ザ・ローリング・ストーンズ 私に最高な気分を与え続けてくれるバンド、彼らの話しをします。


ストーンズの始まりは、チャック・ベリー マディ・ウォーターズ ジミー・リード などの、ロックンロール・ブルース好きな2人のティーンエイジャーが、エルモ・ルイスなる、ギタープレーヤーをクラブへ見に行く、そこで彼にバンドを創ってもらうことになる、その2人こそが、ミックジャガー、キースリチャードであり、エルモ・ルイスこそが、ブライアンジョーンズである、そしてビルワイマン、チャーリーワッツが加入して1963年6月7日、彼らは、転がりだした。

@ヴードゥーラウンジ Aレット・イット・ブリード3/22 Bブライアンジョーンズ Cテル・ミー5/24 Dアフターマス8/14 Eジャンピン・ジャック・フラッシュ10/19
Fギミー・シェルター3/7 GLICKS武道館レポ03/4/9 Hストーンズから消えた男03/9/15
 

日本 ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ                   
世界一のFCです                                         


ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男

ブライアンが殺されたとして作られた映画…
確かに殺したくなる奴である!
でぇ死因はどうあれ27歳で人生を終えた
それだけは確かな事実でそれ以後のブライアンは無いはずなのに…ストーンズは未だ転がりつづける!
だからストーンズを作ったブライアンに40年以上ストーンズを楽しめる今を感謝したいって思う。

60年代のロック・ドラッグ・SEX…
「リトル・レッド・ルースター」のカッコいいスライドギターから妙にマッチしてしまった「やせっぽちのバラード」
ブライアンはもう壊れていて参加できなかった、ミックがマリアンヌに言われてレコードにした「むなしき愛」…
タイム・イズ・オンマイ・サイド・・・
この映画はブライアンのドラッグとSEXを回想する・・・その全てがアニタにある!
その画き方はリアルに真実味を佩びて興奮させる!
アニタとブライアンは誰もが持ち合わせる不道徳部分で一致したものの
アニタの強い不道徳とブライアンの強がるだけの弱い不道徳の違いとズレが
モロッコにおきざりにされたブライアンとキースを選んでブライアンから脱出したアニタに象徴される!
そしてどんなシーンより残ったのは
ブライアンとミック、キースが扉を開けて出てきたとき
曲作りで呼び戻されるミックとキース!
ブライアンは呼ばれなかった・・・

ブライアン・ジョーンズ!何者だったのか?ブライアンを“大好き”ってずっと思ってるけどホントは解らない・・・?
ただ数少ない映像!写真!で見るブライアンはホントにカッコ良く見える

ジム・モリスンとパメラの「ドアーズ」 スチュアート・サトクリフとアストリットの「バック・ビート」もよかったけど
「ストーンズから消えた男」…この映画はそれよりずっとよかった!

ブライアン・ジョーンズ ジム・モリスン ジミ・ヘンドリックス ジャニス・ジャプリン の人生は27年
信じられないくらいカレらは長生きしてる!!!

   
    
     

ブライアン・ジョーンズ…何も解らないけど私のアイドルNo1の座は永遠に変わらない


ROLLING STONES LICKS 
JAPAN TOUR 2003

  2003年3月10日 《日本武道館》 


     

風が冷たい池袋から地下鉄に乗って九段下へ、地下鉄の階段を上がる同じ想いの人並みがなだらかな坂を武道館へ登っていく。
この光景は1973年1月28日にあったはずだった。
中止になって30年!
ストーンズのコンサートが日本で決まるたびに武道館で演らないかなぁといつも思っていた、今回も噂はあったものの決定したのはぎりぎりでチケットを手に入れたのが5日前・・・ストーンズらしい危なさに振り回されて武道館へ入った。
シンプルなステージが日の丸の下でブルーライトに照らされセットされている。
50%ぐらいの客席が埋まり少しづつ増えていく。
1階席から見えるステージは武道館で見慣れた距離に比べて近く感じる・・・普通のホールで観るステージからすれば武道館のステージもかなり遠いはずである。
たくさんのコンサートを武道館で観てきたのにこの日の武道館はいつもと違う思いで自分の席を探した。
ここへ来れた!ここで聴ける!と共にいろいろな想いが頭の中を駆け巡る。
開演時間の7時が回る・・・・15分ぐらいは遅れるはずである。
ブルースが出てこないストーンズをなんども焦らせる。
20分、30分が過ぎる・・・曲が終わるとスタンバった1万人が歓声と拍手で武道館をゆらすが出てこない・・・・・
不安になる30年前が・・・太陽を盗んだ男が焦る脳裏を傷める・・・・・・
40分が過ぎて灯りが落ちた!

歓喜と悲鳴の中、まったく予想していないなかったジャンピン・ジャック・フラッシュのあまりにも身体が覚えているキースのイントロから始まりミックがステージでイキナリ足を叩き腰をくねらし腕で指でなんども何度も突き刺し手を打つ!!!
前の日仲間内のライブでJJFを演ってきて一発目から・・・・・・
Jumpin’Jack Flash It’a gas,gas,gas・・・・・・
なんか解らないけど鳥肌が立ち身体の表面が冷たく身体の中が熱くその熱さが目頭を襲う!
そんな状態で・・・Jumpin’Jack Flash It’a gas,gas,gas・・・・・・をステージのミックと叫ぶ!

ミックの「サンキュ!」チャーリーがドラム叩いて2曲目 VOODOO LOUNGE から「ユー・ガット・ミー・ロッキング」がつづく
この曲はストーンズの歴史からすれば新しい曲なのになんとも馴染めるストーンズらしい曲だ。
ミックの動きとキースのギタープレイを追ってミックの鮮やかなブルーのジャケットとキースのバンダナが同系色に嬉しさがたかまる。
途中ミックとロニーが接触してミックがロニーに肩で体当たり・・・愛嬌だ!
  (最終大阪ではキースとミックが・・・愛嬌を通り越したらしい)
曲が終わりミックが「マタ、トウキョウニコレテウレシイ!・・初めての武道館・・・」

3曲目LET IT BLEEDからリヴ・ウィズ・ミーを紹介してミックはジャケットを脱ぎ捨て歌いだす。
四つ区切りのスクリーンにチャーリー、キース、ミック、ロニーが映される。
それぞれの表情は若々しくカッコ良い!
間奏では LET IT BLEED でサックスを吹いたボビー・キーズが四つの画面を占領する・・・・みんな元気だ!

一度灯りが落ちてなんとも素敵なフレーズとともにミックがロニーのスライドの心地よさに生き生きとアコースティクギターでリズムを刻んでアルバムLET IT BLEEDから4曲目レット・イット・ブリードの客席との大合唱だ!
この辺でやっと呼吸出来たような気がした、それまでただ“感激”で空気を吸うことさへ忘れていたかのような時間だった気がする。

「コノキョクハ、ノー・エクスペクテーションズ」
5曲目はマサカ聴けると思わなかった BEGGARS BANQUET からのノー・エクスペクテーションズだ!
ロニーがギターを寝かしてスライドさせる・・・・・間違いでもいいからブライアンで聴けたらと想ってしまう・・・
こんなシンプルなブルースこそストーンズの始まりだったんだと思うと静かな曲なのに又目頭が熱くなってしまった。


ミックの掛け声と「ロックス・オフ!」でキースのギターが短く馴染みのイントロを弾く。
6曲目は EXILE ON MAIN ST, からトップのロックス・オフをミックがシャツをひるがえし・・脱ぎ捨てステージを右へ左へロックン・ルールして客席を覗き込みミックならではの挑発で一万人の目を集める!
「ミンナ サイコウ!」

少し間があり「・・・・・・エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラブ」
確かに聞こえて・・エッ!と思うと同時にカウントが ワン トゥ スリー フォー
鳥肌とともにあのテンポの手拍子で・・・・スクリーンがモノクロのミックを追うストーンズを映し出しそこに雨を降らして・・・・
ミックに指を指され・・・・・アニ ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!アニ ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!・・・・・・・
7曲目は THE ROLLING STTONES NO,2 1曲目エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラブ 
ブライアンのいたストーンズの定番カヴァーが聴けた、最高だ!
感傷的にさえなったエヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラブが終わる・・・・・

スクリーンにアリーナが映る・・・・
「・・・タカソウナ フクダネ!・・・」
前の日ストーンズを演った時、ミックの記者会見をネタに「ミックと私の共通点は語学力です・・・」
自分に反省のミックの勉強したリップサービスに脱帽だ!
灯りが落とされてミックがキーボードを軽く叩きながらファルセットで8曲目は TATTOO YOU からウォリッド・アバウト・ユーのプレイ
ベェービー!・・・・あまりにも官能的な叫びと囁きにロニーのギターフレーズがいやらしく絡む・・・・キースが絡んで・・・
たまらない!

キースがミックが怪しげにギターとハープを鳴らして・・・・8曲目 LET IT BLEED からミッドナイト・ランブラーが始まる・・・・
全てのプレーヤーがオーディエンスがミックのハープとキースの膝にのせられたギターに導かれ異時空間へ入り込む・・・・
淫らにくねるミックの存在は神なのか悪魔なのか・・・・・気だるく叫ぶ!
毒していく・・・毒されていく・・・・宴の中にエクスタシーが波打たれる。
ストーンズの全ての要素が 妖しく 切なく リズムを変え テンポを変えてトリップさせる・・・・
LET IT BLEED のミッドナイト・ランブラーを遥かに越えたミッドナイト・ランブラーが終わる・・・・・

メンバー紹介

最後にミックから紹介されたキースが唄いだす・・・・ギターをいたわるかのように独特のキース節で10曲目のナンバーは STEEL WHEELS ラストナンバー スリッピング・アウェイ!
ソウルフルに温かく切なく・・・・キースが穏やかに微笑む・・・・チビリそうだ・・・


11曲目キースのロックンロールは SOME GLRLS からビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン。
この日のソロはなんとも心地よく伝わってきた・・・両手を広げてのエンディングはキースも満足げに映った!最高!!

シンプルでストレートな弾きとYou can start me upのアクションで後半のスタートだ!
12曲目 TATTOO YOU からのスタート・ミー・アップは真赤なシャツで現れたミックとともに止まらないストーンズのエネルギッシュなナンバーの幕開けに準備されてミックのパフォーマンスが武道館に集まった者全てを動かす!
動く! 叫ぶ! 全ての腕がミックを指し天井へ伸びる・・・ start me up!!!

掛け声を交わして13曲目 IT'S ONLY ROCK'N ROLL からタイトル曲イッツ・オンりー・ロックンロールだ。
赤いシャツの前をはだかせ真赤なベロを見え隠れさせてミックがロックンロールする。
キースがロニーがチャーリーがノリノリ!そして何よりミックと共に武道館全部がノリまくる。
ミックの「I like」につづく一万人のit’s only rock'n'rollの大合唱は凄まじい叫びとなって武道館をゆらす。

シャツを脱いで全面のベロを露出したミックの14曲目「ロック・ミー・ベイビー」の紹介でキースのブルージーなギターが音を出す。
これでもかとストーンズ流ブルースは最高だ!

15曲目に STICKY FINGERS からキャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキングを持ってきた!
凄いことだ。
パーカッションがその世界の路を開けると ボビーのサックスがミックのハープがロニーのギターが危なくも淫靡な世界へ引きずり込む・・・・・
酔わされ酔いしれ幻覚を見るようだ・・・・・
そして目を覚ませとばかりに終わる。

「ミンナ ヨウイハ イイカ?」   イッエィー!
あまりにもホンキートンクなイントロと共に16曲目はホンキー・トンク・ウイメン
オープンGが誘う酒場女はトップレスで真赤な唇からはいでた真赤なベロに戯れる
キースのブルージーなギターにチャック・リヴェラのホンキートンクなピアノに刺激されミックがリサを後からなでる・・・
トップレス女はベロにまたがりロデオでイキまくり!堪能な表情でしゃぶる!
そして最後には溺れるように喘ぎながら飲みこまれた・・・・・・・・

スクリーンに映された女性へ「カワイイヨ!・・・アトデドゥオ?・・・」・・・・・・
ナンパだ!
17曲目は EXILE ON MAIN ST, から定番ダイスをころがせだ。
キースがミックがスキップして見る者!演る者!みんなが楽しんでる!歓んでる!
独特なリフに手を鳴らし歌詞をミックと夢中になぞる。

掛け声からここまで手を叩き!足を鳴らし!踊り!叫び!唄い!鳥肌を立て!汗を流し!感情を剥き出しにしてきた!
それをさらにヒートアップさせるイントロがキースのギターから発しられた。
18曲目は奴らも俺らも衰えるどころか神にもらったエネルギーでより高く極みの世界へジャンプさせる STICKY FINGERS のブラウン・シュガー!
神に取り付かれていたと思う! 奴らにならどうされたっていい! ここで奴らと叫べただけでいい!
なんて凄いんだ!・・・・・
最高!!!

ステージからプレーヤーが消える最高の笑顔でチャーリーがロニーがキースがそしてミックがそれぞれ手を振り姿を隠した。

手拍子と歓声と叫びと口笛が奴らを引き戻す為に鳴らされる・・・・・・・・

もっとも馴染んだもっともカッコ良いサティスファクションのイントロをキースが鳴らした!
真赤な紙吹雪が噴出され何万匹の蝶のように舞うその中でミックがブルーのシャツを乱して乱舞する!
♪ I can’t get no satisfaction I can’t get no satisfaction・・・・・・
・・・・・・・・・I can’t get no Oh,no,no,no Hey hey hey That's what I say・・・・・・・・
武道館が乱舞した!!!!!

一発目からパワフルにエネルギッシュに爆発しつづけた奴らは2時間燃えさかり燃えつきることなくフロントで肩をくみ、深深と頭をさげた。
サポートメンバーがストーンズを残してステージを後にした。

キースがミックの肩を抱くロニーがそこへ絡みつきキースとロニーがミックにKissをしてチャーリーが加わり最後のお辞儀で離れた。
最後にミックがもう一度振り返り笑顔で両手を上げた。
ブルーのシャツを最後までカッコ良く淫らにゆらし背中を見せて・・・ドラムとアンプの間の消えた・・・・・・



ストーンズの一回きりの武道館が終わった!
武道館でストーンズを観た!
武道館でストーンズが演った!
最高だった!

30年の夢が叶った!


Gimme Shelter 《ギミー・シェルター》

1960年代を終わろうとしている頃、ロック界では大規模なフェスティヴァルが数多く開かれていた。
それは若者が大人社会への反抗、決別から時代が生んでしまった自由という現象の一つの結末へ速い速度で向かうものであったのかもしれないと後にして思えるものであった。
1960年代初め、ある精神科医がLSDを使った精神療法(サイケデリック・セラピー)を考案する、そのLSDは芸術アーティスト達にさらなる想像力の高まりを与えるドラッグとして蔓延していく。
1960年代後半アメリカで既成の価値観にとらわれることなく赴くままに放浪する人々は、好んでドラックを使い幻覚の世界をも放浪していた。
社会から叉、自らをヒッピーと称し「ラブ&ピース」をスローガンに掲げ、ベトナム戦争反対、ドラッグ解禁などを訴え、集会を開くようになり、サイケデリックなフラワームーヴメントはパワーを増殖し、サンフランシスコを中心にその現象は彼らが好んだロック音楽とともに、世界へ発信されていく。
ロックアーティスト達も幻覚状態を引き起こすサイケデリックな音楽を作りフェスティヴァルでプレーしアーティスト達自らもトリップしていた。
そんな時代を背景にウッドストックが開かれ、そのウッドストックに声のかからなかったストーンズは69年11月から全米をツアー中でこのツアーでライブ盤のリリースとコンサートの記録をフィルムに残すことを計画していた。
そしてツアーの最後に大規模なフリーコンサートの開催を発表した。

この映画を初めて見たのはS47(1972)年の初めだったと思う。
今でもこの映画を思い出すとき、その頃新宿で見た同世代の若者達が蘇る。
ヒッピーとは意味合いが違うであろう無気力な・フーテン族・が街角、路上でビニールの袋へ入れたシンナーを吸っている、とがめる者もないまま異様な雰囲気を漂わせていた、その一方で、もう一つのアメリカ文化〈マクドナルド〉が不思議な活気ある風景となってその頃初めて体験する東京として記憶されているからである。
当時はまだまだ動くストーンズを見るどころか、写真、活字さえ少なく、映画ギミーシェルターのことも2年も前のストーンズのコンサートでメンバーの目の前で観客の一人が殺された場面が写っている記録映画で全編ストーンズの演奏が見れる、その程度の乏しい知識しかないにもかかわらず、
動くミック、プレーする大好きなストーンズが見れる!その想いの嬉しさで映画館へ。
しかし、そんな想いで
最高の興奮と喜びを感じたのはジャンピンジャックフラッシュが終わるそのときまでだったことを覚えている。

  

映画ギミー・シェルターは11月28日のMSGのジャンピン・ジャック・フラッシュからスタートする。
星条旗で作られた山高帽、ギリシャ文字のオメガをプリントしたTシャツ、太いベルト、マントにさえ見える長めのケープをひるがえさせ全身を黒で統一したミックは一つ手を打ちその手を頭上に掲げ、腰をグラウンドさせて歌いだす。
今でもあのミックのカッコ良さだけが、ギミー・シェルターの記憶として残っている。
そのステージの様子が小さくなってモニターの中に閉じ込められると、フィルムの編集作業が行われる部屋の強がりと重苦しさ、フリーコンサートの決定に至る短い時間の焦りと不安、そして強引傲慢苦悩がストーンズのプレイを小さな箱の中へ押し込んでは途切れ途切れに出されて編集室がむしろ重要性をまして展開していく。
幾たびかステージに戻されたスクリーンは目の前でプレーするそのままのストーンズではなくいくつか起こるトラブルを追うだけになってしまう。

全米各地のでのステージをはさみながら、勢いづくミックの記者会見、フリーコンサートの決定過程、ストーンズの移動、そしてすべてが終わった後のストーンズの表情が凄いギャップを見せつけ、交差させる。
そして、ストリート・ファインティングン・マンが終わると、おもいおもいのスタイルで歴史への参加者がたどり着いたオルタモントへストーンズが入る。
ヘリを降りたミックが殴られる。
開演までの時間を自由に過す30万人のそれぞれが映される。
治安サービスのヘルス・エンジェルスがステージの潤滑な進行を促す。
スタートしたステージも客席もテンションを高めていく、ドラッグ、アルコール、ロックサウンドが渦巻く中、幾つかの暴力が観客とヘルス・エンジェルス達により発生する。
中断、中止の危機を30万のパワーがストーンズをステージに上げる。
演奏が始まった〈悪魔を憐れむ歌〉はあっという間に、ステージと客席の境を無くし中断する、ミックの言葉に錯覚に過ぎない落ち着きを戻して、再び曲はスタートする。

ミックは戸惑いながらも、必死でミック・ジャガーになりきり〈悪魔を憐れむ歌〉を歌いきる。

一つになり楽しむことを客席に、ヘルス・エンジェルスに呼びかけ、〈アンダー・マイ・サム〉が演奏されるがミックのボーカルの変化は気づかせることはないが、明らかな変化を表情に見せ始めた気がした。
そして悲劇がスクリーンに映し出され、編集室に、そこでストップモーションで悲劇は繰り返され、検証される。
その瞬間、放心状態にさえ見えるミック・ジャガーを印象付けて、画面はステージに戻され、直後、会場を逃げるようにメンバー、スタッフを乗せたヘリが飛び立つ。
編集室に戻された映像には、ため息混じりに立ち上がるミックが映され、今までにない表情でアップにされ、ストップさせ、〈ギミー・シェルター〉が流される中、解放された30万人の家路が映され、映画は終わる。

      

これが映画ならではの角度、作りなのか?
そう思えば、「フィクションの面白さで展開する現実の姿をうつすもっとも納得のいく作品である」と高い評価を得たことを理解できたかもしれないが、とにかく当時は単純だった。
目の前で演奏する動くストーンズと沢山のストーンズナンバーが見れて聴けるはずの映画ギミーシェルターは、当時の自分にはノリきれないまま、不満だらけのストーンズの記憶だけを残してしまった。
それでもその日は一日映画館に陣取り三回見て映画館をでた。
30年経って、ギミー・シェルターを見たとき、60年代最後に起きてしまった悲劇は、起こるべくして起きたことであり、その体験が、ミックをストーンズを滅びるロックバンドを救ったのかもしれないと思った。
我武者羅、好き放題なミックは、サイケデリック空間に片足突っ込んだところで、落ちてしまった、ブライアン・ジョーンズ、ジミヘン、ジム・モリソン、ジャニス等につづくことなく、這い上がり、ストーンズを計算して演じるバンドに変化させ始めたのかもしれないと思わせた。
我武者羅好き放題はスタイルとして残し、それを境に、すべては確かな計算の上で体制への何かでなく、ショービジネスとしてのロックへ、大人になったミックジャガーがストーンズが先導し、歩き出している。
60年代最後のフェスティバルが何かを変えたのは確かである。
映画を見た、その年の最後にストーンズの日本公演(1973年1月28日〜2月1日)が発表され、年が変わり、60年代の我武者羅好き放題が原因で中止が発表された。
その時ストーンズは60年代の影に引きずられることなどないタフなバンドになり、転がりつづけている、ただ日本がそれを理解するほどタフでなかったのかもしれない。

JUMPIN’ JACK FLASH 《ジャンピン・ジャック・フラッシュ》

       


もしかして、心身最悪の状態でも、ジャンピン・ジャック・フラッシュのイントロが聴こえれば、
俺はきっと稲妻野郎になって、立ち上がれるのではないかと思う。
ストーンズが耳元で演ってくれたら、俺は稲妻野郎になって、ミックの One!Two!で、
止まった心臓さえ動き出すのだと思う。

冗談
でなくそう思う、それほど《ジャンピン・ジャック・フラッシュ》はカッコ良く、元気をもらえる曲である。


悪魔化したジャンピン・ジャック・フラッシュのローリングストーンズ

ジャンピン・ジャック・フラッシュが作られた頃、ストーンズは世界中でビートルズと人気を二分する存在であった。
ストーンズの演れる全てが成功を収め、レコード制作、ライブ活動等の順調すぎるゆへの落とし穴へ、足を踏み入れ始めることになる時期も叉、この頃であったと思う。
その現れは、当時の若者文化に自然と時代が以降していく、LSDなどのドラックが引き起こす幻覚的なサイケデリック現象の渦であった。
ストーンズは、先頭を走ることを義務づけられ、粋がざるを得なければならない位置にいたのである。
凄まじい社会の移り変わりが多数の社会現象となって起こり始めた、大人社会と若者社会のギャップをお互いに埋めることを拒み、お互いの社会を正当化しようとする断絶の始まりであったことを後にして思える。
ビートルズは実験的に幾つもの行動、レコード制作を試み、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドを完成させていた、ストーンズは次のアイデアが出せないでいたのだと思う。
そしてストーンズは決して似合っているとは思えない衣装を身にまとい、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドを意識せざるを得ない《サタニック・マジェスティーズ》を制作する、全てにメークを施し、新しいものを寄せ集め貼り付け、よりビートルズより品悪く振舞うことを無理に実行した結果出来た1枚であったのは事実だったのかもしれない?
そんなサタニック・マジェスティーズを発表して、なにかの違いを感じたストーンズは軌道修正を早い時期に実行したのだと思う。
次のアルバム作りに取り掛かったメンバーは本来のストーンズに戻す作業として、本質的なロックンロールなハートで《
ベガーズ・バンケット》の制作セッションに入る。
身体に根付くロックンロール魂を蘇らせた時の自分達への答えが《ジャンピン・ジャック・フラッシュ》を作らせた。

          

凄くシンプルにギターが弾けて、ベースが絡みドラムが叩かれミックのOne!Two!。
ジャンピン・ジャック・フラッシュのスタートは、例えるものが探せないカッコ良さで始まる。
このリフはビルが思いついたものをキースがストーンズ・サウンドとして仕上げた。
ジャンピン・ジャック・フラッシュはベガーズ・バンケットの1曲となる予定であったが、ジャケットトラブルなどがあって遅れることになる、ブライアンはその間にシングルとしてチャイルド・オブ・ザ・ムーンのリリースを提案するが、ミックとキースは完成させたジャンピン・ジャック・フラッシュをA面にしリリースさせた。
B面に追いやられたチャイルド・オブ・ザ・ムーンもジャガー/リチャードの作品でキースはこの曲でオープンチューニングを新しい技として披露した。
ブライアンの居場所が叉狭くなってしまったが、ジャンピン・ジャック・フラッシュはそれでもシングルジャケットの中央にブライアンを置き、1968年5月に発表された。
英国1位、米国3位のヒットとなり
、1967年のヨーロッパツアー後ライブ活動を停止していたストーンズがライブ再開を発表し結果的にブライアン追悼コンサート〔ハイド・パーク〕以後、いつ演るライブでも演奏するナンバーとなり、そのつど演奏される《ジャンピン・ジャック・フラッシュ》はその度に最高の感動とパフォーマンスでストーンズは聴く者、見る者を興奮させつづけている。

悪魔にも天使にも容易く導いてくれる《ジャンピン・ジャック・フラッシュ》は
その後のストーンズの方向性を確立した最高のナンバーだ!!


AFTERMATH 《アフターマス》

 

ストーンズは1962年6月チャックベリーのナンバー*カム・オン*のカバーでレコードデビューをする、2曲目でレノン・マッカートニーの*彼氏になりたい*を取り上げ64年4月にファーストアルバムにジャガー・リチャード初のオリジナルとして*テルミー*を発表、ストーンズ、シングルA面初のオリジナル*ザ・ラストタイム*を65年2月に発売、初のbPを獲得しつづく*サティスファクション*クモとハエ*はAB面初のオリジナルシングルとして発表され*サティスファクション*は初期のストーンズの代表曲となる、オリジナル曲でいける事に自信をつけて66年4月レノン・マッカートニー、ピートタウンゼント・レイデイヴィスに優るソングライターとして全曲ジャガー・リチャードによるアフターマスを発表する。
いきなり「老いるのは嫌だ」とミックならではの爬虫類的な口のひらきを感じさせて始まる*マザーズ・リトル・ヘルパー*母親の逃げ場を世代のギャップ、家族の苛立ちを叫ぶ、ブライアンの存在が見えるシタールが曲に呪いをかけるようなストーンズがストーンズを意識した1曲目である。
2曲目*ステュピット・ガール*図太い女を裏がありそうで実はそれほど隠すことなくそのままを書き唄う、こんなシンプルなR&Rがストーンズの下地になっているのだと思う。
初期スローナンバー*アズ・ティアーズ・ゴーバイ*と並ぶ名曲*レディー・ジェーン*ブライアンの奏でるダルシマーがミックの女好きの清算を、さも本当のことのように美しく包むラブソングである、決してミックは清算することはしない女好きではあるのですが?

       

女をもてあそぶストーンズ、軽くあしらうようにミックがチャカす、ブライアンがミックに背を向けマリンバを打ち続ける*アンダー・マイ・サム*もしかしたらこのときがストーンズのリーダーはブライアンからミックに移ったであろうことを示し、これこそがアフターマス《余波》であったのではないかと思う、呪われたかのようにオルタモントの悲劇はこの曲の演奏中の出来事であった。
スライドギターからミックのボーカルへの入り、ブルースハープなどは、ずっとストーンズが身体に染み付けてきたから簡単に出来てしまうそれらしいブルースするナンバーである5曲目*邪魔をするなよ*
アメリカ女を征服して故郷女に戻る様を簡単に歌いはじめてアメリカ女の捨てがたい思いをロンドン女への想いに移すにはこの長さ歌う必要は当然あるわけで、ミックの表情の激しい変化が聴いているだけで卑猥な移り変わりを窺わせまだまだ叫びつづけてほしいと想わせるナンバーである。
軽くおどけたようなリズムで飛行機のアクシデントを淡々と歌う*フライト505*飛行機事故で亡くしたポップスターへ想いを寄せていたようである。
8曲目の*ハイ・アンド・ドライ*はカントリーブルースフォーク調のアメリカ音楽をストーンズ流に解釈したプレーを難無く聴かせる。
ミディアムテンポからアップさせるテンポが身体を動かし・・・・baby baby baby youre out of time・・・・どうしてもこれは発音がでたらめでもコーラスに参加してしまうご機嫌なナンバーでズーット歌いつづけていたい衝動に身体が反応しつづけてしまう*アウト・オブ・タイム*である。
ミックとキースの憧れチャクベリー的R&Rのシンプルさが際立つ10曲目*イッツ・ノット・イージー*
11曲目*アイ・アム・ウェイティング*ブライアンのダルシマーとミックのボーカルが優しく不思議な雰囲気を演じる単調に流されそうになって盛り上げを忘れないところがストーンズを感じる。
アメリカの音楽をイギリスで生れた若者達が征服した後アメリカ音楽を外してみた感じの*テイク・イット・オア・リーヴ・イット*日本のGSに通じるメロディーが良いのです。
13曲目*シンク*ラスト曲*ホワット・トゥ・ドウ*アルバムを色々な形で作る時、曲の並びはかなり重要なはずである、それをまだそれほど意識されることなく作られたことを感じてしまう2曲ではあるが最後までミックとキースが短い時間で書いてくれたストーンズの曲である。
     A面                  B面
 
  1 マザーリトル・ヘルパー     1 フライト 505
  2 ステュピッド・ガール       2 ハイ・アンド・ドライ
  3 レディ・ジェーン          3 アウト・オブ・タイム
  4 アンダー・マイサム        4 イッツ・ノット・イージー
  5 邪魔をするなよ          5 アイ・アム・ウェイティング
  6 ゴーイン・ホーム         6 テイク・イット・オア・リーヴ・イット
                       7 シンク
                       8 ホワット・トゥ・ドウ




もし、ソングライターにブライアン・ジョーンズがクレジットされていればブライアンは死ぬこともなかったのかもしれない、幾つもの楽器をこなしミックとキースに、ストーンズ風ブルースを叩き込んだブライアンに曲を書く才能がなかったとはどうしても思えないのであるがブライアンの作品は無い、ストーンズ最大の余波が発生することになってしまった*アフターマス*は完全ジャガー/リチャードのオリジナル盤であり、よりポップになることを暗示させて、ブライアンはセンターの位置を失った。

*BLACK BOX*というブートレグの*Hear It*にJones/Richardsとある。