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蝉が五月蝿い夏休み。この酷暑の中外出する気力も無く、俺は自室でだらけていた。 が、俺の安らぎは突然破られてしまう運命になっていたようだ。 ドカドカバンッという宅内で聞きたくない音が響いたかと思うと、誰かが俺の部屋に押し入ってきた。ドカドカは廊下を走る音、バンッは部屋の扉を蹴り開いた音だと思われる。 さて。こんなことをするのは誰なのかというと、そもそも考えるまでもなくその張本人は部屋に押し入った勢いで俺の目の前に迫っていて。 「海に行くわよ!」 ハルヒよ。お前は電話という便利な道具を知らんのか。 『水際のお約束』 (元ネタ:涼宮ハルヒの憂鬱) さて、どうしよう。 「可及的速やかに対処しないとといけませんね」 そうだな。ならお前も少しは焦ったらどうだ。 「いえ、これでも十分に焦ってますよ」 参りましたねえ、と全然困っているように見えない顔で古泉が呟く。 もういい。いつものことだ。それよりも。 俺は焦る気持ちを抑え、冷静になるよう努めて視線を下に落とした。 その先には、可愛らしい水着を着た朝比奈さんがいた。ただし艶やかな髪は海水に濡れ、水着以上に可愛らしい顔は苦しそうに歪み、顔色はこれ以上ない程青ざめているが。トドメとして呼吸が止まってる。 何故こんな事態になったかというと、やはりハルヒの唐突な発言に遡る。 突然のハルヒの海行きたい発言により、SOS団全員で海へ日帰り旅行と相成った。突然すぎていつぞやみたく孤島で三泊四日なんてことにはならなかったが、俺としては万々歳だ。 で、海に到着してからハルヒは朝比奈さんをいじったり長門はパラソルの陰で本を読んだりと、それなりに楽しく遊んでいたのだが。 ぷかぷか浮き輪に浮かんでいた朝比奈さんが、海月にでも刺されたか突然暴れ出して海に落ちた。古泉と俺で慌てて助け出したがその時には既に水を大量に飲んでいたようで……今に至る。 「長門かハルヒがいてくれればな……」 「涼宮さんはトイ……いや失礼、所用で外してますし、長門さんは読む本が無くなったからとロッカーに新しいのを取りにいきましたからね。多分お二人が戻られるまで後数分かかるでしょう」 分かってる。だから悩んでるんだ。 「悩む必要がどこに? この状況で為すべき事はお分かりでしょう?」 そりゃ知ってるさ。基本的な救命処置だからな。本で読んだ程度だが、やり方も知ってる。 しかし、だ。 人工呼吸。……何処に口をつける? 心臓マッサージ。……何処を触る? いや、別にその行為自体が嫌なわけじゃない。むしろ、相手が朝比奈さんなら何を投げ打ってでもやる価値があると思うね。こんな状況じゃなければな。 「早くした方がいいですよ。呼吸停止から5分以上経過した場合の生存率は絶望的ですので」 縁起悪い蘊蓄ありがとうよ。そう毒づきたくなったが、押し問答してる時間も惜しい。人命がかかってるんだからな。 そうだ、これは人命救助だ。 「……よし」 覚悟を決めた。 心中で朝比奈さんに謝りつつ、上体を曲げてしゃがみこむ。 朝比奈さんの唇を凝視した瞬間、いつぞやハルヒと閉鎖空間に閉じ込められた時の記憶が何故か頭をよぎったが、強引に無視した。 そうして心を決め、息を大きく吸って唇を重ねようとした時だ。 古泉の「あ」という呟きと共に、シャリシャリという砂浜を強く踏みしめる音が聞こえて、 「何やってんのっ!」 身体に強い衝撃を感じ、俺は大きく吹き飛んでいた。 俺の身体が元あった場所を見ると、右足を蹴り出している憤怒顔のハルヒと、両手を前に突き出している長門がいたわけで。 あれにやられたのかとすっ飛びながら認識。背中から着地した俺は息を詰まらせ、痛みで砂浜で転がる羽目になった。 ◆ ◆ ◆ 「あんたねえ。まず監視員とか呼びなさいよ」 救護の手本のような長門の人工呼吸と心臓マッサージで無事息を吹き返した朝比奈さんが救護室に運ばれた後、ハルヒが呆れ顔で言ってくれた。……仕方ないだろ。動転してたんだよ。 「すみません。焦って冷静な判断が出来ませんでした」 お前は絶対冷静だった筈だが。 「古泉くんまで……もう、戻って来るなりあんなの見せられちゃ勘違いするでしょ!」 アヒル顔になったハルヒが不満そうにもらした。いや、確かに客観的に見れば勘違いされる光景だっただろうが、だからっていきなり全力で蹴るのはどうなんだ? 「それは……ああもう! とにかくみくるちゃんに変な事しようとしたアンタが悪い!」 相変わらず中間をすっ飛ばした俺様理論だな。もういい加減慣れたし、SOS団唯一の清涼剤たる朝比奈さんも無事だったから気にしないでおくが。 それよりも、だ。 「長門、ご苦労だったな。助かった」 今回も活躍してくれた長門に感謝だ。聞きかじりだけの俺がやってたら、助かるものも助からなかったかもしれん。 「…………」 長門は俺に視線を向け、僅かにコクンと頷いて返す。が、その後も長門は俺の眼をジッと見つめたままだ。いや、見ているのは眼じゃなく……唇か? その視線を感じて、ピンときた。 「あー……嫌だったか?」 相手が朝比奈さんだったし、いや、相手が誰でも長門なら人工呼吸くらい気にしないと思ってたんだけど。むしろ俺の方が気にするくらいだ。長門が助けた相手が朝比奈さんじゃなかったらな。だがその心配は杞憂だったようだ。 「嫌じゃない」 いつも通りの平坦な声での返事に、なら安心と俺は表情を緩めた。 が。 長門は続けて、どこか躊躇するように声を発さずに口を一瞬開けた後、 「だからあなたがする必要はない。状況的に求められるなら、わたしがする」 などと、微かにトーンを上げた声で言ってくれた。 なんというか……どう反応したものか。 それを聞いたハルヒはうんうんと満足げに頷き、古泉はおやおやと笑みを浮かべている。 さて、じゃあ俺は……どんな顔をすべきだろうね? 長門の行動と発言をどう解釈するかによるだろうが、な。 <了> |