歌月十夜のネタバレを含みます。
出来る限りプレイ後に読まれることをおすすめします。


夜。
新月。
窓の外の景色は闇。
月は見えない。

外を見るために僅かにあけていたカーテンを閉めた。
何となく月が見たかった気分だったのだが、新月なら仕方ない。
ほんの僅かな落胆を小さな嘆息で表現した。

いいや、寝よう。

そう思い、どっ、とベッドに身体を投げ出す。
既に翡翠にベッドメイクはしてもらってある。
いつも通りの柔らかな感触。

眼鏡を外し、机の上に置いた。
「線」を見ないよう、すぐに目を閉じる。

こうして寝付くまでの間目を閉じていると、頭に色々な事が浮かんでくる。
その殆どが他愛の無いことだ。
昔のこと、今日あったこと、とりとめのない空想。

……そういえば、今日はレンが来ないな…。
大抵の日は俺が寝付く前に布団にもぐりこんできたりするのだが。

………まあ…いいか…。

睡魔には勝てない。
もう、何も考える事無く、俺の意識は眠りの海へ沈んでいった。








一度だけ









『100万回もしなないねこがいました。
 100万回もしんで、100万回も生きたのです』



声が響いた。
目の前でふてぶてしい顔のとら猫が生きては死んでいく。


それはいつだったか読んだ物語。
子供向けの絵本のはずなのに、何故か読み終わった後にやりきれない気持ちになった。


100万の人間に可愛がられ、100万の人間にその死を涙され。
それでも、皆が嫌いで自分だけが好きだった猫。

100万回目に生きるとき、猫は誰にも可愛がられなかった。
猫は…その時が一番好きだった。
自分が一番好きだったから。

そして猫は1匹の白猫と出会った。

猫は初めて自分で望んで、その猫の側にいようとした。
白猫も、猫と一緒にいた。

彼らはずっと一緒にいた。
ずっとずっと。

……白猫が、猫の目の前で動かなくなってしまうまで。

猫は泣いた。
初めて泣いた。
白猫を抱いて、ずっとずっと、100万回泣き続けた。

そして、ある日の昼に猫は泣きやんだ。


『ねこは、白いねこのとなりで、しずかにうごかなくなりました。
 ねこはもう、けっして行きかえりませんでした』



それが物語の結末。
物語を見終わって俺の目の前に最後に残ったのは、原っぱに横たわる猫と白猫の骸だけ。

無性にやりきれなくなってその猫たちに向かって足を進めたその時。
目の前の風景は全て消え……

そこにあったのは、今にも泣き出しそうなレンの顔だった。










夢から醒めた。

………意識が覚醒する。
目を開けるより前に、自分の左腕に感じた暖かな感触。
「線」を出来るだけ意識しないように目を開けると、そこにはやはりレンがいた。
さっきの夢の最後で見たのと同じ顔。
不安げで、ちょっと触れただけでも泣き出してしまいそうで。

「レン、どうした?」

極力優しく問い掛けてみる。
だがレンは何も言わない。
何も語りかけてこない。

ただその瞳で、その不安げな瞳でおれを見るだけ。
それだけだ。

でも、分かる。
多分、だけど。
レンが何を言いたいのか、分かる気がする。

レンを抱き寄せ、頬をゆっくりと撫でた。
何の抵抗もせず、レンは俺にされるがままになっている。
俺は、出来る限りの優しい声で語りかけた。

「そっか…お前、この物語読んじゃったか……それともテレビかな?
琥珀さんの部屋で見たか?」

レンはじっと俺の方を見ている。

「俺もさ、何年か前に読んだよ、この物語。俺が昔世話になっていた家の娘が持っててさ。 確かタイトルは……『100万回生きた猫』」

そう。有間の家にいた頃、都古が珍しくしんみりしているものだから何が原因か聞いてみたことがあった。
そうしたら、「この絵本読んだから」と言ってある絵本を差し出した。
その本のタイトルが『100万回生きた猫』。

「何でかな…俺も読み終わった後、その娘と同じようになったんだ」

何故だろう?
ずっと自分だけが好きだった猫がやっと自分以外に好きな者を見つけて。
そして一緒に生きて。
それはきっと、今ままでの幾多の生よりも遥かに満ち足りた時間だったのだろう。
無為に生きた長い時の中でやっと自分以外を大切に思うことによって、 自分が本当に好かれていることを知って。
それは猫にとって初めての「生」であったはずだ。

物語の中の猫は、白猫に出会って初めて温もりを手に入れた。
俺もレンにとってそういった存在であると思う。
自惚れではなく、本心からそう思う。

自分を創った魔術師の最期の時に与えられた、唯一の感情。
それが何なのか分からないまま、レンは永い時を過ごしてきた。
アルクェイドと一緒にいたとしても、それはただ一緒にいただけだ。
分からないから、永い時を一人でも過ごしてこられた。
人の温もりを見つめたまま。

では…温もりを知った今、それを失えばどうなるのか。
猫は初めて泣いた。
100万回泣いた後、その生を、本当の意味で終えた。
そしてレンは……


片手を伸ばし、眼鏡を取った。
レンをもっとしっかり見つめられるよう、眼鏡をかける。

「なあレン。………俺は多分長くない」

その言葉に、レンは一瞬身体をビクッ、と振るわせた。
レンの頬を撫でる手からその振動が伝わる。

「そして俺が死んでも、お前は俺からの魔力が送られなくてもしばらくは自分の力で生きていける」

レンの大きな瞳が潤んでいく。
目尻に光るものが見える。
俺が言った事を、多分レンも考えていたのだろう。
だから不安になって、俺の答えが聞きたくなって、俺にあんな夢を見せた。

「その間…俺はお前を独りにしてしまう。あの猫のように、泣かせてしまうだろう」

だけどな、と付け加えて言った。
これがレンの求める答えかは知らない。
それでも俺はこうする。
そんな意思をこめて。

「泣くのは1回でいい。あの猫のように100万回も泣かなくていい」

レンがその言葉に涙ぐんだ顔をしかめた。
意味を掴みかねているのだろう。

「一度だけ、一度だけ俺が死ぬときに泣いてくれ。俺はそれで十分だ。それだけで俺は嬉しい。 お前がそんなに俺を想ってくれてるんだ、って思えるから。それ以上お前を悲しませない」

猫は白猫を失って100万回泣いた。
だけど俺はレンにそんなことはさせない。
残りの生を、全て哀しみで過ごさせるなんてことはしない。

「俺が死ぬときは………お前も側にいるだろう。その時は………」

一つ小さな息継ぎを入れた。
ゆっくりと言葉を紡ぐ。





「俺がお前を殺してあげるから」





それを聞いたレンは一瞬驚いた顔になり。
何かを考えるような表情をして。
しかしすぐに笑顔になり俺を見つめた。
涙に濡れた笑顔。

レンの思念が伝わってくる。
それを受けて、俺も答えを返した。

「ああ。一緒にいような…最期まで…」

俺も笑顔を返す。
これも、レンが手にいれた温もりの一つだから……。










次に眠りに就いた時にもまた猫の夢を見た。
そこでは蒼い目を持つ猫と大きなリボンを持つ黒猫が二人一緒に暮らしていた。

そして一緒に動かなくなった。


<了>



<後書き>

皆さんも読まれたことがあると思いますが、このSSでは『100万回生きた猫』という物語を 引用しています。
また、この物語は絵本です。
以前から内容自体は知っていたのですが、この話を思いついた時にどうしても原本が読みたくなり、 ついつい絵本を買ってしまいました。
二十歳の男が本屋で絵本を買う。
正直恥ずかしかったです。
しかしそれに見合う価値はありました。
何と言いますか…読み終わった後、鳥肌が立ちました。
恐いとかそういうのではなく、純粋に物語として。

これだから絵本を読むのはやめられません。

で、今回のSSですが、これはとら猫とレンちゃんを重ねてしまったことから始まっています。
志貴と青子先生が話しているように、志貴は長くないようです。
そうでなくとも、志貴は必ずレンちゃんより早く死ぬでしょう。
そうなったら…以前よりももっと哀しい時間を過ごすでしょう。

とら猫のようにレンちゃんが100万回も泣くことのないように、と思って書いたSSです。

アルクェイドにレンちゃん。
月姫の「猫」たちはどうしてあんなに哀しいのでしょうね。


2001/12/19 ラルフ