あご
 
   「フジヤマの飛び魚」と聞けば 我々世代には言うに云われぬ懐かしさが こみ上げてくる。
何もなかったあの頃は、神宮外苑のプールでの競泳会中継ラジオは 雑音が多くて・・・それは我が家の古いラジオが原因であったかも知れないが・・・競技の成り行きを聞き逃すまいと耳をそばだてた夕べであった。

 当時、日本一の施設であったはずの明治神宮外苑の50mプールでさえ 昨今の ような水の 浄化装置はなかったし、競技日はさて置くとしても普段の 一般公開日 辺りでは プールの水が緑色に濁っていたのではないだろうか、 まだTVなどはなく 競技会の光景は次の週以降に映画館で上映 される週間ニュース映画で見たので ある。その頃の映画館ではブザーが鳴り 場内が次第に暗くなると 元気の良い テーマ音楽に乗ってニュース映画が 始まり、予告に続いて劇映画が上映された。

 たまたま「古橋、橋爪」達が日々練習に明け暮れた大学プールの近くに 住んで いたので、数少ない夏のプール一般公開日には近所のガキドモと 連れ 立って 行くのが楽しみだった。 
50mプールの水は水中50cmの先も見えないほどに緑色に淀んでいて、 それでも プールに入れる 貴重な機会を大いに楽しんだのである それにしても水を入替えれば井戸水で 澄んではいてもとても冷たかったし、 また 日常の 食事さえ満足ではなかった時代だったから、彼らの頑張りが  どれ程 日本国民の大きな励みと なっていたことであろうか・・・

 「飛び魚」が翅を広げ、銀鱗を光らせて 富士山を背負った青い海原を 飛ぶ さまを想像すると、 爽快なその たとえはまことに当を得ていた様である。
さて、こうして記憶には留まってはいたもののトビウオが我が家の食卓に 上る事は なかったし、飛び魚には船上からにしても、水族館ですらその姿に お目にかかる
ことは なかった

 後年、福岡に赴任し単身マンションに暮らしたことがある、ご当地で仕事を した のはほんの僅かの期間であったが、多くの良い想い出を今に残して くれている。 そして同じマンションに住んでいた方々の勤め先も多彩であったが、単身の 福岡の勤めを終えた東京在住OB連中が沢山いて 時おり同窓会がある。

 銀座のとあるバーでの会合の折には「あご」の干物を持参した仲間がいて 火に あぶられたそれが目の前に出されると、先を争うように手が伸びて九州 での懐か しいあの頃の思い出に重ね合わせて、その味を噛み締めながらの 一杯を 楽しん だのである。
  九州名物の「塩あご」、「焼きあご」などはとてもよい出汁が取れるそうである。

 近頃 我が家にはちくわの大型のような到来物があった。見た目には いささか 黒ずんだ身ながら 噛み締めるとなかなか味のある、酒の肴には もってこいの 珍味であった。
「野焼き」と言われるそれが我が家に到来したのも いささかの縁あってのこと だが、 出雲・島根地方で作られるその味を噛み締め、熱燗をチビリちびり やりながら、筆者 にとってトビウオも 満更縁がなかった訳ではないなと思った。
  野焼きはトビウオのすり身を金串につけながら炭火で焼いた・・・昔は店先で あぶっていたので野焼きと言う・・・そうだが、大きなちくわのような形である。

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