だんご

 4月は進学の季節、山の上(我が校ではキャンパスはそう呼ばれている)は新入生、父兄など一杯の人で賑やかだった。
セレモニーの後バスケットボール部へ「来ないか」とお声が掛かった、球技にはまったく自信がなかったのでその話はそれ切りになった、そのあとボート部員を名乗る上級生から「X日にコースへ遊びに来ないか?」と誘われた。ボートは更に知識の乏しい世界だったけれど その2年前のオリンピック出場クルーは母校であり、前年の伝統の対校レースでは強風が吹き荒れて艇がレース途中で水没して敗れてしまった事ぐらいは知っていた。

   X日になり初めて埼玉県戸田のボート・コースで参集した新入生とともに漕ぎ方などまったく知らないままにナックル・シックスのシートに恐る恐る尻を下ろして岸を離れて水の上に出た。
まだ正式入部の前でもあり案内・指導の上級生はごく親切丁寧に新入生達を取り扱ってくれたようだ。
 先輩達の多くは春一番のレースである対校レースのために合宿中であり選抜クルーは最終的な調整にハードなトレーニングをしているなどとは知る由もなかった。

 母校の艇庫は戸田橋でレースの行われる隅田川には艇庫を持っていなかった。当時は隅田公園の辺りに軒を並べて建つ国立大学の艇庫を借りて対校レースに備えていた。
その時までに入部を申し込んだ新入生の役割は先ず大会を支える下働き、先ずその艇庫へ集合した。
 艇庫はどれくらいの歴史を刻んだ建物かは知らないがともかく古い、暗いそして汚い。選手達の寝る部屋は万年床がゴチャゴチャに敷き詰められている、古い建物は傾いているのではないかとさえ思われた。川面に近い艇庫に降りると、暗い艇庫の床は真っ黒なヘドロが堆積しているようで水溜りさえある艇庫内もはだしで歩いていた。

 当時の隅田川には上流の工場群からの排水は垂れ流し状態、水はどす黒く色々な有形のゴミが塊となって漂っていた。川で練習では飛び散るしぶきが太ももの上で乾いてキラキラと油膜のシミを残す位に汚れた川だった。 1962年からはあまりの河川汚染でこの地での開催が17年間も途絶えたと言うレースの歴史もある。

 レース当日には隅田川に架かる橋にはコースを示す三角形のマークが取り付けられる、その日は雨模様、新入生は一人宛それぞれの橋のマークのところに配置されて目の下の水面で、水澄ましのようなボートの揃って水を漕ぐオールが作る丸い水の泡や、僅かに残る航跡を見つめていた。小生の割り当てられたのは 言問橋だった。、
 最後に行われるメインの対校レースが競い合って橋の下を通過したあと、直ちに大きな三角形のマークを橋上に引き上げる作業の為で、橋上で回収のトラックに積み込み荷台に座って艇庫まで戻った。荷台には各橋の担当者が雨にぬれながら同じようにマークのそばに座り乗り込んでいた。
 レースの展開や結果を知るのは後になってから、だが、その夜のレース祝勝会ではOB達も多数参加して大騒ぎ、伝え続けられたバンカラな歌の数々を先輩、OB達が歌いまくっていた。新入生達は・・・その酒宴の中で、先輩達から注がれる酒の洗礼に立ち向かっているだけだった。

 いま川岸には高速道路の橋げたが連なって艇庫の並んだ景色はないけれど、当時とは打って変わり河川浄化も進んで水も澄み 「・・・♪サクラ花咲く隅田の土手に、可愛いあの娘がウインクすれば、力がこもる♪・・・」 と歌の桜も戻った。有名な団子屋さんが店を構えている辺りが思い出の地になる。
 桜には少し遅い季節ではあるが今年もレースは4月19日に行われる。

 桜の花びらは練習をする選手達やオールを散り染めていることだろう。

(2009)

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