ビア・ランチ

  その日は少し遅い昼食時間になった、車道の真ん中を闊歩できる日曜日の 歩行者天国の銀座通り、連れと思案の挙句に昭和遺産建造物の佇まいのL.ビア・ホールに入り 壁際の禁煙席に座ったのはやがて午後2時になる頃だったろうか、昼食には遅い時間なのにテーブルはほゞ満席、高い天井の店内は話し声で満ち溢れていた。

 取り敢えずは生ジョッキを注文し、 相談しつつ決めたメニューの品・・・「ニシンのマリネ」、「ごぼうのサクサク揚げ」、「フィッシュ&チップス」、「ピツァ(マルゲリータ)」などを丁度ジョッキをテーブルに運んできた係りに注文した。
もともとビアー・ランチなどというものは何処を探したってないだろう・・・

 今回は中ジョッキ、連れは小ジョッキの乾杯からの始まりだが その昔、仕事帰りの土曜日の午後に上司たちと4人…昔の土曜日は「半ドン」だった・・・ここで飛び切り大きなジョッキをそれぞれ3杯飲み干し、挙句の果てに場所を替えて深夜に まで及んだ酒盛りの武勇伝などが話題になった。連れも良く知る会社の上司、同僚との昔話の舞台である店内、当時のままの柱、壁、天井のくすんだ景色に残る思い出だった。
 テーブル上の皿のニシンのマリネ、可愛らしい小さな切り身を摘まみつヽ、ニシンのしっぽを摘まみ仰向けになって頭から口に運ぶオランダの街角の屋台、町人の姿を二人は同時に思い出していた・・・オランダの街角でそれを口にする勇気がなくて、見送ってしまったので「試しておけば良かった〜ネ」と、あとの祭りを悔やんだ。オランダでは薄い色のH.社のものよりダークな色のA.社のビールの方が好みに合った、ポルトガルの街で飲んだ旨い缶ビールもA.社の物だったと覚えている。

 米英オランダなどの連合軍捕虜の食事に「ごぼう」を供し・・・捕虜に木の根を食べさせた…と、戦犯にされてしまった話を伝え聞いたが、きんぴらゴボウなどなどの美味しさや、当時の食糧事情が日本軍でさえ食糧に窮していた事情を察するに、あまりの誤解だ〜と、思う。それでもテーブルのサクサク揚げのルックスは木の根そのものに見えたが、料理名の通りに口の中ではサクサクと良い塩加減で美味しく、戦場にもビールがあったらよく合うつまみになっていただろうに・・・、ごぼうのサクサク揚げはあっという間に腹に収まった。  

 フィッシュ&チップスは英国の名物、どこへ行っても専門店は大きい、そしてどの店でも大きな皿に白身魚のフライと山盛りのフライド・ポテトがド〜ンと盛られ、熱々は旨く、クセのあるものに当たったことがなかった。ヨークの城址近くの食堂はチューダ調の建物で、製材をしない木材そのままで組み上げたような構造は、床は斜めになっていてもテーブル上は皿が滑 らぬ程度に水平、黒ビールを飲みつヽ大きな皿の揚げ物と格闘して平らげたが、我々には連れとの二人分としてタップリな量だった。

 ピザ店はヨーロッパの何処に行ってもあるし、最も手軽に利用できる。店に入って客たちのテーブルを見ると、たいがい一人一皿、目の前の皿上の一枚をナイフで切りフォークで口に運んでいる。
ところがミラノのある店ではテーブルに着くなり飲み物の注文を聞きピザはマルゲリータのみ、石窯で焼いた飛び切り大きな奴の1/4を切り分けて更に2分して皿に載せて出てきた・・・これが一人前、ナイフと フォークで口に運んだが(手掴みではない)、 その美味さが今も記憶に残り、ピザと云えばマルゲリータを注文する、もちろん飲み物のオーダーは生ビール数杯になった。

 ビールの本場と云えばドイツのミュンヘン、街中に何軒もある大きなビヤ・ホールは何処も活気に満ちている、午前中しか供しないホワイト・ソーセージには、さすがに朝からビールは…?、と殊勝な考えからお目には 架かれなかったが、毎夕店を替えて訪れたビヤ・ホール、4、5軒はそれぞれ趣が違ってハウス・ビールを数種類、澄んだ琥珀色、ダークな茶色、ちょっと濁った茶色そして黒ビールなどなど種類豊富でいつまでも飲んでいたい、料理はどれも大振りですぐに腹がくちくなってしまう。
ヒットラーが演説をしたという大きな店、イングリシュ・ガーデンの城ビール、さしずめ日本なら民謡酒場風な生演奏を楽しんだ店、そしてその旅行の最後のクラシカルな店では折しも開催のサッカー・ワールドカップでのアメリカ出場試合を店のテレビで見ていた、隣テーブルのアメリカ人老夫婦も椅子を立ったり座ったり応援に忙しかった。

 銀座のビア・ホールでの想い出世界旅行が終わったのはもう4時をまわり、店から歩行者天国に出ると真っ先に聞こえてきたのは中国からのツアー客達の話声だった

(2012)

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