駅前ラーメン
山を下りて大糸北線へ乗り継ぎ、庇かと思えるほどに崖 の迫ったその下を姫川 沿いに糸魚川まで気動車は走る、糸魚川駅では当時まだ蒸気機関車が客車を 牽く北陸本線の各停に乗り換え程なくの「親不知」駅に降り立った。 親不知駅の周辺には何もなく、駅前の国道が海岸沿いに通じている
だけの寂しい光景だった。
駅前バス停の時刻表には一日何本も走らない定期バス、最終便にはまだ相当
間がある事を確かめ、目的の親不知の難所に向って国道を歩き始めたのである。 親不知の難所の辺りにやっとたどり着き、小説にも厳しいと描かれた景色を眺め、
やがて予定の最終バスも来る頃だと思っていると、砂煙を巻き上げながら山蔭を周って定期バスが追い迫って来た。 この心細さよ・・・
だが、そう悪いことばかりではない、やっと北陸本線の「市振」駅にたどり着く。
親不知駅と次の市振駅のあいだに鉄道はいくつものトンネルを通り抜ける、ここの海岸
には大きな砂利の浜があり、老松も見事な枝を大きく延ばす鄙びた海岸だった。 しかし、考えてみると昨夜からのこの一日、何を食べていたのか腹が減ってたまらない、
次の列車時刻まではだいぶ間がある、親切な駅員さんは「なにもない所」だがと駅近くの
ラーメン屋さんを教えてくれた。駅を出た先の街道を左に曲がったところにあるその店は、
寂しい集落にたった一軒の食堂で看板さえ出ていなかったかも知れない。 さて駅舎に戻り、次の列車までの長い待ち時間も過ぎ やって来た各停列車には先程の食堂のオバサンも 乗客、となりの魚津まで行くという、隣席を勧められ土地の話やいろいろな世間話を 聞かせて貰っているうちにすぐに魚津駅到着、既に日も落ち明かりの点いたホームへ降りていった。 全くガラガラとなった車内、暗くなった鉄路を淡々と走る列車から窓外をぼんやりと 見ながらも、今夜の宿 富山のホテルの風呂が ただ恋しかった。
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