豚の丸焼き

 我が家の娘達は動物好きで、上の娘は3歳の頃だったか 、こども動物園の ようなところにたまたま繋がれていた子牛に近づいて行ったばかりか、 いきなり子牛の首に腕を回して遊んでいたものである。
  小生は転勤族であったから、家では小動物すら飼うのがためらわれたので 育ち盛りの子供達を連れて動物園には良く通ったし、庭に来る野良猫などは 格好の遊び相手になっていたようである。

 そんな環境からかどうか、長じて進学した農業関係の大学にも少しの抵抗感も 無かったようだ、もっとも専科は畜産科ではなく栄養学科だったが・・・
家は長い歴史のある学校は家から少し離れていたが娘は自転車通学をしていた。
 この大学の応援団の伝統のある大根踊りはユニークで面白いが、娘が入学 するまではテレビで見ることはあったが実物にお目にかかることは無かった。
  秋の収穫の頃の学園祭も賑やかで近所の住人も毎年楽しみにしている、 我々も訪れたが収穫した作物は勿論のこと、外国の留学生が出身国の本場産品を並べる売店 などは大人気、 アトラクションには当然大根踊りも登場して応援団長の意味不可解な「雄たけび」 とともに流れるメロディーはとても素朴、かつ愉快であることを知った。

 娘の学園生活はけっこう愉しいものだったらしい、面白いことにこの大学は 学生の卒業年には保護者の学園招待があり、富士山裾野の実習農場にある学生 寮の一泊体験旅行ができるのである。
 この年もバス数台に分乗するほどの多数の参加者がいて多くの学校職員や、 屈強な応援団の学生さん達が一行を手厚く 接待してくれた。

 まず出発前には大学中庭で大根踊りで結団式、富士に向うバス車中では VTRで学園の紹介などを見ながら夕闇が漂う頃には大きな農場の学生寮に 到着した。二段ベッドの部屋を割り振られ若返った気分の保護者達は牛乳 風呂で疲れを流しなんとなく浮き浮きした気分になっていた。

 夕闇の中に富士の山姿も隠れた頃からが大きな庭でのバーベキューの夕食、 牛、羊、鶏、野菜など材料には事欠かない、みな自前農園で用意できる新鮮な物 ばかりである。
かいがいしく給仕する応援団の猛者たちもどんどんビールをテーブルに並べる、 圧巻はゆっくり何時間も火に焙られていたであろう豚の一匹、白衣の料理人が 丁寧に切り分けてくれたローストポーク、たいそうなご馳走であった。

 さて夜も更けて酔いも回った頃には再び応援団長の凛々しい登場である、 だが今度の演者は参加の全員、大太鼓の轟音に載せての手ほどきを受けた。 大勢の招待された保護者達が何度も何度も手足を振り上げて踊り狂う夜は更けていった。

 明けて翌日は大きな牛舎、豚舎、鶏舎や農場など散在する施設を見学、いささか近代農業についての知識も習得した一日ではあったが、土に根ざしたからであろうか理科系のこの大学の長い歴史の重みをずっしりと受け止めた 。
 ともかく、全国各地のOB組織もこれを支えて確りしているようである。
   

 蛇足ながら卒業したわが娘は修習した関係の仕事をした後 ある年の冬、 正月を跨いで真冬の東北海道の酪農家に泊り込み牛舎の作業を手伝うと言う ことをやってのけた。
  親としてもいささかビックリのところだったが、娘も何をか考える所が あったのだろう、今では3人の子供を育てる北の国の街暮らしをしている。

 

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