■正馬様研究所
☆ 経過
1995年8月21日 突然の研究所計画発表
・市民団体・・・学習会、県・市長との交渉、瑞浪市を中心とした署名活動
・瑞浪市住民団体・・・条例制定を求めて直請求
超深地層研究所計画の協定書の調印の一時凍結の賛否を問う住民投票
条例制定の直接請求
・月吉区住民 ・・・月吉区・超深地層研究所対策委員会を設置
反対運動・・・処分場がよそに決まるまで研究所を受け入れない。
研究所の窓口を対策委員会1つに絞った。
対策委員会が研究所の進入路となる土地の地権者から進入路に対する
交渉の委任状を受け取る
請願署名 中学生以上の区民の97%が研究所建設に反対
その後一貫して研究所建設反対を貫き、進入路を建設させなかった。
研究所の跡利用委員会、安全確認委員会、処分法の説明会などへの
参加を拒否。
<理由>
・研究所と処分場はセットいう動燃(現核燃)の内部文書が存在
・地質データはその地域固有のもの。全く別の地域では活用できない。
研究されたところが処分場となる可能性が高い。
・処分事業者ではない動燃と処分場にしないという協定を結んでも無意味。
<議会の対応>
・区民の請願を多くの議員は否決した。
・市民の約半数の請願を否決
・法的拘束力のない議会の決議 「放射性廃棄物の最終処分場は受け
入れない」によって研究所を受け入れた。
<協定締結>
1995年 12月28日 瑞浪市、土岐市、県、動燃の四者協定締結
御用納めの日にもんじゅナトリウム火災で社会の非難を浴びている動燃と
協定を結んだ。