甘エビ

 いろいろと厄介なことが起こる。
コウノトリが我が家に素晴らしい贈り物を届けてくれて以来8oシネが子供達の成長を記録していた。
だが1982年にホーム・ビデオが登場して早速我が家に登場、その後 ホーム・ビデオは次々改良
されて性能が上がる一方、フイルムを使う8oシネは静かに消え去っていった。
我が家に残った記録フィルムは仕方なく1990年代の半ばにビデオ・テープに記録し直すことになる。
だが我が家のビデオ・デッキはベータ方式、その方式はライバルのVHS方式に押されて消え去り、
更にコンピューター時代を迎え記録方式はデジタルのDVDへと移ってゆく・・・
技術の進歩は素晴らしい、だが利用する側にとっては厄介である。

 

 

雪の犀川(金沢)河原で行われた加賀鳶の消防出初式 (1984年)

 技術革新は方式の駆逐に伴って機械生産までも止めてしまう、既にベータ方式デッキはとうの昔に
生産をやめてしまい、いまでは家に残った貴重なベータ方式デッキが壊れてしまう前に完了しようと、
面倒な作業だがテープ・ライブラリーのDVD化の 変換作業をしている。
楽しみは記録画面を見つつのダビング作業だけに画面にあらわれるのは懐かしい場面と思い出だ。

 当時の金沢の我が家に豪雪の冬、お得意様のご夫婦がひょっこり来訪された時の画面が現れた。
まだ珍しかったホーム・ビデオが我が家にあり、それはカメラとデッキが別々になったもので総重量10kgに近い代物だったけれど、画面では両家の子供が同級生だったから子供の話しでもしてい るようかった。その後小生の ビデオ・カメラはお得意様の会社の支店長会議記録のためにお貸しすることになった。当日は大会議室に三脚に載せたカメラをセットして会議に備えたものだ、まだプロの ビデオ屋さんも珍しかった頃である。

 転勤はサラリーマンにはつき物 それぞれの地が懐かしく思い出深い。ビデオに 写っていた方 にも随分お世話になった、折に触れて土地ならではの貴重な事柄を教えて下さった。
  ある時には浅野川のほとりの寿司屋が「旨い」、「甘エビが旨い・・・」と豪雪の雪道をご案内頂いたことがある。、 元気の良い気っ風のいい板さんのお店で、寿司は飯台にドドッと並んで供された。ちょこんと二貫という ようなものではない、甘エビ3尾ずつを載せたにぎりがドドッと目前に並んでいた。
トロでも赤貝でも、なんでもドドッと並べられた。 そのことを最近になって近所で行きつけの寿司屋の大将に話して以来 小生の甘エビにぎりは甘エビ を3尾 載せて出てくる。

 傷みやすいと云われて東京などではお目にかかることの少なかった甘エビも、その頃には沖採りの船上 の 瞬間冷凍で品質良く輸送出来る様になり、今ではいつでもどこへ行ってもシャキとした甘エビにぎりが 目の前にでる。
  甘エビの卵をご存知だろうか、赤いエビがお腹にきれいな空色の卵を抱えている。卵をとって酢や
レモンなどで頂いても良い、寿司にのることは無いだろう。それに卵はメスの持ち物かと思っていたら?・・・ 甘エビは三年たつと皆 メスに転換するのだとか。
  ホッコクアカエビ(タラバエビ科)で 「甘エビ」とは流通上の名だという。

 25年前のビデオ映像のピントぼんやり、全体ボヤッとした画面は仕方ないとして、技術の進歩の 度に記録し直しでは方式変換のための劣化だってある、二度と戻ってこない貴重な中味は小さな 歴史記録、厄介ではあってもまめに技術変革について行くしかないのだろうが・・・。
    そのDVD、また次なる方式をめぐる開発競争場面が伝えられているのだ・・・
       (2007)

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