『月姫』は『歌月十夜』よりレンちゃんのSSです。
ネタバレを含みますので未プレイの方はプレイ後お読みになることをお奨めします。
では…。
『犬は忠実。猫は気まま』
どこかでそんな言葉を聞いたことがある。
実際犬と猫の生態を観察してみると、なるほど確かにそうだ。
これには群れを形成する習性が関係するそうだが、そんな詳しい生物学はよく知らない。
問題は、うちの可愛い黒猫が本当に気ままであるということだ。
Willful black cat
今年の暑い夏はもう終わった。
期末試験を乗り越えればさあ夏休みだ、という時期に事故で3日間入院という苦い思い出のある夏だった。
試験受けられなかった為に夏休みに補習があったし。
いや、そんなに悪い夏ではなかったのかもしれない。
アルクェイド達と夏祭りに行く、なんてこともあったし、それに何より…
この夏、俺は新たな出会いをしたのだから。
レン。
それがこの夏出会った子の名前だ。
色々あって今では俺の使い魔になっている。かと言って何をやらせるわけでもない。
ただ一緒にいるだけだ。
だが、一緒にいる上で問題になることがある。
そう、猫はとても気ままなのだ。
「……それで志貴さま、これは一体どういうことですか?」
「何なんだろうね…」
とある休日の朝、翡翠に起こされた後の最初のやりとりがこれである。
俺の部屋にいるのは俺と翡翠……。
そして何故か俺の枕元で丸まって寝ているレンだった。
夢魔とて休息も必要だ。まして俺と一緒に行動するのだから、
必然的に生活サイクルも人間に合わせることになる。
それはレン本人も別に構わないとのことなので問題はないのだが。
「レンさんの寝室はここではないはずですが」
翡翠の無表情に隠された咎める視線が痛い。
レンには専用の部屋が与えられている。
夢魔で使い魔で猫とはいえ少女の姿にもなれる俺の従者だから、
と秋葉がレンが俺の部屋で寝ることを許可しなかったためだ。
従者云々のあたりは翡翠の意見も入っている。
その前に魔を遠野家に住まわせるかどうかという事で議論(というより秋葉が一方的に反対した)
になったが、それは琥珀さんの知謀による助け舟で何とか説得することに成功。
しかし、それには遠野家の生活に合わせる事が条件になってしまったのだ。
「ああ、ごめん翡翠。レンにはちゃんと言っておくよ。だから…」
「はい、秋葉さまには何も言いません」
「ありがとう、助かる」
本当に。最初にこんなことがあった時なんかは本当に死ぬ思いだった。
秋葉、髪を紅くして怒るし。
その時はレンが猫じゃなく人の姿だったのも秋葉の激怒の要因の一つだと思うが。
「じゃあ着替えて一階に行くから、翡翠はもう行っていいよ」
「はい。では失礼します」
翡翠はそう言って一礼した後退室していった。
それを見届けた後、小さく溜息をつく。
「ほらレン。起きろ」
苦笑を浮かべながらレンを軽く抱き上げ、起こす。
そうした俺を待っていたのは、寝ぼけていきなり人型に戻ったレンによるディープキスだった。
「やあ、おはよう秋葉」
挨拶を交わしながら居間に入る。
足元にはレンもついてきている。
そんな俺に返ってきた言葉は、ソファで機嫌悪そうに座っている秋葉の小言だった。
「おはよう、じゃありません! 兄さん、いくら休日だからといって起きるのが遅すぎです」
「遅すぎ…って秋葉、翡翠にはいつも通りに起こしてもらったぞ」
一悶着はあったが。
「翡翠は普段通りに起こしても、兄さんが起きないなら意味はありません。全く兄さんは毎度毎度…」
「そんなこと言われたって…」
ふと壁にかけられた時計に目がいった。
短針は既に11の数字の近くにある。
「翡翠は何度も起こしに行ったそうですよ」
「……ごめんなさい以後努力します…」
俺のその言葉に秋葉はふぅ、と小さく溜息をついた。呆れている様だ。
「それで、俺の朝食は…」
「あるわけないでしょう」
「ごめんなさいねー、志貴さん。秋葉さまのお言いつけですので、お昼まで我慢してくださいー」
居間に入ってきた琥珀さんの声。
台所の方から来たところを見ると、昼食の準備でもしていたのだろう。
「おはよう、琥珀さん」
「おはようございます志貴さん。あはー、でもそろそろ朝も終わりですよー」
笑顔で中々に手厳しいことを言ってくれる。
「もっと言ってやりなさい、琥珀。大体兄さんはいつもいつもだらしないんです。そんなことだから…」
「なーー」
秋葉の小言を遮って俺の足元でレンが一鳴き。
それに応じたかのように秋葉の口が止まる。
「あらレン。いたの」
「レンちゃんは志貴さんにべったりですねー」
その言葉に秋葉はピクリと眉をつり上げた。が、そんな事を気にする琥珀さんでもなく、俺に近付いて
足元のレンを抱き上げようとする。
だが、うちのお嬢さんはその手をするりと抜け出し、秋葉の座っているソファまで行き秋葉の隣に飛び乗った。
そこでまた眠たそうに秋葉にもたれかかって丸まってしまう。
その光景に一瞬皆の表情が固まった。
「あはー、嫌われてしまいましたねー」
「ちぇ」と琥珀さんが冗談じみた拗ね顔をした。
いつも琥珀さんや翡翠に懐いて、秋葉を避けるレンにしては珍しい行動だ。
「ふふ。レンにも人間というものが分かってきたようね」
琥珀さんとは対照的に秋葉は嬉しそうな顔をする。
実は秋葉はああ見えて、女の子の例に漏れず結構猫好きである。
というか可愛いもの好きとでも言おうか。
レンがこの家に住めるようになったのは、この子が猫で(無論ただの猫ではないが)、かつ
少女の外見であることも要因の一つかもしれない。
秋葉が微笑みながらレンに手を伸ばした。
「あっ」
だが、しかしというかやはりというか、レンはその手をするりと避けてソファから降りた。
そうしてトテトテと俺の方に歩いてきて、肩に座ろうと俺をよじ登ろうとする。
爪が食い込んでちょっと痛い。服もレンの重みで伸びる。
「もう、逃げなくてもいいのに」
「あはっ。やっぱりレンちゃんは志貴さんが一番なんですよ」
秋葉は琥珀さんと違って本当に拗ねたようだ。それをなだめようとする琥珀さんはちょっと苦笑い。
いまだ俺の身体を上ろうとしているレンを爪を傷つけないようにそっと離し、そのまま腕に抱く。
「まぁまぁ。仕方ないよ」
猫は気ままなのだから。
そういえば翡翠からも逃げ出したこともあったなぁ…とふと思い出したり。
そんなことを考えていると壁の時計が鳴った。見遣ると針は11を指している。
昼まであと1時間くらいか。
「じゃあ、俺はいくよ」
「あ、ちょっと兄さん。どちらに?」
「いい天気だし、せっかくの休日だしね。ちょっと散歩」
「はぁ…兄さんはお暇そうでよろしいですね」
…その前に現代の高校生の休日の過ごし方ではないとは思うが、仕方ない。
金もないし、どこか遊びに行く気もおきないし。
「そうですか。では志貴さん、行ってらっしゃい。昼食時には戻ってきて下さいねー。
またお食事を逃すと大変でしょう?」
「…ああ、それは大変だ。1時間くらいで戻るよ」
「はい。あ、出掛ける時は翡翠ちゃんにも声をかけて下さいね。志貴さんがいないと心配しますから」
うん、とだけ答えて、レンを抱き上げたまま居間を出る。
ちょっと歩いたあたりでいきなりレンが腕の中で少し暴れ出したので降ろすと、
さっきまでの懐きようなどどこ吹く風とばかりにさっさとどこかに行ってしまった。
「…やれやれ」
全く実にレンらしい。
苦笑を浮かべて玄関に足を向けた。
ホールを通り、外へと通じる扉を開ける。
そういえば翡翠に声をかけるの忘れてたなーとか思いながら。
で、開けたらいきなり目のまえに翡翠がいた。
正直ちょっとびっくり。
「志貴さま、お出掛けですか?」
「…あ、ああ。ちょっと散歩するだけ。お昼には戻るよ」
「そうですか。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
翡翠は頭を下げ、俺の道を遮らないように身体をずらす。
そしてその後ろにいたのは、黒いコートを着た可愛らしい少女だった。
翡翠の陰になって見えなかったらしい。
「…レン?」
「はい。掃除をしていましたら突然ここまで引っ張られまして…どうやらレンさんは
志貴さまのお出かけを私に知らせてくれたようです」
「………」
にこり、と無邪気な笑みをレンは浮かべた。
「そっか」
そっとレンの頭に手をやり、撫でてやる。
気持ちよさそうにレンは目を細めた。
「ありがとう、レン」
「………」
うん、というかのように小さく頷いて俺に抱きついてきた。
どこか、秋葉の小さい頃を思い起こさせる。
「……いいなぁ…」
「ん? 翡翠何か言った?」
「い、いえ。何も……」
翡翠は顔を真っ赤にさせて俯いてしまった。
俺が何かしたのだろうか。
「? まあ、いいや。それじゃあ俺は…いや、俺たちは出かけるよ。レン、行こう」
レンは歩き出した俺の後を無言でついて来る。
「行ってらっしゃいませ」
翡翠の声に後手をふって答えた。
「けどレンって何ていうか、本当に猫だよな」
門を通ってからレンにそう話し掛けた。
「………?」
レンは小首を傾げた。「私の見た目は猫だよ」とでも言いたいのだろう。
「いや、それはそうなんだけどさ。魂は人間なんだろう?」
以前に聞いた事がある。使い魔とは魔術師が何らかの触媒を用いて“創る”存在で、
そうして創られた容れ物に術士の、もしくは他の魂を入れて使役される存在だと。
「………」
俺の問いにレンはこくん、と首を縦に振る。
「その割には、まあ…何ていうか、行動が本当に猫みたいだなって」
「………?」
「いや、さっきのもそうだけど。気まぐれだな、ってさ」
「………」
俺の言葉にレンは可愛い顔をしかめて俯いた。
「あ、別に怒ってるわけじゃないんだ。レンは俺の使い魔だけど、従う必要なんてないんだから。
むしろ、レンが自由に好きな事をしてくれて嬉しい」
つとめて優しく言った。
それを聞いて安心したのかレンは顔を上げる。
くいくい、と俺の服を引っ張りながら。
何か言いたそうな表情だ。
「ん? 何かな?」
レンの目線になるように屈んだ。
すると、レンの両手が俺の頬にまわされ、そのまま可愛い顔を近づけられる。
コツン、とおでこ同士があたった。
そこから何か流れ込んでくる言葉。
『私はじゆうに志貴といっしょにいたい。役に立ちたい』
「…あ…」
華が咲いたような満面の笑みが浮かぶレンの顔。
何と言うか、まいった。
そうだった。
猫だからとか、人だからとか、魔だからとか、そんなの関係ないんだ。
この子は、純粋なんだ。
本当に、どこまでも純粋。
前の仮の主であった白の吸血姫と同様に。
それを改めて思い知らされた気がした。
その思いに、俺は応えなくてはならない。ずっと。
「うん。嬉しいよレン」
軽く唇を合わせる。
微かに感じる暖かな感触が心地いい。
その後にっこり笑ってレンは手を離した。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「………」
立ち上がりながらレンに手を差し出す。
嬉しそうにうんっ、と頷くと、だがレンは手をとらず猫型に戻った。
そのままじーっと俺を見上げている。
なるほどね。
「はいはい。分かりましたよお嬢さん」
ひょいとレンを抱き上げ腕の中に収める。
「なーぅ」
レンはそう一鳴きして頭を俺の胸にこすりつけた。
全く、一緒にいたいと自分で言っておいて、それでも自分のペースを崩さない奴だ。
やっぱりレンは猫なのだ。
そんな事を考えながら、俺はうちの気ままな黒猫と散歩を楽しもうと歩き出した。
暖かな陽射しに気持ちよさそうにレンは目を細めていた。
『犬は忠実。猫は気まま』
どこかでそんな言葉を聞いたことがある。
実際犬と猫の生態を観察してみると、なるほど確かにそうだ。
これには群れを形成する習性が関係するそうだが、そんな詳しい生物学はよく知らない。
うちの可愛い黒猫が楽しんでいるならそれでいいのだ。
<END>
<後書き>
読んで下さった皆様方ありがとう御座いましたー。
月姫SSいかがでしたでしょうか。
歌月十夜の病室のシーンでもあったように、レンちゃんってご主人様にあからさまに甘えるキャラじゃ
ないみたいですよね。
やっぱりどこか他人を寄せ付けないところがないと。
それでも、最初の主が亡くなってからずっと人の輪に入りたかった彼女だからこそ、
志貴と契約してからは常に誰か人の側にいたがると思うんです。
そんな事考えて書いたのがこのSS。
だけど言いたい事書ききれずにちょいと消化不良気味。
むぅ、精進せねば…。
つーか志貴、白昼堂々と子供に手出すな。
では、またお会いしましょう。
2001/10/24 ラルフ
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