ボルシチ

 学校給食が始まった頃はメニューといえるほどのものがあったのだろうか、うどんで あったことや、味噌汁だったり、小さな箱に入ったアメリカ製のフレークだったことや レーズンだったこともある、何とも不味い脱脂粉乳はとても不人気だった。
  給食室の大きなかまどで常時暖かい給食が作られるようになってもコッペパンが主食 だった、 マダマダお米の生産が必要な量に追いつかなかった頃である。

 食器は学童が各自が毎日持参していたが アルマイト製の食器はおわんと皿が幾つか 組み合わさるようになっていて、皆持ちやすいように布袋に収めて持ち歩いた。布袋は肩から提げたランドセルやカバンにぶら下げていたので、急いで走ったりすると おわんやお箸がぶつかりあって「カチャカチャ」ととても賑やかな音を立てた。  

 布袋は次第に給食の匂いが染み付いてくるのは致し方なかった、 食器は家に帰って洗っていた。
鯨の肉、鮭缶のような材料が記憶には多いのだけれど、当時の食糧事情を補うようにと 始めた学校給食だからメニューもいろいろな工夫がされていたのだとは思う。
布袋に染み付いた匂いの記憶から思い出すのは、トマト味でとても沢山キャベツのブツ 切り等が入ったスープのようなものかも知れない。

 社会人になってから良く通った会社の近所の洋食屋さんのメニューにボルシチがあり、それを口に したときに懐かしさを覚えたことがある。
  いろいろな野菜や肉などがトマト味でまさにゴッタ煮状態、少しシャブシャブのスープと いった按配、この店で昼時にサラリーマン諸氏は、コールスロー(キャベツの酢漬け)、 ボルシチそしてカレーライスか、あるいはこの店名物のエビフライなど好みのものをとる。
  それはとてもお値打ち値段だったし 支給されていた会社の食券も使えたので重宝で あった。この店は長いあいだこの隠れた人気メニューを値上げして来なかったはずである。
街中の有名店だけれど、あの頃の初代そして二代目、 最近では三代目をTVで紹介 していた。
 最近のメニューはどうなっているのか少し気がかりだけれど、折があったら懐かしメニュー に再挑戦してみたいと思っている。

 これは別の店、その年は同期新人が10人以上同じ職場に配属された、まだ初顔合せ 間もない時期に 「一緒に飯でも」ということになったらしい、馴染みの店などない中で近くで 目に付いたロシア料理のレストラン・・・小生が 「ロシア料理にする?」とでも云ったとか!?
 ある彼は 「東京育ちの、!」・・・と、そのとき思ったとか、大阪育ちの彼が40年以上もたって からの同期の会合で当時を振り返って話題にした、その彼は、彼の会社生活での任地を見ても、 大阪住まいはなかったはずなのだけれど、今でも大阪弁でまくしたてて周囲を煙に巻いている。

 ロシア料理!?・・・ボルシチのほかはピロシキぐらいだろうか、小生の拙い知識である。

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