チャンポン
 
 長崎料理に「チャンポン」がある、麺、野菜、肉それにイカ、アサリなどの海鮮は必須である 。まぜこぜに煮込むが 鎖国時代には世界に開かれた窓口であったご当地に残る中国料理という。
 小生が外資系企業に勤めていた頃 社員の一人の結婚祝いに訪れた長崎の街、その中華街で同行してた我が親友が図らずもつぶやいた「長崎のチャンポンも食べた・・・」 。  深い意味は無かっただろうが、 それから時を経てもまぜこぜ煮込みで一つの味を作り出したチャンポンのようには、味わいが まだ作れていないのが今の日本かもしれない、話の背景はこうである。
 

  チャンポンは普通に使う日本語かと思っていたら外来語らしい、中国語ともマレー語に 由来する と辞書では読めるけれど、要はあれこれ混同すること、まぜこぜの意で使われる。

 いまや国際化などという言葉は当たり前になりすぎて陳腐化、死語に近いかもしれない が一昔前 ならばマダマダ活き活きとうごめいていたと思う。
その結果の良し悪しや流れについては、良かったのか悪かったのか 時代の流れと考える ならば、人それぞれ受け取り方、対処の仕方、感受性による差は大きいと思う。

 小生が勤めていたのは証券業界だったが、証券のみならず金融業界を強烈な国際化が 覆ったのはもう四半世紀も昔のことになると思う。
ドルショック、為替の自由化などの中でも次第に力を増した日本経済、世界の金がやって 来るなどと有頂天になりつつあった。
  確かに優秀な日本製品は大きな輸出超過で貿易は黒字、どんどんドルは溜まっていった がまた、大きくなった日本の金融経済を世界が放って置くはずも無く国際圧力という形で どんどん銀行や証券会社がやって来た、株式市場にも外資系会社の進出が目立つようになった。

 アメリカの制度、法律を参考にして太平洋戦争後に再開されたわが国の証券市場では あったが、 しょせん免許という形で保護されていたし、まさに日本的な社会であった金融界に ごり押しで外国 の制度、資本が押し寄せてきたのである。
  とはいっても当の外国でもどんどん新しい金融技術が考案されており、それに翻弄されて いたのだから、国の庇護のもと護送船団方式などと安心していた日本の金融界などは幕末 の黒船来航以上の大変動だったのである。
  うまく波に乗ればこんなに面白いことはない乱世も、ただ眺めていたり乗り遅れたり、また 遅ればせにがむしゃらになったりと、中身はチャンポンそのものだったようである。

 こんな時代に縁あって外資系証券に飛び込んではいたが、自国慣習や制度をそのまま 持ち込もうとする外国会社も日本の制度法律と格闘し、そこで働く者もそれまで勤めていた会社や 経験が区々の寄り合い世帯のチャンポンで頑張っていた頃であった。
  それから、その後の日本経済がどのような道筋を辿り、バブル、デフレと国民が長く苦労 な時代を経なければならなかったかの思いは尽きない。

 

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