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作家紹介

永楽即全
(16代
永楽善五郎)
京都市に生まれる。父は15代永楽正全。
父亡き後、昭和9年に善五郎を襲名する。11年三井高棟の大磯城山荘内に城山窯を築窯し、京都と往復する。34年結成の京都伝統陶芸協会初代会長。三千家の職方として務めをはたすとともに、千家十職による千松会や十備会に出品。近代最高の名工。

当代は17代。
河井 武一 河井寛次郎の甥で寛次郎に師事、後継者となる。
もっとも寛次郎に近い作品を作った
須田 菁華 初代須田菁華は1880年(明治13)、石川県勧業試験場・陶画
部卒、京都にて製陶を学ぶ。1883年九谷陶器会社入社、
画工長。1891年九谷陶器会社解散後、1906年に菁華窯開窯。
かの魯山人が「やきもの」を学んだのが九谷の「須田窯」(初代)。
金沢の山代温泉に窯と販売店があります。
現在の須田菁華は4代目で、いわゆる古九谷の流れ。
杉本 貞光
1935年 東京に生まれる
1968年 信楽山中に穴窯築窯
茶陶信楽とレリーフ制作開始
1974年 大徳寺立花大亀老師よりご教導を受け今日に至る
沖縄海洋博にレリーフ制作(レリーフ活動を終える)
1979年 茶陶伊賀の研究制作を開始
大徳寺・如意庵にて個展
日本橋・壺中居にて個展
以後各地に於いて個展活動、現在に至る
1981年 長次郎風の黒茶碗、光悦風の赤茶碗の研究制作を開始
1985年 高麗物、井戸、粉引の研究制作を開始
1995年 自然灰釉による彫塑の制作発表
1997年 施釉による彫塑の制作発表
光悦風白茶碗の制作発表
2000年 古信楽土再発見及び研究、制作発表
石黒 宗麿 富山県射水郡作道村(現在新湊)に生まれ、京都で歿。
1912年慶応義塾大学普通部を中退して汽船会社に勤務。
1916年生家で楽焼を試みて陶芸に興味を抱く。1919年上京して
渋谷区松涛に楽焼窯を築き作陶。以後、1922年福島県白河,
1923年埼玉県小川町,1925年石川県金沢,1927年京都市東山区
今熊野南日吉町と次々に仕事場を移していった。1929年はじめて
唐津に赴き古唐津について学ぶ。1935年京都市八瀬近衛町に
陶房を築き、定住。1937年パリ万国博に「唐津風大鉢」を出品し
銀賞。1940年木の葉天目の焼成に成功、翌1941年には柿天目・
黒定・河南天目といった宋磁の技法を確立。同年商工展商工大臣
賞受賞。1953年天目釉によって文化財保持者に認定、
1955年には鉄釉陶器にて重要無形文化財保持者に認定される。
同年、日本工芸会の結成に参加、理事に就く。
1968年6月3日逝去。
清水 卯一 京都市東山区生五条に生まれる。生家は五条坂の京焼陶磁器
卸問屋。1940年立命館商業学校を中退して石黒宗麿に師事、
中国陶磁について学ぶ。1941年国立京都陶磁試験場伝習生と
なる。1943年京都市立工業研究所窯業部助手を勤める。1945年
研究所を辞し、自宅を陶房として本格的に作陶をはじめる。
1951年第7回日展に「柚子肌釉大皿」が初入選。1953年現代日本
陶芸展で朝日新聞社賞(以後4年連続)、1955年日本陶磁協会
より最優秀作家賞を受け、1960年第7回日本伝統工芸展にて
「鉄釉大鉢と小鉢」が高松宮総裁賞を受賞。また、海外においても
1958年「柿釉深鉢」でブリュッセル万国博グランプリを受けたのを
皮切りに、多くの受賞を重ね国際的にも認められた活躍をみせて
いる。1970年京都五条坂より滋賀県湖西の蓬莱山麓に陶房を
移し、築窯。初期の柿天目そして貫入が見られる青磁から、
蓬莱山の土を活かし青白磁に近い蓬莱磁・鉄燿をいった新しい
作風へと移りかわる。1977年日本陶磁協会金賞。
1985年鉄釉陶器により重要無形文化財保持者に認定。
2004年2月死去。
聞慶陶窯 陶芸家 千漢鳳氏は「聞慶陶窯」の唯一なる巨匠である。
彼は1993年に生まれ、慶尚北道聞慶にて16歳の時から
陶工の見習い入りをし、その後、聞慶窯で高麗朝と朝鮮朝の
伝統陶芸の本流を継承され、今日、韓国茶器陶芸界の第一人者
として名実ともにその名も高く、大家の座を築き上げられている
渡辺 清 安永7年(1778)〜文久元年(1861)
縫箔を生業とする利平の子として名古屋本町に生まれる。
通称、太助、別号に周渓、雪朝斎など。復古大和絵派の絵師。
はじめ吉川英信について狩野派を学ぶが、のち京都に出て、
田中訥言、土佐光貞に大和絵を学ぶ。同派は名古屋出身の
田中訥言によって始められた流派で、平安、鎌倉時代の絵巻物
などに見られる優れた大和絵の伝統の復活をめざした。
繊細秀麗な筆致と彩色の巧妙、卓越した意匠で世に知られる。
後に名古屋にもどり大和絵一派を築く。
木村 盛伸 京都府指定無形文化財
1932年 京都市に生まれる
兄盛和、清水卯一の薫陶を受ける
1958年 第5回日本伝統工芸展「壷」初入選
1959年 第8回朝日現代陶芸展「銘々皿」第3席
近畿支部第1回日本工芸会展「大皿」日経奨励賞
1960年 日本工芸会正会員に推される
1961年 近畿支部第3回日本伝統工芸展「粉引壷」日経賞
外務省「粉引壷」買い上げ(62年)
1967年 左京区岩倉に木野窯を築く
第20回京都工芸美術展「小鉢」奨励賞
1972年 近畿支部第1回日本工芸会展「白掻落壷」日経奨励賞
1973年 京都国立近代美術館「現代工芸の鳥瞰」展
1976年 京都国立近代美術館「白掻落草文壷」収蔵
京都朝日画廊で個展
大阪高島屋で個展(81、83、91年)
1981年 京都市立美術館「陶芸12人」展
1986年 東京日本橋三越で個展
1992年 京都府指定無形文化財保持者
今井 政之 広島県生まれ
1954年 日展初入選
1959年 日展特選北斗賞受賞
1963 日展特選北斗賞受賞、日本現代工芸展会員賞受賞
1964年 京展審査員、日本現代工芸展審査員
日本陶磁協会賞受賞
1965 日展審査員(以後3回)
1974年 第4回フランスバロリス国際陶芸展最高大賞受賞
日本陶芸展招待出品
1976 日展評議員
1979年 日本新工芸創立展審査員
1991 日工会展内閣総理大臣賞受賞、広島文化賞受賞
1993年 京都府文化賞功労賞受賞
1994 京都市文化功労者表彰
1995年 毎日芸術賞受賞、日工会常務理事
1998 日本芸術院賞受賞、日展理事
  コレクション
京都国立近代美術館/京都府/京都市美術館
/国立国際美術館
現 在 日展理事/IAC会員/大阪市立美術館運営委員
小山 冨士夫 明治33年生。昭和50年没。岡山県出身。
京都で真清水蔵六に師事。その後、古陶磁研究に従事し、
日本や中国各地の古窯址を調査。
戦後は東京国立博物館、文化財保護委員会に勤務し、
陶磁研究の第一人者として活躍。晩年、再び作陶生活に入り、
自由奔放でバリエーション豊かな作品を数多く残す。
作陶以外でも窯の発掘や、伝統工芸の育成にも尽力し
世界的な陶磁学者としても名高い。
三浦 小平二
昭和8年 新潟県生まれ。三浦小平の長男。
  祖父は三代・三浦常山。
昭和30年 加藤土師萌氏に師事
昭和37年 第10回現代日本陶芸展、朝日新聞社賞受賞
昭和42年 第7回伝統工芸新作展、優秀賞受賞
昭和47年 故宮博物院にて青磁、赤絵を学ぶ。
昭和48年 父小平死亡により佐渡小平窯を継ぐ。
昭和51年 第23回日本伝統工芸展、文部大臣賞受賞
昭和52年 51年度日本陶磁協会賞受賞
昭和61年 日本工芸会理事
平成5年 平成4年度、日本陶磁協会金賞受賞、日本伝統工芸展特待者になる。
平成6年 MOA美術館、工芸大賞受賞。新潟日報文化賞受賞
平成7年 第42回日本伝統工芸展、保持者賞受賞
平成8年 紫綬褒章受章
平成9年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。第44回日本伝統工芸展鑑審査委員。IAC(国際陶芸アカデミー)会員に推薦される。
豊場 惺也
昭和17年 刀剣鑑定家豊場重春の四男として名古屋市に生まれる
昭和35年 名古屋市立工芸高校木工科を卒業
人間国宝荒川豊蔵先生に師事
昭和49年 岐阜県可児市久々利大萓に穴窯を築窯し、窯下窯として独立
昭和50年 登窯を築窯
昭和52年 名古屋にて初個展、以後、各地にて個展
荒川豊蔵先生の下、互窯会を結成
以後、各地にてグループ展
以後、 高島屋各店、日本橋三越、銀座和光、
ヤーンギャラリー(ドイツ)などにて個展
上田 恒次 1914年生−1987年没
1914年 京都の呉服商「松屋」の次男に生まれる。

1923年

兄より富本憲吉著『窯遍雑記』を与えられ陶工を志す。
1927年 京都市立第二工業学校 陶磁器科入学。
1945年 京都市左京区に「木野皿山窯」を築窯。
1955年 河井寛次郎の練上手の助手を2年間務め、終る際この技法を次ぐことを許される。
1962年 東京日本橋三越本店美術部にて第1回個展を開催。以降各地で開催。
1963年 国立近代美術館主催「現代国際陶芸展」に招待出品。
1974年 富本憲吉記念館の設計および工事を監督。
岩倉山 吉兵衛 宝暦6年(1756年)将軍家御用焼物師の三文字屋九右衛門の
子孫が衰退したため、粟田口陶家の最高地位を継いだのが
錦光山吉兵衛と岩倉山吉兵衛とされている。
天保14年(1843年)粟田東側に築窯している。
仁清の窯跡のひとつとして左京区岩倉の地も数えられるが、
岩倉家の祖先はここから出たのではないか、
または洛北の御菩薩池焼と作風が似ていることから、
この末裔であったなど、諸説がある。
作風はしゃれた色絵、錆絵、染付を基調としている。
幕末の吉兵衛は粟田東町に住み、文久2年(1862年)没。
その子文作はやはり吉兵衛を襲名し継承したが、
明治7年(1874年)44歳の若さで没しており、
未亡人らくが継いだが途絶えてしまった。
徳田 八十吉
(二代)

明治40年(1907年)
石川県能美郡辰口町宮竹の醤油商「雲戸家」の
五男に生まれる。
無形文化財資格者「初代徳田八十吉」の養子となる。

昭和4年
(
1929)
小松町産業研究生として、京都国立陶磁器試験場に派遣される。
昭和11年
(1936
)
家業に従事の傍ら7年間、
富本憲吉に陶画を学ぶ。
昭和25年
(1950)
裏千家淡々斎宗匠より
「柳陶斎」の屋号を受ける。
高村豊周に師事し「紫苑」の号を受ける。
昭和29年
(
1954)
無形文化財工人社同人に推薦される。
昭31年
(
1956)
徳田魁星として活躍していたが二代八十吉を襲名。
昭和50年
(1975)
石川県指定無形文化財に認定される。
昭和53年
(
1978)
勲四等瑞宝章を受章する。
平成9年
(1997)
74歳没。