判決の意義    

                 原告代理人    新海聡弁護士

アッ、予期せぬ出口から出てしまった・・、今回の情報公開の判決についてそんな印象を持った方も多いと思います。核燃の不開示の理屈は世間では全く通用しないことを証明したかった、と意気込んでいたことからみれば、勝訴しても、「目出たさも中くらいなり」というところが実感かもしれない。正直に言えば、代理人の私も不開示理由の合理性について核燃と法廷で論争したかった、という気持ちもあるのです。

だいたい核燃は「正規の業務に関する情報の公開が、核燃に対する信頼を損ねる」などという、秘密結社や犯罪グループでもなければ通用しそうもない奇妙な理屈を公言してはばからない。だってそうでしょう。核燃の理屈は、本来の仕事を公開したらみんな「へぇー、そんなひどい団体だったのか。」と言って核燃に不信感をもつ、というのですから。正直で自虐的という評価は可能かもしれませんが、不開示の正当化の理屈という点からみればナンセンスというほかありません。こういう団体の感覚をすこしでも常識的な線にもってくるためには、裁判所の常識という世間の風に少しでも多く当てるしかない、と思うのです。

さて、今回の判決を見てみましょう。今回の判決は、核燃が不開示決定の際に、どこが公開され、どこが公開されないかすら示していないことが違法無効である、としたのであり、核燃の公開の方法自体、なっていない、としたものです。したがって、核燃の「秘密結社の論理」を直接批判したものではありません。しかし、見方を変えれば、この判決は開示請求したすべての人の利益に適う論理を示した点で、重要です。この判決に従えば、何が開示されるかは開示文書を見なくても概ねわかるようになり、高額なコピー代を払わなくても済むからです。

また、これまでの核燃のやり方のように、どこを開示し、どこを不開示にするか曖昧にすることは、形だけの情報の「公開」、宣伝としての情報の「公開」を可能にしてきました。曖昧な非公開決定は、開示決定のあとでいくらでも情報の非公開を可能にするからです。今回の判決は、こういった核燃のもつ、陰湿な隠蔽体質に対する批判なのです。そういう点で、この判決は核燃だけでなく、「開かれた○○」と声高に叫ぶわりには、実際には何らの重大な情報も公開しない、他の機関等の情報公開のあり方に警鐘を鳴らす意味も持つと考えられるのです。

このように考えると、出口ははじめに予想したところと違うけれども、いつかは獲得しなければならなかった判決と言えるのではないでしょうか。私たちみんな、胸を張れる判決だと思います。

核燃が「秘密結社の論理」を、あくまでも正当だ、と言うなら、この判決に服して、
正々堂々と「秘密結社の論理」の当否を裁判所で論争する途を選ぶべきです。しかし、核燃に堂々とした対応を期待するのは無理な話かもしれません。そうすると、最悪あと5戦、闘う必要があります。しかし、きっと連勝できるでしょう。ぜひ応援してく
ださい。

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