大豆の甘煮

 年々暖冬 の傾向で新しく用意した防寒着などこの冬は無駄になるのかと心配になってくる。
この日も特に暖かく訪ねる新潟地方は10℃を越えると予報が出されていた、おまけに夜には今年 一番の冬将軍がやって来て一週間は居座るだろうということ・・・それではどの様な 服装で行くのか・・・
などと取越し苦労をしながら出発した。

 1月最後の週末でスキーのトップシーズンだから、さぞや東京駅はスキー・ファンで一杯 かと考えていたが案ずるほどのことも無く、スノーボードの大きな包みを抱えた若者の姿が少し目立つ程度。
スキー板を担ぐ姿 などは昔のお話のようだが、 我々はと言うと、絵を描く仲間達のスケッチ旅行なので
少し場違いに見えた かも知れない。
 そして新幹線は上越のトンネルを抜けると、やはりそこは「雪国」だった。
 それにしても眩しい晴天下なのに車中から遠目に見る沿線のスキー場は 週末にしては スキーヤー
などの姿が僅かしか見えないのは気のせいだったのだろうか。

 長岡では県立近代美術館で展示の作品を観賞した後、今夜の宿泊地に 戻る上りの上越線電車の 車窓から見る震災被害の生々しい跡には自然の猛威を感じるばかりであった。
  今夜の宿は六日町の宿、比較的新しく開発された温泉地だというが既に半世紀を経て堂々たる 構えである。到着早々には玄関脇の囲炉裏間で搗き立ての餅を頂く、あんこ、 黄な粉などもあったが「 おろし餅」を戴いた、搗き立ての柔らかい餅はとても美味しかった。

 中越地震が襲った日は紅葉真っ盛りの季節の夕刻で、土曜日のこととて満室だったと云う 。「どなた
にもお怪我が無くてよかった」と宿の若女将は振り返る、このあたりの被害は少ないということだったが
地震後の交通手段の途絶でそれからが大変だったそうだ。

  夕食の宴はこれでもかと言うほどの豪華な膳だった、次々と運ばれる暖かい料理に皆一様 に目を
見張ったが、つられて杯が重ねられたのは云うまでもない。
座敷にはやがて若主人が盆を携えて登場、歓迎の 挨拶と共に地元の 濁り酒と「祖母の手作り の・・・」と勧めてくれたのが 「甘く煮付けた大豆」と「ごぼうの 煮物」である。黄色い大豆は歯応えを残して煮た皺がよった皮の一粒一粒をみしめると懐かしい味で、 ごぼうも ただ煮たような感じではあっても豪華に手の込んだ宴会膳の中に爽やかに登場した。
この 憎いまでの「おまけ」の一品演出でいやが上にも食膳の好印象度は高まったのである。

  温泉はといえば寒空の下で長く浸かっていた夜の露天風呂、予報どおりに降り出した本場雪国の雪
が吹き付けてくる朝の露天風呂でヌル目の湯に首まで浸かり体の芯まで温まった。

 朝食にもおまけの一品が演出されていた、「今朝作りましたので・・・どちらかでお召し上がり下さい」
とは、お稲荷さんの包みであった。
それから一同は「片道30分程で歩けますよと」言う若女将の勧めもあって、雪国らしい降りの雪道を
越後一番と言う禅寺に向って出発したのだが、降りしきる雪道は遠く、行けども目的地は見えて来ず
小1時間も歩いたろうか、やっと到着した禅寺の受付でも「この辺りの人だったら、絶対に歩か ない」と
ヘンな感心をされるし、また帰りに呼び寄せたタクシー・ドライバーにも同じ ような感嘆符を付けられて
しまった。
 しかし雪深い里の大きな禅寺は修行の厳しさを充分に教えてくれたようだったし、拝観中にも大屋根
を滑り落ちる雪の轟音の凄さに驚いたりの貴重な経験もさせてもらった。
そして、つかの間に射す陽の光は雪の重みに枝を垂らした木々を美しく照らして、雪国ならではの 美しい雪景色を際立たせてくれたのは素晴らしいおまけだった。

   震災後の一泊 「新潟頑張れツアー」の最後に東京に向う新幹線車中で拡げたお稲荷さんにはポリエチレンの袋が添えられていた、木の箸ではなく「五本指箸」を揚げ油から守ってくれる工夫らしく 「ごみ」の後始末にも好都合だった、もちろん名代のコシヒカリは美味しかった。
 数々のおまけ、気配りの一寸したプラスで期待をはるかに超えて満足が溢れそうであった。だが、その日からの新潟は積雪3mに達する数年来の大雪になったという。

(雪降る朝の宿の庭)

 震災に加えて大雪と厳しい自然だけれど、やがてめぐり来る雪国ならではの感激的な春の 訪れに向かって災害地の皆さん 「頑張ってください」・・・

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