ビーフシチュー

 地球の裏側まではるばると景色を眺めたり美術館などを訪ねる旅を厭わないくせに、いつでも 行くことが出来る名所・・・そこを目指して全世界から観光客がやって来ていたとしても・・・は案外 訪ねる事を後回しにしてしまうケースが多い。
  東京のど真ん中へ所用で出かけることが多かったとしても、皇居前や公開されている東御苑へ 立ち寄ることなども無い、東京タワーにも一、二度は登ったけれど三度と言う記憶は無いような 気もする。所詮 いつでも行こうと思えば、いつでも行けるから・・・と、後回しにしてしまう。

 かつて三浦半島は東海道線や横須賀線に乗るチョッと小旅行気分だったけれど、地域の開発が 進んで東京のベッドタウンになったり、ドライブ・コースとしても簡単に行ける様になると頭の中では、 いつでも行ける場所になってしまった。
つまりは「出掛けて見ようかリスト」では順位が下がってしまったと言うわけだ。

 新緑が眩いばかりの朝のこと カミさんが「鎌倉を歩いてみたいねェ」と言い出した。 思い立ったが吉日とスケッチ道具などを入れたサブ・ザックを背に電車を乗り継ぎ北鎌倉駅に降り 立った。週末客が降り立って狭い駅のホームに一杯になるほどだったが まずは線路沿いに歩き 禅寺の円覚寺境内へと向かった。

 気持ちの良い5月の午前の太陽は新緑の梢を照らし、光と影作って周りの山々は眩しかった。 山肌は幾種類もの新しい緑色に染められていて山藤の赤紫色の房が彩りを添えている。
紫らん、白花しらん、なんじゃもんじゃ、いちはつ、ボタン、芍薬、ゆきのした、なにわイバラ、名も 知らぬ花々が咲き競い、堂宇の茅葺屋根も爽やかな空気の中、これぞ北鎌倉の風情であった。

     

 この日はひたすら歩いた、建長寺手前を右手に折れて小路を登れば 鎌倉七切通しの一つ
「亀ヶ谷(かめがやつ)切通し」、山襞の多い鎌倉は山がいよいよ迫る、しかし急坂はあっという間に 峠を越えて住宅地へと下っていた。さらに進んで横須賀線のガードをくぐり、再び住宅地の急坂を 登った先が「化粧坂(けわいさか)切通し」つづら折の坂道はチョッときつい。
こんな切通しを守っていた鎌倉武士が木々の間に潜んでいそうな気もする坂道を上り詰めれば 「源氏山公園」、人気の少ない公園には源頼朝の銅像が彼方をにらんで座していた。

 公園横から急坂を下ると途中の右手には銭洗い弁天につながるトンネルである、泉でお金を 洗ってご利益に与かろうとの老若が沢山参詣に向かっていた。
坂道を下り終えると そこは由比ガ浜まで続く住宅地である、小路をひたすら歩いた。 小さな踏切は江ノ電、家々の軒先を掠めるように走る電車は週末の今日は4両連結に一杯の客を 乗せ、小さな踏切は腕木を下ろしてカンカンと可愛らしく赤燈を点滅させていた。

 初夏の由比ガ浜は賑わっていた、イベントが開催中、沖合いのウインド・サーフィンのセールは 風に吹かれていっせいに動き、ラウドスピーカーはハワイアンを流していた。 今日のコースは地図を広げると北から南へほヾ一直線に歩いたようだ。終点の由比ガ浜から引き 返した鎌倉駅からは 横須賀線電車に乗り 一日の新緑散歩をみやげに帰宅したのである。

 さて昼食は建長寺近くでビーフシチュー、旧友のカミさんが自宅で始めた商売は今ではすっかり 北鎌倉で評判のお店となり、昼時のこととて玄関先には来店客の列が出来ていた。
夫婦揃って中学以来の友人、高校、大学それからボートまで一緒に漕いでいた。考えてみれば 亭主の実家は此処なのだから当時彼は東京の学校まで此処から通っていたはずだ・・・してみれば、 案外 すぐ行ける近くなのだろう。店はすでに後継者も頑張っていて安泰のようだ。
 それはさておき、近頃鎌倉を訪ねる折の昼は此処と決めている、マイルドな味のビーフシチューと
「北鎌倉」銘の赤ワインはよく似合った
          ホームページは「去来庵」をどうぞ。                 (2007)

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