ガロ・リキュアの首都ラキオスは一年を通して温暖な気候であり、故に季節の移ろいは存在しない。
 だが正規軍所属の『因果』のエトランジェが今の彼女を見たならば、あえて自分の世界の言葉を遣いこう言うだろう。

――ああ、春だからなぁ……。

 と。





『春、来たりて――?』
(元ネタ:『永遠のアセリア』)





「ふんふふふ〜〜ん♪ ふふ〜〜ん♪」

 ラキオス市街の街並みを、ヘリオンは軽やかに歩いていた。
 鼻歌を口ずさみ、ステップを踏んで、そりゃあもう楽しそうに。

「…………」

 その隣では、自称一番弟子のクラウが歩いていた。
 かなり居心地悪そうに。
 彼は思う。

――街の人たちの視線が痛い。

 それはそうだろう。
 笑顔はともかく、ヘリオンは時折思い出したように「えへ、えへへ……」とか漏らすのだ。
 それがさっきからずっと続いている。
 一緒に歩きたい相手ではなかった。

「……何でこうなったんだろ……」

 確か、師匠に会って剣を教えてもらおうと家を出た筈だった。
 そしたら、いつもの練習場所に着く前に師匠に会って…………その時からこの調子だった。
 ……帰りたい。
 クラウはすぐさまこの気味悪い存在から離れたくなった。
 が、そもそもの外出の理由を思い出し、思い止まる。
 それに、彼女と一緒にいること自体は嫌ではない。むしろ望むところだ。
 彼にとってヘリオンは、優しく、時に厳しく剣術を、剣を振るう意味を教えてくれる『憧れの師匠』なのだ。
 その事を思えば、今のヘリオンの多少の気味悪さなど気に……

「えへへへへへ……」
「ごめん。無理」

 やはり不気味なものは不気味だった。

「え? 何か言いましたか?」
「あ、い、いやっ、何でもないよ! ……ううん、何でもなくはないけど……」

 語尾を濁し、言い淀むクラウ。
 が、いつまでも言わない訳には、というかもう嫌だ、と思ったクラウは意を決して口を開いた。

「その……師匠、何か良い事あったの?」
「え!? 何で分かったんですか!?」

 分からいでか。

「はぅ……うーん、内緒のつもりだったんですけど……クラウなら言ってもいいかなぁ」

 いや師匠。とりあえず様子がおかしいのは一瞬でバレるから。
 その一言をクラウは呑み込む。

「その……さっきですね?」

 誰にも言わないで下さいね、と前置きをして、頬を薄らと桜色に染めたヘリオンはとつとつと語り始めた。

        ◆  ◆  ◆

 さっき街を歩いてたら、曲がり角で人にぶつかってしまいまして……
 その勢いで後ろにこけちゃったんです。

『あいたた……』
『あ、ご、ごめん! 大丈夫か!? 俺余所見してて……って、あれ? ヘリオン?』

 相手の人はすぐに謝って、わたしに手を差し伸べてくれました。
 でその後、何かに気付いたようにわたしの名前を呼んだんですけど……
 わたしはその人の声に聞き覚えがありませんでした。
 ただ、どこか懐かしい感じがしたんです。

『ふぇ? わたしのこと知ってるん…………!?』

 で、相手の顔を見れば何か思い出すだろうと、差し伸べられた手を掴みつつ顔を上げたんです。
 それで初めてその人の顔をまともに見たんですけど……

 その瞬間でした。

 いきなり、いきなりですよ!!
 もう何とも言えない衝撃がわたしに走ったんです!
 精悍そうで、でもどこか頼りなさげな若さを感じさせる顔立ち。
 針金のようにツンツン逆立ってる頭。
 見覚えない筈なのに、泣きそうになるくらい懐かしく感じる姿。
 まるで昔から想い続けてた人みたいに、その人の存在が一気にわたしの中に入ってきたんです。
 そんな感じがしたんです!

 ……おかしいですよね?
 初めて会った人なのに……
 自分でもどうかと思うんですけど……
 でも……思ったんですよ。
 ……その、一目惚れってこういうのをいうのかなぁ……って。

        ◆  ◆  ◆

「えへへ……恥ずかしいですね」
「……」
「あ、わたしのこと知っていたのは、前の戦争に参加した事があるからなんですって。 遠くで見ただけだから、わたしはその人のことは知らなくて当然だって。 ……ちょっと寂しそうに笑って、そう教えてくれました」
「……」
「そんな顔も素敵だったんですけどね……って何言わせるんですかもう! ……えへへ♪」
「……」
「その人とはすぐに別れたんですけど……あ、そういえば袋一杯のヨフアル持ってましたけど、 あんなにどうするつもりなんだろ……と、話が逸れちゃいましたね。それで、その時に言ってくれたんですよ。
『しばらくこの街にいるつもりだから、また会おうな』って」
「……」
「またって、また会おうって言ってくれたんですよ! ちょっと会っただけのわたしにですよ!?  もうこれって運命ですよね!? ね!?」

 ああ……わたしがずっとお料理の勉強をしてたのは、この人と会った時の為だったんですね……。
 などと幸せそうに呟くヘリオン。
 その視線は虚空を向いており、心が別世界に旅立っているようだった。
 そんな彼女を見ながら、クラウは思う。

――いや師匠、それ、思い込みとか入りまくってるから。

 『憧れの師匠』の変わり様に色んな意味でショックを受けつつも、 彼女のささやかな幸せを壊さぬよう何も言わないでおく、師匠思いのクラウ少年であった。

        ◆  ◆  ◆

 ガロ・リキュアの首都ラキオスは一年を通して温暖な気候であり、故にラキオスには季節の移ろいは存在しない。
 だが正規軍所属の『因果』のエトランジェが今の彼女を見たならば、あえて自分の世界の言葉を遣いこう言うだろう。

――ああ、春だからなぁ……。
 そんでもって、さらにヘリオンちゃんに春が来たってわけか。チクショウ相手誰だよ!

 と。





 ちなみに、その『春』は……

「そ、そんな……ふえ、ふえぇ〜〜ん!」

 『その人』とヨフアルを頬張る黒髪の少女が楽しそうに歩いているのをヘリオンが見た瞬間、 あっさりと過ぎ去ってしまったそうな。

<了>



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