ケーキ
 ケーキといえばイチゴがちょこんと載っていて 、スポンジの間にはイチゴが挟んでありホイップ クリームが一杯スポンジを取り巻いているショートケーキである・・・などと考えている化石人間だ。
  ある日、久し振りに髪を整えてもらいながら幼馴染の床屋さん(仮にA君とする)と何時ものように話が弾んでいた、彼は小学校の同級生で親父さんの代からお世話になっている 。
 

 最近、近くのマンションに出来た新しいケーキ屋さんについての話題から話は始まった。
この辺りには 今でこそ女性向け雑誌などで有名な繁華になった街があるのだが、終戦後には 街創りの中心となり、看板ともなっていった幾つかの店があった。たとえば子供用の洋品屋さん、 婦人服地屋さん、角の時計屋さんや映画館などもあって、その中に一軒がケーキ屋さんである。
  今でもケーキ屋さんは繁盛して立派な店構えだけれど 始めた頃からケーキのサイズも大きくて、 もちろん美味しかった、その上に有名洋画家の描いた包み紙で目立つ菓子箱になってからは 特に我が家ではどれ程お使い物としても利用させてもらったことか、この街の代名詞にもなったくらいだ。

 別に隣の小さな駅の前にもケーキ屋さんがあって地味ではあっても息長く店は続いていたが、 最近気が付くと店がなくなっている。
繁華な町の方でも、この小さな町でも大資本の大きなケーキ屋の支店が出来たりはしていたが、 ケーキ店の話が出たので「ところで古い馴染みの あの店はどうした?」 と聞くと、店の主人も年を取り自慢の味を 「人に頼んでまでは、店は出したくない・・・」と云って 閉店したとか、店には長い間のファンで充分にやって来れたので競争に負けてのことではない との事だった。

 そう語るA君もこの店のファンだったらしく 「あの店くらいのケーキが丁度良かった」と残念なよう だった、今では仕方なくA君はその近くにやってきたある支店のケーキが好みだということである。
小生もその店のケーキは味、大きさなど まだケーキであると認識できると思っている。

 昔からショートケーキで有名な店が銀座にあって最近立ち寄った、久し振りに注文したそれは 見た目は・・・らしくはあったが、スポンジなどは探すとやっとクリームの影にある程、イチゴと クリームだけが山盛に なって皿に載った如くであった、味はもちろん不味かろう筈は無かったが、 その変わり様には 驚いてしまった。

 家近くの繁華な町には沢山の有名ケーキ屋さんの支店や中には世界的に有名なパティシェの
経営するお店もあって それぞれ趣向を競い合っている
どの店も吟味した高価な材料や洋酒など材料をふんだんに使って作り上げていて 店ごとの
特徴を競って いるので、どの店のどんなケーキを摘んでみても素晴らしい味だろうとは思う

 だがチョッと待てよ・・・この小さなケーキ一個の値段は隣のお弁当屋さんの一箱より高いんだ、 この値段なら旨いのが当たり前じゃないか・・・と ふと思ってしまう。
日本は本当に豊かになった、金持ちになった、お金の使い道が無くて困っているのだろうか・・・
ケーキはホンのたとえ話のつもりだが、ケーキが小さくなってきたように この辺りの住宅地では ある日建物が取り壊されて建て直されると、どんどん小さくなって行く。
  それは相続などの世代交代が主な原因だけれど、ケーキを切るように土地を細かに切り刻 んで土地一杯の小さな家を建てる、今ではそれをデザイナー・ハウスといって大流行、毎日々々沢山の折りみ 広告も入ってくる。
  これって何かおかしいぞ! 日本中が長い間の土地本位制に安住してきた、日本の行き着いた 姿なのだけれど、そこに後世にも残せる豊かな文化など・・・があるのだろうか?と考え込む。

 せめてあの店の、あの吟味した豪華な材料をふんだんに使った、高額であり、それでも小さな ケーキなどを頂きながら憂さでも晴らそうか・・・と、ささやかにケーキファンは思うのである。

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