ゆら。 ゆら。 ゆらり。 ゆら。 ゆらり。 安らぎをもたらす温かさと、訪れる緩やかな微睡み。 わたしは、その心地よさに、少しづつ身を委ね……。 『in the amniotic fluid』 (元ネタ:灼眼のシャナ) 「ふぅ……」 と、シャナは深夜に現在の仮宿――マンションの一室に在る平井家――に帰宅するなり、小さく溜息をもらした。 その表情には決して薄くは無い疲労の色が見て取れる。 だがその直後、容易く疲れを表に出してしまった自分に気付くと、戒めるように軽く首を左右に振る。 「お疲れでありますか」 「疲労蓄積」 だが、その僅かな間も見逃さないとばかりに、先に帰宅していたヴィルヘルミナが、次いで『夢幻の冠帯』ティアマトーが呼びかけてきた。 「あ、ただいま……」 そんなヴィルヘルミナに、シャナはやや気不味そうな返事を返す。 それは、先程の、『フレイムヘイズ』の戦士として相応しくない仕種を見られたからというよりは、本日ヴィルヘルミナとの間に起きた出来事に因るものの方が大きかった。 出来事――『大江戸ファンシーパーク』にて悠二がヴィルヘルミナに襲われ、殺されかけた事件。 ヴィルヘルミナとも和解し事件は解決を見たのだが、シャナはまだ気にするところがあるようである。 しかし当のヴィルヘルミナは、それらの出来事を一切――少なくとも表面上は――感じさせない、相変わらずの無表情で返事を返した。 「おかえりなのであります。それで、お疲れでありますか? 湯浴みの用意は整ってありますので、すぐに入るのがよろしいのであります」 「へ、あ、うん。入る」 シャナはヴィルヘルミナのあまりの変わらなさに一瞬呆気に取られた顔をしたが、風呂と聞いて、すぐに一も二もなく頷いた。 そのまま風呂場に向かおうとして転進し、しかし数歩歩いた時点で、はたと思いついたようにシャナは振り返った。 「ねえ。ヴィルヘルミナも一緒に入らない?」 一度断られた――というより、マンションの掃除に手一杯で返事がなかっただけなのだが――誘いを、再び行ってみる。 あの心地良い気分の中なら、ヴィルヘルミナとも普通に話せるだろう、という考えで。 もっとも、どうせまたダメだろうな、と半ば期待せずに言ってみたのだが、 「同行するのであります」 「提案受諾」 「……へ?」 返事は、予想と異なるものであった。 意外な回答に間の抜けた声を出すシャナ。 「……ティアマトーはここで待っているのであります」 「理由不理解」 「……よいからここにいろ」 一方、ヴィルヘルミナたちとアラストールはどこまでもいつも通りであった。 ◆ ◆ ◆ 「ぷぁー……」 身体と髪を念入りに洗った後、たっぷりと湯を張った浴槽に入るシャナ。 疲れた身体に染み入る温かさに、思わず声を上げてしまう。 「………………」 そして、そんな彼女を軽く膝の上に乗せ、後ろから抱きかかえるような姿勢で、ヴィルヘルミナも湯船に身を浸していた。 何故二人がこのような形で入浴しているかというと、 「この姿勢なら、二人でも広く使えるね」 という理由からであった。 ごく普通のマンションである平井家の風呂は、狭いとは言わないまでも、二人が楽に向かい合わせで入れるほど大きくもない。 ゆえに、出来れば脚を伸ばして入りたいと思ったシャナが提案したのがこの体勢であった。 「ねえ……重くない?」 「そんなことある筈が無いのであります」 「ん。そうだよね」 間髪入れず返された言葉に、シャナも納得の声を返す。 そう、フレイムヘイズたる自分達に、人間一人や二人の重量など大したものではないのだから、と。 だがそれはシャナの勘違い。ヴィルヘルミナはそのような意味で返事をしたわけではない。 たとえ巨岩の如き重量であろうとも、それが彼女たちが育てた『炎髪灼眼の討ち手』であるなら、重いなどとは微塵も思わない。 そんな風に思う彼女が、自分に身体を預けているのだ。 身体を弛緩させ、ほんの数時間前には彼女にあれほど酷い事を行った自分を信頼して。 シャナが背を向けていて良かった。 今の自分の顔など、この子に見せられよう筈もない。 そうやって、緩んでいく頬を必死で抑えようと、ヴィルヘルミナは顔を奇妙な……一歩間違えれば福笑いにもなりかねない表情で留めていた。 そんな、ヴィルヘルミナが至福の拷問を受けていた時。 「ねえ……今日、ごめんね。怪我させちゃって……まだ謝ってなかった」 不意に、シャナから謝罪の声が発せられた。 それはあまりにも突然で、しかし、ヴィルヘルミナは彼女が気にしていたのはそんなことかと得心した。 帰宅した際のシャナの表情が気になったので風呂の誘いにも乗ったのだが、これが原因だったのか、と。 だから、ヴィルヘルミナは珍しく穏やかな語調で告げる。 「いえ、大分回復して、もう気にならないのであります」 と。 「そっか。良かった。気になってたの。悠二があそこまで力を込めるなんて思ってなくて……」 「いえ、そのようなこと、気にする必要はないのであります」 ……非があるのは、身勝手であなたを縛ろうとした私なのでありますから。 その言葉を、しかしヴィルヘルミナは続けて口にすることは無かった。 何故ならそれは既に済んだことで、今更口にして自分を責めることを、シャナは是としないだろうことが分かっているから。 だからヴィルヘルミナは何も言わず、自分に身体を預ける可愛い少女を軽く抱き締めた。 自分が原因で酷い思いをさせてしまった彼女をいたわる為に。 彼女が好きになったという入浴を、より温かなものにするために。 「ん……」 そしてシャナはその言葉を聞くと、安堵の吐息をもらし。 一層身体の力を抜き、自分を抱くヴィルヘルミナに吸い付くように、ぴったりと寄り添ってもたれかかった。 もう心配事は消えたから、とばかりに。 そうして彼女は、湯がもたらすものだけではない温もりを感じて、ゆらりと湯船の中でたゆたっていった。 <了> |