どぶろく

 最近の晩酌は「ドライ・マティーニ」である。何故そうなったかは以前ご披露したことがある。
それはさておき、それ以前は日本酒であることが多かったのだが、いま何故ドライ・マティーニかと 言うと、日本酒は美味しすぎるので過ごしてしまうことが多く、また肴の味をよく引き立てヽくれる ものだから・・・「もうチョッと飲もうか」となってしまう。
自身それほど大酒飲みであると思っていないけれど、一応定量と決めている量についつい足して しまうのが良くない。
  その点 ドライ・マティーニはアルコール度の強いジンがベースなので きちんと量を計ってつくり 晩酌にするので、もうあと少しということになりにくいのである。
美味くないというのではない、アル中になってはいけないという自分への脅しのつもりなのだ。

 昔を思い出せば、親父もさほど酒が強くは無かったが、夕食のチャブ台の向うで美味しそうに 徳利を傾けていた。
疎開先の山梨では母家のおじいさんは赤ら顔だったが、あれは酒やけだったのかも知れない・・・ いやいや、養蚕に畑に田んぼにとよく働いてきた勲章だったのだろう。
  戦争中だったから酒の入手にもきっと苦労があったのかもしれぬ、それでも何かというとブドー酒で大人たちは盛り上がっていた。(山梨・甲府盆地はその頃既にブドー産地だった)

 ある冬の晩、おじいさんは白いどろりとした液体を飲んでいた、顔の赤みが増していたからお酒に 相違なかった。いつものようにおじいさんの膝にのり 堀コタツに足を入れたので、その白い液体を 入れた茶碗は目の前だった。「少し、舐めるずら?」と・・・それは酸っぱい様で、とても「もっと」とは いえない代物だったと記憶している。

 時を経て、金沢に住んでいた頃、紅葉の季節にドライブの途中 岐阜県白川村を通りかかった。
その日は村の八幡様の祭礼日、どぶろく祭りで有名である。何でもその筋の許可を受け、祭りのため に特別に造った「どぶろく」を参拝者にふるまうという。
 境内には村芝居の舞台も造られていたし、敷かれた筵の上で老若は既に盛り上がっていた。
神輿は家々を回り、庭先で勇壮な獅子舞が演じられていた。
北陸は祭りの宝庫である、調子のよい笛、鉦のリズムは忘れられない。
だがその日、残念ながら既に秋の日は西に傾いた上に、これから白山スーパー林道の険しい山道を
越えて帰らなければ ならない、賑やかな境内の光景、祭りの囃子に後ろ髪を引かれながら立ち去ら なければならなかった。 もう遠い昔の懐かしい話である。

 先日、この祭りをTVが報道していた。
このところ、腹立たしいことに飲酒運転による悲しい事故が多く、そのために運転者は「どぶろく」は 飲まず、持ち帰り用にとここではビニール袋が用意されていたらしい、何か とても哀しい話題だった。
  豊穣の秋に、神様と向かい合い、酒を中に語り合う・・・感謝の祭りも、車社会になった現代では 許されなくなったのである。
 遠方の観光客でなくとも、近在は一家に何台の車の時代なのだから。
 

(ちなみに、富山県は一家あたりの自動車保有台数全国一、石川県、岐阜県も上位。)

 運転者は思いやりを「他人にも」、そして何よりも「自分」に持ちたいものだ。

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