『未来をめくる』
(元ネタ:ひぐらしのなく頃に)





 カレンダーをめくる。
 この行為に好悪の念を抱く人はどれほどいるだろう。
 おそらく世の人間の大部分は、それは単に生活の中の一作業だとしか思わない筈だ。
 現在の日付にあった暦が表示されていないと不便だから、めくる。
 ただそれだけ。
 勿論、嫌な日、もしくは待ち遠しい日があったとしたなら、人によっては多少は何かしらの感情を持ってカレンダーをめくることはあるだろう。でもそれは所詮、僅かな個人差でしかない。
 何にでも興味を示す幼児でもなければ、この些細な行為はその程度の認識だと思う。

 だけど、ただそれだけの行為が……私は、好きではなかった。
 いや。明確な感情として、嫌っていた。
 忌々しく思っていたと言ってもいい。
 当然だ。
 誰が自分の死期が近づくのを確認して喜ぶものか。
 昭和58年6月。
 この月の綿流し祭の後に……私は死ぬ、いや、殺されてきたのだから。
 何度も、何度も。幾度も、幾度も。
 だから私は、カレンダーをめくることを忌避するようになったんだ。
 特に、昭和58年になってからは。
 だって自分の死が刻々と、そして確実に迫ってくることを暦に見せ付けられるのは例えようも無く怖いんだから。
 でも。
 なんとも恨めしいことに、昭和58年の古手家のカレンダーは日めくりカレンダーだったりしたのだ。
 まったく、一月毎にカレンダーをめくることすら嫌いなのに、それが毎日とは。
 昭和57年の暮れに村の者からカレンダーを貰うのだけれど、くれる相手が違うことはあっても、貰えるものは何十回繰り返しても同じ。こんなつまらないことに、何処の誰の意志が強く働いているのだろう。ふざけるなと思わず言いたくなる。
 それはさておき。
 日めくりカレンダー。こんなにもいやらしい代物を考案したのは一体何処の誰だ。もし目の前にいたら死刑判決用のキムチを口いっぱいに放り込んでやるのに。
 ……そういえば以前この話を羽入にしたら、面白いほど狼狽えたわね。

「あぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅ!! ひ、酷いのです! それはあまりにも酷すぎる罰なのです!!」

 って、涙目になって。ああ、あれには笑ったわ。自分が食べさせられるわけじゃないし、そもそも冗談なのに。
 それでも、そんなクスリと微笑んでしまう思い出程度では、日めくりカレンダーのマイナスイメージを払拭するにはあまりに不十分だ。
 だって、月めくりのカレンダーと違って、一日毎に自分の死の接近を確認するようなものなんだから。
 だから私は、カレンダーを自分からめくろうとすることはなかった。
 そういうことだから、日めくりカレンダーをめくるのは専ら沙都子の役目になってしまっていた。
 ある日なんて、たまたま沙都子が夜までカレンダーをめくるのを忘れていて、ぼやきながら言ったものだ。

「あー……今日はすっかり忘れてましたわね。というか、梨花? もし気付いていたならめくってくれてもいいですのに」
「みー。全然気付かなかったのですよ」

 嘘だった。
 本当は、沙都子が言い出すよりずっと前に気付いていた。
 だって、あれほど嫌っていたカレンダーなのに、何故か毎日ことあるごとにそっちに目がいってしまうから。
 それは……多分、自分でも気になっていたからだと思う。
 私が生きられるのは後何日か。
 私が殺されるまで、後何日か…………。
 なんて矛盾。
 それ自体には大しては何の感情を抱きようも無い、暦を告げるだけの代物を忌避しておきながら、それでも気になって目を離せないなんて。
 いっそ、こんなものはうちに無ければよかったのに――――。






 だけど。
 そんな、私の複雑な想いをぶつけられていたカレンダー。

「………………」

 そんな風に思っていた私はその前に立ち、それをゆっくりとめくった。
 途中で変に破れないように、本当に、ゆっくりと。
 そうしてめくられたものが示す、今日の日付は…………

「――また、綿流しの日がやってきたわね……」

 感慨深げにカレンダーを、その先にある今日という日を思い、眺める。
 今、私はどんな表情をしているのだろう。
 そんなの、決まっている。
 鏡を見るまでもない。
 だって、私は……

「遅いですわよー!!」

 と。不意に、玄関の向こう側から沙都子が呼ぶ声が聞こえた。

「圭一さんたちが待ちくたびれていたらどうしますの! ほら、早く早く!」

 待ちきれずに、沙都子はもう外に出てしまったみたい。
 今年はお祭りの準備をしているところも見てみるんだって圭一が言い出して、朝から色々回ることになっていた。
 まだ待ち合わせには時間があると思うけど……まあ、いいか。
 魅音やレナは時間前行動をする人間だし、圭一はレナが引っ張ってきてくれているだろう。
 早めに行っても問題ないはずだ。

「今いくのです」

 そう言うと、家を出る前に、もう一度カレンダーを見た。
 わたしがめくったもの。
 嫌いで、忌々しかったもの。
 だけど一年前から嫌いでも何でもなくなった、いや、むしろ私が率先してめくるようになったもの。
 だって、もう死に怯えなくていいんだから。
 何が起きるか分からない今日が来るのを、実感できるんだから。
 ああ、カレンダーをめくるのって実は面白いことだったんだって、思えるようになったんだから。

「羽入。行くわよ」
「はいです。あぅあぅ、どんなお祭りになるのか楽しみなのですよ。圭一のオークションも面白そうなのです」
「……楽しむのはいいけど、あまり圭一にくっつき過ぎないようにね。魅音やレナに恨まれたくなければ。……沙都子も怪しいかもしれないわね」
「??」
「分からなければいいわ」

 それじゃあ、行こうか。
 ああ、今日は一体どんなことが起こるんだろう。
 皆とどれだけ楽しい時間を過ごせるんだろう。
 私はそんな期待を胸に秘め、靴を履いて玄関の扉を開けた。

 さあ、今年もこの日がやってきた。
 昭和59年の綿流し祭の始まりだ――――

<了>



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