鬼、という存在がある。
 鬼とは、おぬ、「隠」が転じた語で、つまりは得体の知れぬ存在への『恐怖』が形を得たモノだ。
 日本古来の魔の象徴の一つである。
 さて。
 何故僕がそんな薀蓄を思い浮かべたかというと、だ。
 それは……
 ノックに応じて扉を開けたら。
 そこには。
 恐ろしい鬼が――
 いたからだった。

「泣ぐ子はいねーがー」
「おらん。帰れ相沢」





『鬼、参上!』
(元ネタ:遥かに仰ぎ、麗しの)





「うわ一発でバレた。お面被ってるのに」
「わからいでか」

 声で分かるし、大体こんな馬鹿やるのは相沢か双子くらいだ。

「もう、みさきちってば……。すみません滝沢先生。止めたんですけどみさきち聞かなくて聞かなくて」
「上原もいたのか。いや、気にするな。止めようとしてくれただけで十分だ」

 相沢の後ろに疲れた顔で立っていた上原に、慰めの言葉をかける。
 ……また相沢に振り回されてるのか。

「……とりあえず中入れ。そんなもんに部屋先にいられるとどんな風聞が立つか」

 そう言って二人を部屋に招き入れた。
 そうした上で改めて相沢の格好――乱れ髪の鬘、鬼の面、藁の蓑、そして玩具の包丁という妙な衣装。多分なまはげ――を眺め、尋ねてみた。

「大体ソレは何なんだ」
「これ? なまはげだよ。通販さんに借りたの」
「違う! 着てる理由を聞いてるんだ。ていうか話し難いから脱ぎなさい」

 というかこれテレビショッピングで買えるのか!?

「やん! 女の子を部屋に連れ込んで脱げだなんて、センセキチクー。すみすみって彼女がいながらさー」
「鬼畜らしく一発殴ってやろうか……」
「み、みさきち! 先生怒ってるよ怒ってるよ!」

 上原が慌てて相沢を諫める。
 いや、実際は怒ってないし間違っても殴ったりしないけどな。
 相沢もそれが分かってるんだろう、面を外しながら「あはは、ごめんごめん」と軽い口調で謝意を示した。

「これはさ、ほら、今日って節分でしょ。だからかなっぺと炒り豆作ったんだよ。んで、そのお裾分けにきたの」
「あの、これですこれ」

 上原がそう言って差し出したのは、枡に詰まった炒り豆。
 なるほど確かに節分ならではだ。
 だけど、それとなまはげと何の関係が?
 ……いや、なんとなく想像はつくけど。多分相沢がしてるだろう勘違いも。

「で、折角だからコレ着たの。通販さんが持ってるの知ってたからさ。なまはげも鬼でしょ? 二月頃にコレの節分行事があった気がするし」

 ……やはりか。

「あのな、確かになまはげは鬼だが節分とは関係ないぞ」
「え、そうなの?」

 目を丸くして聞いてくる相沢。

「ああ。なまはげは大晦日の行事だ。で、多分お前が言ってるのは二月の柴灯祭りな。どのみち節分とは関係ないぞ」
「む、そうなんだ。残念」

 相沢の口調は、言葉に反してあまり残念そうじゃなかった。
 まあ、相沢だし。面白いことして騒げれば満足なんだろ。

「もう、みさきちは……」
「あはは。ま、それじゃ普通に豆食べよ。はいセンセ」
「お、ありがと」

 相沢は豆を枡から数粒取ると、僕の方に差し出してきた。
 僕も応じて掌を出す。
 が。
 相沢の手は僕の掌の上を素通り。
 そして僕の口元へ真っ直ぐ進み……

「あーん」
「待たんか」

 即座に手を掴んで止めた。

「わ、素早い」
「みさきち何するのするの! ダメだよ仁礼さんに悪いよっ!」

 上原が慌てて言うが、その通り。
 栖香という彼女がいるのに、他の女の子に手ずから食べさせてもらうのは拙い。
 彼女が今ここにいないとはいえ、いや、いないからこそ裏切るような真似は避けたかった。
 こんな些事で考えすぎだろうけど、栖香の性格を思うと、な。
 もっともそれは相沢も分かってる筈だ。
 これで内実は思慮深いし、妹が嫌がることは絶対しない娘だから。
 だからさっきのも僕をからかっただけ。

「ちぇー」

 その証拠に、口ではそう言っても予想通りって顔をしてるし。

「じゃあ食べるのはやめて、やるのは豆撒き!」

 って顔が突然ニヤリ笑いに!?
 突き出されたままの手が、僕の顔前で親指と人差し指で豆を打ち出す形に変わる。

「鬼は外ー!」
「鬼の格好してるのはお前ぅわお!?」

 抗議の途中で豆が射出された。
 僕は慌てて避け……ようとして足がもつれた。
 勢いづいて後方へ倒れ込んでいく。

「センセ!?」

 って相沢の手を掴んだまま!?
 失態に気付くも時既に遅し。
 相沢が僕を支えきれる筈もなく、引かれて一緒に倒れてきて……
 だが生徒に怪我させるものかと相沢をしっかりと抱きこんだ。
 直後。
 鈍く大きな音が響き、僕は無様に転がっていた。

「いたた……」
「ふ、二人とも大丈夫ですか!?」
「なんとか。センセが下になってくれたからね。センセは?」
「あー……大丈夫」

 多分だが、まあ頭は打ってないし。
 それよりこうして女の子を上に乗せとく方が僕的に問題だ。これを栖香に見られたらと思うと……

「すまんがどいて――」
「先程の音は何事ですか!?」

 …………はは。悪いことは重なるもんだなぁ。
 今、マジで世界が凍った気がしたよ。
 多分僕の部屋に来る途中で先の音を聞いたんだろう。
 栖香はノックも忘れ、慌てて扉を開けて駆け込んできた。
 そして。
 彼女は中の様子――具体的には僕が相沢を抱いて転がってる姿――を見て。

「――え?」
「に、仁礼さん……」
「す、すみすみ、あのね?」
「あ、あのな栖香?」
「……司、さん? お姉さまと、一体、何を、してらっしゃるのですか?」

 絶対零度の声で、低く呟いたのだった。


          ◆  ◆  ◆


 鬼、という存在がある。
 鬼とは……以下略。
 さて。
 何故僕がそんな薀蓄を思い浮かべたかというと、だ。
 それは……
 そこには。
 恐ろしい嫉妬の鬼が――
 いたからだった。

「――司さん!!」
「とりあえず全力でごめんなさい!」

 この後誤解を解くのに5分、機嫌を直してもらうのに一晩かかりました。

<了>



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