街を見つけた、昔なら外堀の水面下だろうか。中華や焼肉辺りまでなら
アジア料理の知識はあっても、タイ、マレーシア、ヴェトナム料理になると・・・?
展覧会の最終日前夜の夕食にはトルコ料理店にマタマタ飛び込んだ、高速道路の下ながら
店は一階だから昔なら川岸道路から入る気分か。世界三大料理のひとつとは聞いていたけれど、トルコ旅行は未体験、これまで専門店に入ったこともなかったので、注文は・・・?と心配だった。
半世紀以上を経たいま、在社の社友たちの働く環境が大きく変わっ
ているのは当然だが、昔の様な夜な夜な紅灯の巷を歩き回るようなことはないらしい、仕事の舞台も世界に本格的に拡がって、社員の相当部分を外国人が占めるようになったらしい。景気の浮沈の中でも、これまで休むことなく発行され続けてきた社内誌「社友」
は、少し前からその半分の頁が英語版となり小生の手元にも届く。 (2010)
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