あなごめし

 まだ十分に夏の陽射しや暑さも残る広島を訪れた、あの日もこんなに青く晴れ渡った朝だったかと思いながら平和記念 資料館の重たい展示や説明をじっくりと眺め、後に太田川越しの原爆ドームをスケッチした、背景の近代的な高層ビルは省き、青空には夏の白雲を描き入れるつもりだ

   昼時になった、相生橋を渡って紙屋町に見つけた店で「広島つけラーメン」を食べた、辛さ注文を聞かれたが普通にした、ゴマダレのようなつけ汁は十分に辛く、麺が冷やしでなかったら大汗をかいたことだろう
午後は広島城や縮景園などをゆっくりと廻った、どこも被災建物を復元したものだが既に時が経って古色も出て、お庭で元気に育つ被災銀杏同様に風景に馴染んでいる
 夕食は広島風お好み焼きをと決めていた、市内いたるところにある専門店にはせず観光名所「お好み村」に行く、一つのビルに屋台風にお好み焼き屋さんが25軒入居しているとか、座った店の店主はこの村創設以来の古株の女性で男女店員の二人と共に頑張っていた、麺を入れ重ねて焼くのはやはり店主で手際よく茹で上がった麺に重ね、押し付けてふっくらと、あるいはカリッと焼けたひと塊を目の前に押し出してくれた
 ビールを傾けながら頂く量は夕食に十分だった、ちなみに目の前のてっぱんについて尋ねると、ビルの建設時に重たい鉄板をクレーンで持ち上げてセットしたとか、ビル裏がまだ空き地だったから出来たん じゃ!・・・とカラカラと笑い飛ばす聞けば独り者83歳の愉快なオバさんだった
 

 宮島を訪れたのは50年振りだった、予定では弥山にも登りたかったが蒸し暑い陽気に遠望の期待もなかったので 諦めて、その分厳島神社の拝観時間が長くなった、折しも小中学校の修学旅行生が多数拝観して居り神殿前の舞台片隅に腰を下ろして神社ガイドの丁寧な説明に耳を傾けている…スケッチがてらに 側でお相伴して聞かせてもらい小生も勉強になった
干潮で大鳥居下まで歩けて皆が楽しそうしている間に潮は満ちはじめ砂地の人影もなくなる、耳を澄ませば上げ潮はさわさわと音を立てヽ迫り、やがて大鳥居も水中に屹立するのだった

 駅近くに名物食堂がある、一時間待ちですとの店の答え、昼時の人気店は大繁盛、諦めて駅に来るとキオスクにその店の駅弁「あなごめし」・・・暖かくはないのは残念だったが買い求める
 次の目的地の岩国までは普通電車で30分弱、車中のボックスには若者が一人スマホをいじっていたが、向かいの席に座り「悪いけど、食べるよ」と包みを開く、車中で駅弁を食べたのは何年振りになるだろう…記憶にないほど昔だ、包み紙は大正中頃まで使われていたものを復刻したとの事、小さめのアナゴの蒲焼をギッシリと載せた本物の経木折箱は昔を偲ばせるには充分、人々の営みや、戦 の記録を見学し、江田島では旧海軍人の立派な墨跡などを拝観した後だけに…名物アナゴを皆さんも口にされたことがあっただろうな・・・と偲ぶ
 

 岩国に着き錦帯橋を初めて近くから観る、綺麗な円弧のかさなる木橋、その向こうに見える城に登れば海岸方面には基地空港が遠望できた

(2013)                                                                                                               

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