デコポン

 我々の入学した年はちょうど大学創立満100年だった。記念行事も盛り沢山、大きな銀杏並木 の突き当たりの丘に新築された記念館には昭和天皇のご来臨を仰ぐ記念式典など全学を挙げ てのお祭りだった。
  三日間にわたった記念行事は大盛況、体育会各部のパレードもグラウンドで行われ、まだ新人 ではあったけれど小生もボート部の先頭で歩いたものだ、身長が高かったので先頭になっただけ だがオリンピック出場の先輩たちの前を行進するいう誇らしいこと・・・3年前のオリンピック代表 クルーは我校だった。

 戦時中に日本海軍連合艦隊司令部になっていたり、戦後の接収の跡がこの頃までそこかしこ に残っていて地下壕や米軍のカマボコ兵舎などの建造物もあり、カマボコ兵舎などはまだ校舎に 利用されていた程だったし、戦前からのコンクリート校舎も迷彩用の白黒の塗り分けが風雨で 傷んだまま利用されていた。純白に塗り戻されたのはやっとこの頃だった。

 国内では、もはや戦後ではないと言われ始めた頃だったが、この頃全国から集まった学生達 の下宿生活の中味も今では考え及ばないものだったのかも知れない。
幸い教室はバラックから次々に記念行事にあわせて新築される高層の校舎に移っていった。
大学のクラスでは必修科目以外は各自の選択授業を他クラスと合同の階段教室で聴講するし、 部活もある。体育会ともなれば教室と練習のどちらが多い?という毎日、中には下宿と雀荘との 往復の日常を送る侍すら居ようというもの・・・ときたまは集合するクラスだったような気もする。

 近頃このクラス会は毎年あり、時おり卒業以来初めて顔を見せたという懐かしいことが起こる。 おそらく街中ですれ違ったら見過ごすだろうお互いの姿であったとしても、逢って数分経てば昔の 面影へ戻れるのは嬉しい。彼は宮崎県日南市から来たと言った、一瞥以来のことや近況が話題、 たびたびの商用での上京もあったけれどなかなかクラス会の日程と合わなかった様だ。小生の 頭の中の地図では東京から相当遠い、航空便の無い彼の学生時代では更に遠かったことだろう。

 その後に便りのやり取りが合ったある日 彼からの到来物があった。「デコポン」と箱にある、以前カミさんがスーパーで買ってきた、皮をむいて食べると甘いがやたらと種が多かったみかんだったように記憶していた。見た目は名前の通り、綺麗なオレンジ色の皮には名前のいわれだろうか(?)デコボコしている。
 二度ほど旅したことがある宮崎の明るい太陽と緑の山々を思い出しながら早速頂いた。薫り高くとても甘みの強いこの柑橘には以前のようには種が無かった、殆ど無かった、品種改良の成果なのだろうと思う。
 

 先日母校内を散歩することがあり教室も覗くことができた、教室である雰囲気は その建物が 建てられた我々の時代と変りは無かったが、教室内に装備されたIT機器類には目を見張った。
キャンパスのそこ此処には学生達がたむろして、あるいは輪になって話し合っていたが小生の 目には勉強のための議論をしているような、半ば安心のような感心のような感嘆符がついた 安堵感に包まれ、あの頃の自分達の姿との対比を思い描いた・・・。

 そんなキャンパスの建物にも建て直しの計画があることを知った、時代の移り変わりに応じた 計画であることは理解できるとして、もうそんなに年を経たのか・・・と、ふと思った。
  それは数年後に創立150年を迎える計画の中にある。

(2007)

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