トゥスクル國皇城内。その一角に設けられた、様々な薬草の匂いが漂う部屋。
 灯りが落とされ薄暗くなっているその片隅で、もぞもぞと動く影があった。
 ソレはカチリカチリと断続的で小さな音を静寂な闇に響かせており、さらに時折「……うー」、「……んー……!」といった呻く声。
 そうした状況がしばらく続いた後。

「……できた」

 影――アルルゥは、ポツリと呟いた。





『魔方陣と父とごほうび』
(元ネタ:うたわれるもの)





「おとーさん。これなに?」

 禁裏の最奥にある皇の寝室。
 ハクオロに甘えに来ていたアルルゥが、文机にポツンと置かれていたモノに興味を示した。
 それは正方形の面に、それぞれ一から九までの文字が刻まれた木片が九つ綺麗に縦横三つずつ並んで填め込まれている、薄べったい立方体。ハクオロが考案して作らせた特殊な錠の試作品だ。

「ああ、それは錠だ」
「じょう?」

 錠。扉を閉じる道具。
 アルルゥの脳裏に、無骨で大きな木製の閂が浮かび上がる。
 だがそれは今手にあるものとは似ても似つかず、アルルゥは「んぅ?」と可愛らしく小首を傾げて疑問を示した。

「はは、それは特別な錠でな。ほら、ここ。数字のついた板が九つ填め込まれているだろう?」
「ん」
「その数字が、縦、横、斜め、どの方向の並びの数字を合計しても同じになるよう並び変えるんだ」

 魔方陣と呼ばれる類の、一種のパズルである。

「そうすればここの錠が開く。解るか?」
「……ん〜?」
「はは、つまりな――」

 理解していなさそうな様子を見て、ハクオロは笑って説明を繰り返した。より内容を噛み砕いた形で、丁寧に。
 そうする彼の顔にあるのはただ穏やかな笑顔。どこにでも転がっていそうな、我が子に遊びを教える父親の顔だった。
 そうして過ごすこと、数分。

「ん、わかった」
「そうか。やってみるか?」
「ん!」

 返事を返すと、アルルゥは胡坐をかいたハクオロの膝の上に腹這いに倒れこみ、寝転がった姿勢で錠をいじりだした。
 木片の触れ合う音がカタカタ。
 楽しんでいるのか、ふっくらとした尻尾がパタパタ。
 カタカタ。パタパタ。カタカタ。パタパタ。
 カタパタカタパタ……
 ……バタバタバタバタ!
 突然膝から下の両足が激しく動き出した。
 解けなくて不機嫌になったもよう。

「……んぅ〜っ!」
「ははは。アルルゥには難しかったようだな」

 頃合かと見て取ったハクオロは、手を伸ばして錠を取り上げようとした。が、アルルゥはその手を避けた。自分の首の下あたりで錠を両手で抱え持ち、渡すまいとする。

「ア、アルルゥ?」
「や! アルルゥできる」
「……まだやるのか?」
「ん。これおもしろい」
「だが、アルルゥには難しいものだぞ。そもそも理屈が解ってもすぐには開けられないものを、と考えて作らせたのだからな」

 その難度は後日ハクオロ自身がカルラの部屋で実感する破目になるのだが、それはまた別の話。

「できるよ。がんばる」

 アルルゥはそう言って、強い意思を秘めた瞳で、しかし不安げ表情でハクオロを見上げた。それは玩具を取り上げられたくない我侭な子供の顔であり、また自分が出来るところを親に見せたいと願う背伸び盛りの子供の顔でもあった。
 そんな表情を向けられハクオロは一瞬面食らう。が、すぐに愛娘の気持ちを察し、

「そうか……じゃあそれはアルルゥにあげよう。頑張れ」

 頭を優しく撫でながら、そう言った。
 ――この時ハクオロは、何とはなしに嬉しさを感じていた。何故なら彼は戦に政務にと追われ、アルルゥと接する時間を長く持てない。だからそのような中でもこうして普通の親子のような時を過ごせていることが、嬉しく感じられたのだ。

「よし。ではそれを解けたらなにかご褒美をやろうか」
「……ほんと?」
「ああ、本当だ。蜂の巣がいいか菓子がいいか……何かアルルゥの欲しそうなものを考えておこう」
「ん、がんばる! んふぅ〜〜きゃっほう!」

 パタパタパタパタ!
 褒美と聞いて尻尾を激しく上下させ、アルルゥは再び錠に目を落として解き始めた。
 真剣なその様子を、ハクオロは微笑みながらじっと見守り続けた。


          ◆  ◆  ◆


 ――おとーさん。そういってた。

 アルルゥは今自分の手の中にある、正しく並べられた魔方陣を見下ろしながら思い出していた。
 この錠を貰った時のことを。あの日のハクオロを。
 あの後。
 しばらくしてナ・トゥンクに向かうことになり、まだ解けていなかった魔方陣の錠は部屋に置き去りにされ……トゥスクルに帰って来る頃には、アルルゥはその存在をすっかり忘れてしまっていた。
 存在を思い出したのは昨日。エルルゥが部屋の整理をしていたら、偶然錠が奥から出てきたからだった。
 それを見たアルルゥは奪い取るように錠を受け取り、解こうと必死になり……
 今日、ようやく完成させた。

「おとーさん、できたよ」

 暗い部屋の隅で、アルルゥが呟いた。

「おとーさん、ごほうび」

 しかしその呟きは暗闇に吸い込まれて消えていく。

「おとーさん、アルルゥがんばった」

 誰の耳にも入らず。最もその声を聞かなければならない者の耳にも入ることもなく。

「おとーさん……ぐす、おとー……さん」

 涙混じりの呟きは虚しく消え去っていく。
 遠くオンカミヤムカイの地に封ぜられた、彼女の父に届くことなく。

「ふぇ……ごほうび、ない……おとーさん、いない……」

 もう、褒美が与えられることはない。よくできたと褒めてくれることもない。
 アルルゥが『今一番欲しいご褒美』は……
 もう、貰えることは、ない。

「おとーさん……おとーさん! ぐす……うぅ……ええぇぇんっ!」

 あの日の、ほんの些細な『もう果たされることがない口約束』。
 それを唯一知る、解放が遅すぎた錠だけが……嗚咽を漏らす少女を冷たく眺めていた。
 物言わず……あの日の父のように、少女を優しく撫でることも、なく。
 父の心をもたないモノだけが、少女をただ無機質に見つめていた。

<了>



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