ドライ・フーズ

 子供のころ台湾の乾燥バナナを口にすることがあって、その噛み応え、香りがその後もずっと記憶に残っていた。戦後の不自由な食糧事情の折などは乾燥物はおろか生のバナナですら夢のまた夢だったけれど、その後輸入が解禁されて店先に沢山並ぶようになると、どんどんと値段が下がってきて「リンゴとバナナの競争」時代がやって来た。知る限りではバナナはフィリッピンやエクアドル、台湾など世界中からやって来ていろいろな形、香りを楽しめはした。その後のリンゴもより大きく、香りも高い品種が開発され、普及して果物屋さんの店先ではバナナと共存している。
 
何時でも安く、美味しい生が手に入り、味わえるようになったから保存物の乾燥バナナなどには子供時代のようなノスタルジックな魅力を感じる理由は無くなった。

 我が家の飼い猫「ルイ」がそこかしこに数々の思い出を残して彼岸へ渡ってしまってから、ポカッと空いてしまった想い出にも整理を付けようと思った。永年使ってきた給餌皿は 丈夫な重い陶器製で、初めてローマを観光した折に街のペット屋さんで見つけた、絵柄は黒トラの親子ネコの図が印刷してある、手元が狂って何度か取り落としたこともあったが今まで傷一つなく使い続けたものだった。
 初めに餌皿に用意したプラスティックの皿にはその代りに給水の役割が与えられた。

 ところが何時の間にやらルイは小生の絵描き道具である筆洗の水が美味いと発見したらしい、もちろん絵描きに使用中の絵の具で汚れた水ではないけれど・・・
 と言う訳で陶器製の大きく重たい筆洗が彩色作業中は小生用の筆洗に、それ以外は綺麗に洗ってルイの絶好の水飲み場として、休む間もなくネコと人間のために役立つことになった。
時折ルイは絵描きの最中の画室にやって来て水場を返せとばかりにジェスチャーすらした、プラスティック皿では美味しい水ではなかったのかも知れない。
 

 ネコは腎臓病になりやすいと言われ、一度は獣医師に疑いを宣告されたこともあったが、処方された薬は嫌って飲まず、その頃からのこの筆洗の共用状態が見事に病の疑いを払しょくし、大いに水を飲み、かつ大いにトイレ砂を消費して健康を保っていたようだった。

 ペット屋さんで缶詰糧食はひと月単位量を、ドライ・フーズは大袋で購入することにしていた。猫は気まぐれで食事にも好みがうるさいとよく言われるが、ともに過ごした18年間、初めのうちはいろいろ試してみていたが、そのうちウエットは魚肉の缶詰、そしてビタミン等の補給目的でドライフーズを・・・この二種類のみで一生を過ごし、おやつの牛乳、オカカ、そしてとびきりの好みと云えば、パンの小さな一つまみ、コーヒー用クリームの小さな器に残った クリームのひと舐めだった。
 いつもは家人の膝に載って丸く寝そべるような猫ではなかったが、昼食後の珈琲の香りがし始めると膝の上にやって来て座り、小さなクリームの器を鼻先に出されるのを待つと決めたのもルイ自身の発案だった。

 主をなくした器たちはきれいに洗い 押し入れに大切に収めた…さて中身についてだが、毎朝のウオーキング・コースであるオリンピック公園で猫たちに餌をやる「ネコおじさん」が頭に浮かんだ、以前にもルイの好みに合わなかったドライ・フーズがあり、持って行き使ってもらったことがあったのだ。
 このネコおじさんは獣医さんと協力して野良猫たちの産児制限もやっていると話していた、事情を云ってルイの食料は今回も使ってもらうことにし、我が家 にあった残りの全てをある朝手渡した、沢山の野良猫に給餌しながら、おじさんは助かります…と喜んでくれた。

 その折に片目の猫について尋ねると、怪我で化膿しかけたので獣医さんで手術してもらったのだと話してくれた。自由な野良猫たちは人にはなかなか馴染まないが、中に親しげに近寄ってくる一匹がいた、最近登場した新顔との事で可愛らしい よ・・・とおじさんは云う、一方では「あの黒猫はどうしてもつかまらない」・・・などと、連中はなかなか個性豊かなようだ。
 猫たちは時計を持っているように毎朝同じ場所で背を丸めて「ネコおじさん」を待ちわびる・・・そんなネコたちに使ってもらうのは7歳以上の成猫用ドライ・フーズ、ルイが袋の中にまで頭を突っ込み香りを楽しんだ好みの品だった。

 18歳1か月使い続けたトイレに流せる紙砂、それはルイの健康管理にも欠かせない大切なチェッカーだったが、最後に残った幾何かの紙砂は近ごろ仔猫を飼い始めた愛猫家で使ってもらうことにした。

(2012)
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