デパ地下コーヒー

 大学を卒業し社会人となった。入社した証券会社でひと通りの研修を受けて配属されたのは 投資相談部、それも 配置は銀座のデパートにあった営業所。戦後最大の熱狂的な証券ブームが 過ぎた後の事ではあったが、 未曾有の証券不況はそれから5年ほどの間、証券界は大変な 思いの日々を過ごさざるを得ない毎日が続いたのである。

 小さな営業所の店頭での仕事は個人の投資家をお相手する個人営業で、先ずは応対 方法は 先輩を横目で まねること、こまごました業務の知識はその都度 女性社員が教えてくれた。
  一番勉強になったのは訪れるお客様の話で、新人をお客様が仕込んでくれる良い時代だった。
デパートは日曜日も営業する、相場のないこの日も留守番が店に詰めてお客様の応対をした、 また定休の木曜日は母店の控え場所に出勤し 電話で営業をしたり、お客様宅の訪問日だった。

 入社3ヶ月の仮配属が過ぎると正社員、もう金庫の鍵を渡されて日曜日の店番が回ってきた。
金庫の ダイヤル番号も教えられたが、金庫の中には現金、株券や割引債など何百万円かあった。
その頃は証券投資の第一歩は百万円を貯めてからと云い 「百万両貯金箱」が顧客に配られて いた時代だ、まだヒヨッコの新人に・・・金庫を預ける、大らかで良い 時代だったのだろうか。

 会社は早くから 電子計算機(コンピューター) を導入してはいたけれど、やっと計算書や 帳簿を 印刷してくれる位、それも社内便で毎朝夕、営業所に送られてくるだけ、株式などの日常の取引 注文は専用の黒電話のかじりついて本店へ出す、結果も電話で伝えてくる悠長なものではあった。
株式相場は専用の短波放送、相場の記録は相場紙に手書き、バイトの学生は黒板の前を走って 相場の動きを来店客のために書いていた。

 営業所の女性達は実に優秀だった、何でもできる頼り甲斐のあるお姉さまたちに映った。
お客様の応対、必要な業務知識、そろばんを使う計算能力などなど、まるで字引のようだった。
一年ほどで母店の営業部へ転勤したけれど、この営業所で女性達から教わった 基礎知識は それからも、また会社の違った業務に替った後も小生の証券人生の根っ子になった。

 遡って入社後、営業所配置が云われる前に母店の営業部の130人にもなる大所帯、春の社員 旅行は箱根湯本だった。社員旅行などと云えば今は昔だが温泉場の大宴会場では男女が旅館 の浴衣を着てズラリ居並ぶ壮観である。チョット新人には近づき難い雰囲気の女性達が何人か居る のが気になった。むしろ女性達はとても怖そうに見えたと云うのが近かったかも知れない。

 いよいよ母店で初配置を言い渡された日の夕方、くだんの営業所に挨拶に向かった。 営業所はデパート地下 のコーヒー センターに隣接していた、流れてくる強いコーヒーの匂いが鼻をついた。
  コーヒーセンターは 大きなケトルからコーヒーをカップに注ぎ、客は立ち席テーブルで啜るもの。 喫茶店も多い時代だったけれど こうした手軽な立飲みも町中や駅などに沢山あった頃である。

 さて夕方、そろそろ店仕舞いの準備中の営業所 へ行きアッと我が目を疑った、そこには社員旅行で 近づき難い、怖そうに見えた・・・と感じた方々、女性全員がズラリといらっしゃったのである!

 

 コーヒーセンターは朝開店前からその日のコーヒーを仕込みはじめる、一日中コーヒーの香りと 隣り合わせの勤め場所だったが、今ではそのコーヒーの香り、一杯の値段など記憶に無いけれど、 小さな営業所での女性達から得た証券営業のイロハは我が証券人生の入口を造ってくれたのは 確かなようだ。

(2007)

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