僕は

「よう」

 と言い、彼女は

「や」

 とこたえた。





『日々日々平凡』
(オリジナル)





 朝起きる。
 朝食を摂る。
 歯を磨く。
 顔を洗う。
 着替える。
 家を出る。
 ……あいつと会う。
 挨拶する。
 一緒に登校する。
 学校に到着する。
 友人と話す。
 授業が始まる。

 それはごく普通の、日本の何処にでもある学生の朝の風景だと思う。
 多少のバリエーションはあっても、大多数の日本人学生がそんな朝を日々繰り返している筈だ。
 そして僕はそのご多分に漏れず、ずっとそんな朝を続けてきた。
 そりゃ勿論休日には登校しないし、長期休暇もある。
 寝坊して朝食抜きの日もあった。
 いきなり1限目が自習なんて日もあった。
 ……あいつが風邪をひいて、一緒にいない日もあった。
 でもそんなのは例外で。
 基本的に毎日同じ、平和で平穏で平坦で、のんびりとした変わり映えのない朝の光景が ずっと僕の眼の前にあった。

 別にそんな日々が嫌だと思うことはない。
 むしろ喜んで歓迎するさ。
 変わり映えしない? 大いに結構じゃないか。
 確かに小さい頃は、自分は何でも出来て、特別で変わったことがやりたいって思ってた時期もあった。
 ヒーローになりたい、スポーツの選手になりたい、等々。
 多分誰にでもある願望だ。
 だけどある程度成長して現実が、世界の歴史やら情勢やらが理解できるようになったら、分る。
 大した変化の無い、平凡な生活を続けられる事がどれだけ貴重か。
 それを享受出来る現状がどれだけ素晴しいか。
 尤もそんな現状に不満を持っている人ならまた別だろうけど、僕はそうじゃない。
 モノクロでつまらない日々だとか、厭世家を気取って利いた風な口をきくなど愚かしいと思っている。
 だから僕は。
 可も無く不可も無い、こののっぺりとした平々凡々な毎日を非常に気に入っていた。

 だけど成長したからこそ分かってしまって、変わってしまうこともあるわけで。
 まあ、つまりは。


          ◆  ◆  ◆


 さて。
 僕はそんな、さして変化も緩急も無い朝を続けてきたが、 それらの光景は別に僕一人で見続けてきたわけじゃない。
 勿論似たような行動を日本中の学生がしているのだから、 その意味では確かに僕一人ってことはないだろう。
 だが僕が言いたいのはそうではなく。
 要するに、僕と一緒にその光景を見てきた存在がいるってことだ。



 朝。
 「いってきます」と告げて家を出て、学校への道のりを歩くこと約500メートル。
 とある一軒家の前にぽつんと立つ人影が一つ。
 手持ち無沙汰なのか、時折片足をぶらぶらさせている。
 僕はその姿を認めるとそいつの顔を真っ直ぐに見て。
 そいつも足音に気付いて顔を僕の方に向ける。
 そこで僕は

「よう! おはよう」

 と言い、そいつは

「あ、おはよ」

 とこたえた。
 少しはにかんで、僕と同様、挨拶した相手の顔を真っ直ぐに見て。

 その後は他愛も無い会話をしつつ、二人並んで登校する。
 これがいつの頃からかずっと続いている、僕とあいつのいつもの光景だ。



 何百回そんなやり取りを繰り返しただろうか。
 このままだとそれこそ半無限ループが好きなどこぞの猫よろしく、 百万回繰り返すこともあるかもしれない。
 まあ、それもいいさ。
 別に……いや、全然嫌じゃないし。

 ……と、そう思っていた。
 思っていたんだけど……。
 さて、どうしたものか。


          ◆  ◆  ◆


 ……朝、ろくに睡眠も取れない状態で無理矢理起きた。
 朝食を摂った。
 ……のはいいが、パンにジャムを塗りすぎた。
 歯を磨いた。
 ……父親の歯ブラシと間違えてしまった。
 顔を洗った。
 ……後に、水道の蛇口を閉め忘れた。母親に怒られた。
 着替えた。
 ……何でボタンを掛け違えるかな、僕。しかも2回も。
 家を出た。
 ……つっかけサンダル履きで。50歩くらい歩いてやっと気付いた。

 散々だった。
 変化の無い、平穏な日々を望んでいた僕の朝が、なんてことだ。
 でもそんな何もかも違う朝はこれで終わりではなく、その最後に極めつけとして。
 いつもの場所で……あいつと、会った。

「…………」

 何も言えず、思わず固まる。
 顔を真っ直ぐに見るなんて出来やしない。
 そうしている内にあいつが顔を僕の方に向けてしまい…… 僕を視界におさめるや瞬時に色々な表情を浮かべ、挙句顔を背けてしまった。

「…………」
「…………」

 お互い、視線を外し合ったまま黙ってしまう。
 ああもう。僕はこんな、普段通りでない展開など望んでなかったというのに。
 ……いや、分かってる。こんな展開は望んでなくても、このきっかけは僕が望んだことで、 僕が引き起こしたことなんだって。

 そうだ。
 昨日、僕は。
 平凡不変を愛していた僕は、自らの心すら平坦不動と思っていた僕は、 成長の過程でいつの間にか様変わりしていたその感情に気付いてしまった僕は……。
 どうしてもその気持ちが我慢できず、平穏な日常の変化を余儀無くさせる一言を ――どうにか言えたのが一言だけだったけど――言った。
 ……言ってしまったんだ。
 その僕の言葉に、あいつも驚きながら…………。

 って、ああもうっ! 思い出すだけで体温が上がってくる。
 だからつまりは、普遍で不変な日々が好きだった僕が望んで作った変化を、僕……と彼女は、 ぎこちないながらも受け入れたってことで。
 でも、昨日はそれっきり別れて帰ってしまった。
 だからこそ、今、気恥ずかしくてお互いの顔も見れずろくに話せもしない僕らは、それでも、 いつも通りの挨拶をしようとして。
 結局視線を逸らし合ったまま、僕は

「よう」

 と言い、彼女は

「や」

 とこたえた。
 ようやく発することが出来たそれは……いつもとまるで違う、短すぎる挨拶だった。



 そして。
 あ……と、気付いた。
 いつの間にか僕は、自分の中で『あいつ』を『彼女』と呼ぶようになっていたようだ。

<了>



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