翡翠メイン、ネタバレ有。
モノローグ形式です。



私の志貴ちゃん





私には好きな人がいます。
今、とても好きな人がいます。
誰よりも好きな人がいます。



昔から好きでした。
子供の頃、無邪気に4人で遊んでいたあの頃から。
私が座敷から連れ出して遊ぼうとしたあの頃から。
貴方が好きでした。



貴方がいなくなったあの日。
貴方と同じ名を持つ、貴方の親友だった方の身代わりにされ家を追い出されたあの日。
貴方の妹が恥も外聞もなく泣き喚いたあの日。
貴方が私の姉から約束を受けたあの日。

私も、独りでそっと泣きました。
貴方ともう会えないのだと、悲しくて泣きました。
姉にも、唯一残った、かつての私の友達である貴方の妹にも悟られることなく。

思えばあの日、自分の貴方への想いに気付いたような気がします。



それから8年間、貴方への想いを隠して生きてきました。
悲しみを隠すように、心を隠すように生きてきました。

姉が私の為にどれだけ苦しんでいたかを知って。
その為に姉が“人形”であることを選んで。
だから私も姉の為に“自分”を捨てました。
姉に“自分”をあげました。

いつか姉が“自分”を取り戻してくれることを願って。
どうせなら、貴方への想いも消えてしまうことを願って……。



だけど、無理でした。
8年間会えなかった貴方がこの屋敷に戻ってくると聞いて、胸が高鳴りました。
この8年の間に、私は男性に触れる事すら出来なくなってしまったというのに。
それでも貴方に会える嬉しさで涙すら出そうになりました。
姉たちの前で内から滲み出るあの喜びを、私は上手く隠せていたでしょうか。
私は“私”ではないのですから。


あの時、8年ぶりに貴方に会った私は上手く感情を隠せていたでしょうか。
やっと再開できた嬉しさを堪えて、親愛の言葉が口をつきそうになるのを我慢できたでしょうか。

私はその時にまた気付いたのです。
私は、今でも貴方が好きです。



それからの日々は風のように過ぎました。
今は私の主人である貴方と過ごした日々。

毎朝貴方を起こしました。
毎日貴方を見送りました。
毎日貴方の部屋を掃除しました。
毎日貴方を出迎えました。
毎日貴方のことばかりを考えていました。

毎日、毎日……貴方が好きでした。

しかし、それは全て感情を浮かべることの無い私がやったこと。
見送りの時ですら微笑の一つすら浮かべない私を貴方はどう思ったでしょうか。
心の底では呆れていたのでしょうか。

でも、それでも毎日私は貴方に笑いかけてもらいました……。
例え、それが仕方なく返した顔であったとしても。
それだけで十分でした。
それは、とても暖かな日々でした。
“私”が少しづつ彩づいていく日々でした。



だから貴方が倒れた時、私の心は悲鳴をあげました。
気が動転してどうにかなってしまいそうでした。
貴方の事だから。
貴方が好きだから。

貴方に触れる事すら叶わないこの身体で、もどかしく看病をしました。
貴方が好きなのに。
なのに触れる事すら出来ずに、姉にも無用の手間をかけさせてしまいました。


だけど、私は貴方が好きです。
私自身貴方のお役に立てなくても、少しでも貴方の為に何かしたい。

ですから、貴方が私を遠ざけようと辛辣な言葉を浴びせても平気でした。
平気でした。
平気でした。
平気でした。
平気でした。
平気でした。


………悲しかった、です…。



日に日に弱っていく貴方。
それは貴方のかつての親友のため。
彼が貴方から生命を共有している為です。

姉たちは彼を消すことが出来ます。
貴方を助けることが出来ます。

…私は、何も出来ません…。


いえ。
ありました。
貴方に力が戻るまでに、弱った貴方は死んでしまうと分かった時、私が出来ることが見つかりました。
貴方が好きだから。

それは、今まででも出来たこと。
貴方が元気になるのですから、こうなる前にも出来たことなのです。
貴方のためにこの身を差し出すべきだったのです。
だけど、私は恐かったんです。
貴方に触れることが恐かったんです。
こんなにも好きなのに。


でも、もうそれも終わり。
私なら、貴方を助けられるのです。

その事を貴方に告げました。
これからの行為を思って震えながら。
それを聞いた貴方は驚き戸惑いながらも私を受け入れてくれました。
貴方に、抱かれました。
とても痛かったです。
とても辛かったです。


…とても……とても嬉しかったです。
これで貴方を助けることが出来ると思って。
でもそれ以上に、貴方が本当に私が好きだと言ってくれて。

「自分の体の為じゃなく、純粋に君を愛したい」

そう貴方は言ってくれました。

それだけで、もう涙が出そうなくらい嬉しかったです。
先程までの行為も、今までのこと全て忘れてしまうくらいに嬉しかったです。

貴方は私を愛してくれました。
私は貴方に愛してもらいました。


私たちの心が一つになったように感じて、私はあの時とても幸せでした……。




そして貴方に力が戻り、元の日常が戻りました。
それは以前と少しだけ違う日常でした。
貴方と目が合うと自然にお互い微笑みました。
見送りの時も出迎えの時も笑顔でいられるようになりました。


貴方がいつも側にいてくれました。


姉が自ら毒を飲み自殺を図った時も、貴方と一緒でした。
それを助けようと貴方が姉をナイフで刺した時も。
貴方がまた無理をして倒れてしまった時も。
それを見て私が半狂乱になった時も………。


私は姉に“自分”を取り戻して欲しかったんです。
だから私は昔の“自分”を捨てたんです。

なのに……、私だけが幸せになり、私の願った姉は永遠にいなくなりました。


そう思ったから。

姉が助かったと聞かされたときは涙が出そうになりました。
嬉しかったんです。

姉が記憶を失ったと聞かされたときは涙が出そうになりました。
悲しかったんです。

姉さんが“自分”を取り戻す前にいなくなってしまった。
自然に笑ってくれる前にいなくなってしまった。
そのために私は今の私でいつづけたのに。
姉さんに、私は何も出来なかったんです………。



悲しみに暮れる中、私は入院している貴方と姉の病室を行き来しました。
一度も姉には会えませんでしたが。

貴方が退院したときに、初めて姉に会いに行きました。
一縷の望みを抱いて姉の病室へと足を向けました。
もしかしたら、私を見て記憶を取り戻してくれるのではないかと思ったんです。


そんな希望はいとも簡単に打ち砕かれました。
姉が私を見る目は他人を見る目でした。
見知らぬ人を見る怯えた目。

体から力が抜けそうになりました。
でも、私にそんな事は許されません。
姉が今まで私のためにしてくれたように、今度は私が姉の助けになるんです。
そう思って私は姉と向き合いました。

私はあなたの妹です。
私はあなたの側にいます。
私があなたの助けになります。
今まで二人でいたように。


だから姉が昔の自分の名を嫌っても、それで構いませんでした。
例えそれで昔の姉は完全にいなくなったとしても、私は姉の為にずっといるだけですから。

姉が新たな自分の名をつけて欲しいと私たちに言いました。
そして私と貴方が同時に浮かんだ名前がありました。
子供だった私たちが無邪気に遊んでいた頃の、貴方の名。
あの頃の私たちのように姉にも笑って欲しくて。
そう思ってその名を姉に告げました。

その名を聞いた姉は笑顔で言いました。

「―――懐かしい」

作り物ではない、本当の笑顔で言いました。


ああ……姉はいなくなっていなかったんです。
本当の姉はいつもいたんです。
貴方の名を懐かしむ姉は、昔から変わっていないんです。
姉は、本当に昔のように笑顔で私に笑いかけてくれました。

これで、私は“自分”に戻れる。
姉も私も“自分”になれる……。





私には好きな人がいます。
私は貴方が好きです
今も愛しています。

昔から好きです。


だから、もういいよね、姉さん。
私、あの人に子供の頃のように接してもいいよね。



貴方が帰ってくるのを出迎える私。
貴方が笑って、私が笑って。

貴方が

「ただいま翡翠」

って言った後に。
少し深呼吸して言うの。


「おかえり、志貴ちゃん」





私には好きな人がいます。
秋葉さま、七夜姉さん。

そして志貴ちゃん。

私は貴方が好きです。

…昔から、ずっと好きだったよ。

<完>



<後書き>

難っ!!
翡翠(ほぼ)モノローグ形式、いかがでしたでしょうか。
非常に難産だったこのSS。
あまり書かない形式ですので書いてる最中悩みまくりました。

翡翠は心中では敬語じゃないだろう、とか。
いくら何でも今更志貴ちゃんとは言わないだろう、とか。
四季との決戦のあたりが抜けてるぞっ、とか。
レンちゃんは本当に可愛いなぁ、とか(関係ない)。

月姫本編を何度もプレイされた方には色々指摘したい場所もあるかと思います。
私自身ですら「これは違うだろう」とか思ってますから。

でも、今の翡翠に「志貴ちゃん」って呼ばせてみたかった。
ただそれだけなんですよ。

このSSに対するご指摘などがあれば、どんどん言っちゃって下さい。

では、また…。


2001/11/7  ラルフ