PaPa モンターニャのフォルクローレ日記
(平成13年下半期分)
平成13年12月分
内容 「南房総 竹の調査旅行」
「保育園で演奏」
「キウイの収穫とケーナ作り」
「Nさんのケーナと忘年会」
「養護学校の寮で演奏」
12月23日 日曜日 「南房総 竹の調査旅行」
21日から23日まで千葉県南房総を旅し、女竹を見てきた。
たまたま、泊まった宿の方が、横笛を作り、吹かれる方であった。
当地では多くの男性がたしなみとして、横笛を吹き(夏祭りのお囃子)、そして自ら作るのだと言う。各自、自分の竹場を持っていて、秘密にしているという。そこを無理してお願いして教えていただいた。
街中から車を走らせること15分。やや山がちの所にそれはあった。
きれいな竹林である。
僕はお目当ての竹林に入ると、うっとりしてしまう。時が止まるかのよう。
女竹とはよく言ったもので、たおやかで、スラーと長く細い。
川沿いの日当たりがいい所は、曲がりがきつく、節間が短いのが(G管がいくかどうか)多い。ここのは、半日陰で陽を求め長く1本1本が伸びていくのであろう。それと養分があまり無いので、ごつごつ曲がらないのかもしれない。ケナーチョ(D管)に使えそうなものも散見される。
宿の方に、竹のソリ(曲がり)を直す方法を尋ねたが、笑いながら「真っ直ぐなものしか使いませんから、、、」と言われた訳がこれを見て合点が行く。
1日中ここにいて、納得がいく竹材を心ゆくまで選べる。そういう竹林である。ご当地の方は幸せだ。
ここでは、竹が元気だ。それも生活の中で普通に活躍している。
駅近くの一等地に大きな竹材屋さんがでんと構え、色々な竹が立てかけてあり、忙しげに作業している。 竹細工屋(籠)さんがさりげなくある。
ミカン狩りに入った農園での光景。
ケナーチョ用にピッタリな女竹がなんとミカンの支柱にされていた。熊手の柄はさあ作ってくれと言わんばかりのG管用竹材そのもので、乾燥が進み綺麗なものであった。「下さい」と喉から声がでそうだった。
僕は女竹をはれものでも扱うように、宝石のように思っているが、本来は生活の道具なのであろう。そういう使われ方をし、いつしか割れ、土に返っていくものだ。
笛となる竹もあり、作物の添え木、はたまた、熊手となり土になる竹もある。
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竹林外観
ビッシリはえているのが女竹の特徴
画像上細く見えるが、実際はかなり太い |
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内部の様子
清々しく、ずっとその中にいたい気持ち |
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ミカン園(温州みかん)
甘くおいしいミカンがなるくらい温暖な気候
そういう気候に良い女竹も生育するようだ
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南房総から見える富士山
空気が澄む冬によく見えるとの事 |
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まさに冬至の時、沈む夕日
シャッターチャンスを失するほどあっという間に弱々しく沈んでいった
マヤの人達が、このまま太陽が沈み二度と現れない、だから生贄の心臓をささげるという信仰を有していたのが分かる気がする |
1年間読んで下さりありがとうございました。
今年はこれで終わりとさせていただきます。
北は北海道、南は九州と多くの皆様とインターネットを通じてお付き合
いさせていただき、忙しいながらも楽しい1年でした。
どうか良いお年をお迎えください。
12月20日 木曜日 「保育園で演奏」

今週の月曜日保育園で演奏があった。
0歳から6歳までの園児100名程がホールに集まってきた。
「外国の人?」という園児の第一声。
チャレーコ(ベスト)、ポンチョ、ボンボが珍しいのか、チチカカ湖に住む方がよくかぶる耳宛帽のTさん(サッカーのラモスの弟のよう)が目立つのか、日系ボリビア人に似たメンバーの某氏のせいか、、、、、。
泣き声とともに(それも初めての経験)コーヒルンバが始まるが、すぐ収まり、静かに聴いてくれる。テンポの良い曲はリズムをとり、違和感はなく、ホールの響きの良さもあり、演奏しやすい。
「明日があるさ」 「あわてんぼうのサンタクロース」は園児の大合唱となる。
最後は、園長先生がケーナで入り「花祭り」。
おしゃべり、楽器紹介も入れて1時間弱、園児は最後まで集中してくれ、お見事。
ミュウジシャンでCDも出している男性保育士の園長先生の方針か、園児たちも音楽に慣れているようだ。
明日もハンドベルのコンサートが企画されているとか。
少子化対策事業の補助を受け建設されたホールは地域に開放されており、その日もご父兄に混じって地域の方が参加していた。どんどん使ってくださいとのことだった。
小さな小さな子供達の目が輝いている。
多くの子供達がじっとこちらの目をみながらさよならの挨拶をして、それぞれの園舎に帰っていく。
人の目を見ながら挨拶され、また挨拶するのをしなくなって幾久しい。
12月9日 日曜日 「キウイの収穫とケーナ作り」

キウイを娘と収穫する。
今年は、花芽の枝を切りすぎ、収穫は例年の5分の1程度で30個ぐらいしかなかった。
いつもは春頃まで我が家のキウイを食べられるのだが、今年はスーパーで買うことになるだろう。
その娘は、近所の子と庭に大きな穴を掘って遊んでいる。ただ、掘るのみ。なにが楽しいのか。掘りあがった大穴に、キウイの落ち葉を入れてもらう。肥やしとなる。一石二鳥。
先日、娘が買ってきた雑誌を何気なく見た。大方、ゲームの攻略本だろうと思ったが、「明星」であった。男性のアイドル満載。僕の頃は女生徒が読むものだった。創刊50周年と書いてあった。
時は流れる。
ここのところ、「左利き用」や「京都Y式」(ラの穴を右手小指で押さえる)の特殊なケーナのご依頼を受けている。
普段と指穴の位置が違うので、基本設計(指穴の位置決め)の段階で多いに緊張する。普通の管でさえ、指穴の位置決めは、竹材の性格を総合的に考察し(太さ、肉厚、テーパー等)決め込む、製管最大の山場であるので、なおさらである。
指穴の位置決め
また、ご依頼者が色々プロフィールを書いてくださり(それはそれで、どんなケーナを作ってさしあげればいいかの判断がつき、大変助かるのだが)、持っておられるケーナが私も存じ上げている有名な大先生のであったり、高名なプレイヤーの作であることが多い。
大いにプレシャーとなる。
お付き合いのある、横笛の製管師は、「吹き手は色々言ってくるけど、気にしちゃあだめですよ。俺はこう作った、これで吹いてみてくれいぐらいじゃなきゃ。」と仰る。
それもいささか極端な話ではある。
結局歌口の形状が、音色、吹きやすさに関係し、穴の大きさと位置が高音の出やすさに影響するのだろうが、僕には僕の歌口しか出来ないし、自分で吹いてみて、高音がでやすい指穴を何日もかけて愚直なまでに探し当てることしかできない。
1本1本自分専用の管を作るつもりで作っている。
それでもいいと仰る吹き手がおられる。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
12月3日 月曜日 「Nさんのケーナと忘年会」

昨日はフォルクローレの会の忘年会があった。
場所はメンバーのヘヤーサロンで、お店がはねるとミニホール兼スタジオとなる所。
セミプロ活動をしているNさんが来てくれた。
最近演奏に使っているケーナを吹かせてもらう。首から下げるヒモに荷作り用の麻ヒモをつけているのはいかにもNさんらしい。それが素朴な管に妙にマッチする。
ペルータイプのやや細めの管である。
これが抜群にいい。前、日記に書いたいいケーナ(平成13年9月7日付けの日記に詳しく書いてありますので興味のある方はクリックしてください)の上をいく。低音から高音までスムーズに力まずに出るのは前と同じだが、音に表情、深みがある。普通のケーナだと、何とか音に表情をつけようとやっきとなるのだが、これは普通に吹いて音に表情がついてくる。もって生まれた、アンデスらしさよ!
その管の出自。
レッスンに通っているペルーの方の作。
指定された個人レッスンに行くと、先生は風邪をひいていて、「ごめん今日はこれ持って行って、勘弁して」と無造作に渡されたのだそうだ。
やはり、前の管(現地のストリートミュウジシャンが吹いていたそのものを交渉して手に入れた)と似ている。
そういう管は果たしてできるのでしょうか。
さて忘年会のこと。
今年は、3部構成。
第1部は僕達の演奏。
第2部は路上ライブの若手のギターと歌。さっとフォルクローレのなかにエレアコのギターをいれてくるのはさすが。
第3部はフラメンコ。踊り手の女性に魅了される。伏目がちに、切なげに踊る様はお店の雰囲気にあう。スペインの町外れのお店でひいきの女性をみやる気持ち。因みにお店はスペイン風バール(喫茶店兼居酒屋)っぽい作り。
その方の画像を入れたいのだが、デジカメを忘れた。残念。縁があればいつかどこかでまた会えることでしょう。
12月1日 土曜日 「養護学校の寮で演奏」

先月の27日の夜、H養護学校の寮での演奏があった。
高等部(高校),中等部(中学)の寮生20人と先生方5名程が小さな談話室に集まってきた。
それこそ膝付き合わせるという感じである。子供達も反応がよく、部屋の響きもよく久方ぶりに気持ちよく演奏が出来た。アンデスの祭り、カントリーロードを一緒に歌ったり、ケーナを吹いてもらったり「参加型」が良かったようだ。
メンバーの女性が進行役、2回目。
話のマクラに、こっちの人がケーナ作りのおじさんで、このグループの笛はみんなこの人が作ります(大分違う)、と私を紹介する。
前回もそう。うれしくもあり、気恥ずかしさもあり、、、、、。
暗いかナというイメージはかき消され、山田洋次の「学校」そのものの世界がそこにはあった。 寮生も明るい、先生も明るい。
メンバーの女性のアクセサリーを耳につけてみる女の子、冗談を言いながらメンバーの首に「レイ」をかけてくれる男の子。街中にどこにでもいる子供達だ。
先生方も寮生のお兄さんお姉さんのようで若く、自分の仕事を仕事としてさりげなくこなしている。その姿は「美しい」。
子供達は1ヶ月に2回しか家に帰れない。寮での生活自体が自立への訓練なのだそうだ。
家に帰りたかろう。その思いを胸に込めているから子供達は明るいのか。
苦しいことがあるから、楽しい、楽しい先には苦しさがある。
これは、我々大人の場合。ちょっと子供には酷だろう。
演奏依頼があったの、そう、ではいきますか、という演奏なれが正直あった。
その、なれを吹き飛ばし、初心に帰らせてくれた。
それとは、聞き手と演奏するものが一緒になって、面白い、楽しい、ノルということ、そして、僕達の拙い演奏でも子供達は喜んでくれたこと、更にはその喜ぶ姿を見て先生方が数倍喜んでくださったという事なのです。
平成13年11月分
内容 「ケーナとブルーベリー」
「竹取りと我が性格」
「野外演奏と夢」
「竹材の仕込みと親父」
11月18日 日曜日 「ケーナとブルーベリー」
我が家のブルーベリーの紅葉
今日は朝から一日中「左利き用ケーナ」の調律と仕上げをした。
夕方、さあ発送だという段になって、ヒビ割れていた。ちょっと息抜きに外出した2時間の間に、その竹は自らヒビ割れることを選択したのだった。
これで、先週2日と今日の3日分の仕事が無きものとなった。
ヒビ割れたケーナを女房に見せ、そして、静かに物思いにふけった。
左利きケーナを作ることが雑誌にとりあげられ、いささか、力が入っていたようだ。こうして文章を書き、自ら心の整理をする。
ご依頼者にお送りしてからワレなくて良かったんじゃないかナ。
先日のT温泉の帰りに買ったブルーベリーのジャムがとてもおいしい。
「村おこし 町おこし」の品である。プリザーブでブルーベリーの粒々が綺麗に残っている。おそらく、小さな鍋で細心の注意を払いながら煮詰めたことであろう。
大量生産でない良さ。
わたしのケーナもそうありたい。
11月12日 月曜日 「竹取りと我が性格」
家の近くの風景
陣馬山から高尾山へ続く山並み

今日は朝から竹取りに行った。
横笛師の方から「秘密」の場所ですよ、と何度も念を押されて教えてもらった所を目指す。途中何度も道に迷いながらも、ようやく聞いた場所にたどり着く。
しかし、どうしても目指す竹が見つからない。そこが「秘密」の秘密たるゆえんか。
笛師は、キノコ狩りの名人と同様、自分の狩場(竹場)を持っていて、容易には他人にその場所を教えないという。そこらへんまでは教えるが、あとは自分で苦労しなさいということなのだろう。
竹を探すのは綺麗さっぱり諦めて、途中見かけた温泉に行くことにする。西多摩郡日の出町のTの湯。名前のように確かにつるつるする。風呂上りに地ビール「多摩の恵み」を飲む。
フルーティでおいしい。
笛を作っていて性格がちょっとだけ変わったかもしれない。
「しょうがないさ」「起きてしまったことはクヨクヨしても始まらない」とパット気持ちの切り替えがつくようになった。(但しまだ無理やり飲み込むようなところはある。ようやく人並み?)。
笛を作っていてうまくいかないことがつきものである。
前のように穴あけで竹を割ったり、穴の位置を間違えたりはさすがになくなったが、仕上げの段階で見えないキズが発見されたり、ヘアークラックを生じさせたりはある。
それでははもうだめで、一から作り直しとなる。
仕上げまでたどり着いた苦労と時間と竹材は嘆いても戻らない。いかに早く気持ちを切り替えるかが「痛み」を癒す。
素性のいい材料は穴の下開けの段階で3オクターブのシが鳴り出すが、だめな物はどう手を尽くしても鳴らない。その時は、別の材料に換える。そうすることが自分も苦しまないし、竹も苦しまない。
地元、西多摩、南多摩産の竹を使ってケーナを作り、吹いてみたい。その夢はまたしても遠のいたか。
まあしょうがないでしょう。
11月3日 土曜日 「野外演奏と夢」
地元の福祉施設八王子F園のお祭りでの演奏があった。
去年のクリスマス会に続いて2回目のお呼ばれ。
野外の演奏は大好きだ。
大分前、公園でどこかのグループが演奏しているのを見た印象が焼き付いているせいだろうか。フォルクローレといえば野外が似合う。今日は特にすがすがしかった。顔見知りの人が何人もいて力が入る。
でも他のメンバーは消化不良気味。前のジャズのグループが渋滞で到着が遅れるとかで、僕達のグループが前に繰り上がったせいで、ぶっつけ本番。
音響調整も時間不足の上、おまけにボーカルの二人の女性は風邪で声が出ない。
演奏していると、音がどう聞こえているかさっぱり分からない。聞いていたカミさんにいわせれば、あまり良くないとのこと。
自己満足かもしれないが、僕は大いに満足。
何年か前、野外演奏のグループを羨望の眼差しで見ていた自分がこうしていられるだけで十分。
2ヶ月半の間に4回の演奏があった。
12月に保育園での演奏をまとめてきた女性メンバー、「千と千尋の神隠しやろう!」
どうなることやら。

もう一つ。新入会員あり。女性。ケーナを作りたいとの事。
「じゃあ僕の所に弟子入りしますか」
「えー他にお弟子さんがいるんですか」
「冗談、冗談ですよ」
ケーナを作りたいといって入ってこられたので、舞い上がってしまったのだ。
「でも、工房兼練習場兼合宿所の設置、畑作りと自給自足の生活、そして、犬を飼うのは本気ですよ。」
夢は多いほどよい。それがないと、日々の生活で押しつぶされる。
11月2日 金曜日 「竹材の仕込みと親父」
養生を待つ女竹の笛材
竹材の仕込みでおおわらわである。実際使えるのは来年以降となる。気の長い話である。
今日は亡くなった親父のことが思い出されてならない。
親父は木工職人であった。
材料の養生(乾燥)のための作業には私達子供が駆り出された。大きな材木を二人で運び、「サン」をかませ幾重にも積み重ねる重労働である。
親父は監督役で、やれ、曲がった、それどうだと、何回もやり直しを命じるのみであった。
大事な材料をいかにうまく乾燥させるかで頭が一杯であったのであろう。当時は知る由もない。
積み重ねた材料の木の量は常に一定していたように思う。使った分だけ、仕込んでいたのであろう。
その常に一定していた材料を残し、親父はある日突然亡くなった。亡くなる1ヶ月前まで、それらに囲まれ仕事をしていたそうだ。
残された材料は長い間そのまま置かれた。それを横目で見ながら、実家に入っていくのだが、そのたびに親父を思い出すのであった。
お袋が同業の方にお願いして引き取ってもらったのはずいぶんと後であった。ようやく一つの区切りがついたという口ぶりであった。
思うに、親父にとって、結果として作り残した材料がたくさん残ったというのは、幸せなことでなかったのか。
何年か先に使う材料を目の届く所で養生させる、それに囲まれ仕事をする。ものを作るものにとって、一番安心して仕事が出来る環境である。材料がないことは、即、仕事が出来ないことを意味する。
いい材料を横目で見ながら、「よし、次はあれでもっといいものを作ろう」と、、、、。
竹を仕込みながら、今それがわかるのである。
平成13年10月分
内容 「長谷川きよしコンサート」
「絵本出版パーティ」
「顔」
「小学校で演奏」
10月19日 金曜日 「長谷川 きよし」コンサート
カミさんと八王子で開かれたコンサートに行く。
開場1時間前に並んだお陰で、最前列、演奏するまん前に席が取れた。ライブハウスで聴くよう。表情、ギターをかき鳴らす手の動きよく見えた。
全然風貌、歌いぶり、ギター変わらない。代表作の「別れのサンバ」 「黒の舟歌」も聴けた。最近の曲もいい。アンコールは「黒いオルフェ」。これもいい。カミさんはしびれっぱなし。
もう一人しびれっぱなしの人有り。
席が隣の見ず知らずの女性。「私の大学祭で長谷川きよし呼んだのよ」「事務所に依頼に行ったり、当日お迎えに行ったのよ」「翌年は加藤登紀子ね」とカミさんに話し掛けている。
私の大学祭と似ているなーと思い、間に割って入り、「僕の先輩が長谷川きよし呼びましたけど」 「確かOさんといいましたけど」と私。
「それって横浜のY大じゃない。Oって当時の彼氏で今のダンナよ」と隣の女性。私、目が点となりました。
「僕もY大です」 「1年の時大学祭の実行委員やり、加藤登紀子呼びました。」「Oさんに長谷川きよし呼んだ時の苦労話よく聞かされました」、、、、、、、、。
後の会話は、27年の時空を超え、お互い二十歳前後の大学生となったのでした。
こういう出会いってあるんですね。隣の女性もY大出身でOさんと一緒に八王子に住んでおられるとか。
O夫人は長谷川きよし大大大フアンのようでした。ホールの入り口に張ってあるコンサートの大きな張り紙を貰おうとして主催者と必死の交渉する横を、カミさんと二人で帰ってきたのでした。
10月8日 月曜日 「絵本出版パーティ」
絵本

メンバーのSさん(女性)が「パレンケの記憶」 新風舎 刊 1,300円(本屋さんで取り寄せ可能) という絵本を出版した。
インディオの少年に導かれ、マヤ復活の秘密が明らかにされる。私はインデイオの生まれ変わりといつも彼女が言っているが、その思いが根底にあり、更にマヤの遺跡パレンケを訪れた感動もモチーフにする。
さし絵がなんと言っても良い。力作。大人のための「画集」でもあると思う。
フォルクローレの仲間が招待され、記念の2ステージ演奏。
場所は武蔵野の面影が残る国立の喫茶店兼ギャラリー。
自宅を兼ねた2階の小さなギャラリーが会場。窓の外は、ミニ空中庭園。お客さんと膝をつき合わせての、無音響の演奏。
出会いもまたあり。
彼女のいとこの方と車を乗り合わせる。8年ほど小ホールの企画運営のお仕事をされていたとの事。そのオーナーとの出会いと8年の日々を興味深く伺う。同乗の女性のメンバーは、明日、福祉施設就職の面接だとか。絵本作家の一歩を踏み出したSさん、そして、こんなことを始めた私。車中、「悔いの無い人生と仕事をしたい」の論議で大いに盛り上がる。
さし絵の原画

更に立川のフォルクローレ、ラテンのライブハウスのマスターとママさんにもお越しいただいた。そのお店は、フォルクローレをやるものにとって「甲子園」みたいなところなのです。お店があるのか慌しく帰られ、お話できなく残念。
帰りは雨。傘が無いのでぬれて行く。
いい仲間、参加してくれた皆さん、そして、素敵な会場とおいしいケーキとオーナ。その中で、大好きなフォルクローレの演奏が出来た。これで晴れていたらバチがあたる。
夕闇迫る中を一人ぬれて行くのが丁度良い。肩に担ぐ、ギターもまた同じ。
10月7日 日曜日 「顔」
富士山5合目須走り口(H13・9・24)

午前、午後、娘の小学校の運動会。
小6なので、これが最後。長男とあわせ、9回目の今日が見納め。
フィナーレを飾る4、5、6年生合同のリレーに、娘が選手で出る。前日、「胃が上へ下へとなる」(緊張して)から出たくないと言っていた。
入場門から出る彼女に声をかけるが、緊張しうわの空。
号砲が鳴り一斉にスタート。娘の属する黄色チームは、徐々に遅れ始める。
なんと、娘にバトンが渡った時は、半周近くトップから離され、ダントツ最下位の状態となっていた。娘は臆することなく走りに走る。その差は縮まりもせず拡がりもしない。
私の目の前を駆け抜けていく彼女の顔は、もう子供のそれでなく、きりっとしたハイティーンの顔であった。ひたむきに走る姿を見ていると、なぜか涙が出てきた。
夜、叔父のお通夜に出る。
久しぶりに、いとこの3姉妹と会う。もう一人、私と同い年のいとこを加え、4人の女性達。
幼い頃よく一緒に遊んだ。30数年ぶりにこうして話す。面影ははっきり残っている。
皆、年をとり、妙齢のご婦人となった。顔に今まで生きてきた人生がにじみ出て「美しい」。
対する私の方は、男4人兄弟が相まみえる。彼女達にもそう見えているのだろうか。
10月1日 月曜日 「小学校で演奏」

先月の29日、地元のO小学校でフォルクローレのコンサートがあり、演奏してきた。全校児童47名の山里の学校で、この6月、全6年生5人を相手にケーナ作りの授業をした学校である。
今回の目玉は、その時子供達が作ったケーナで、「アンデスの祭り」(マリポーサ)を演奏することである。地元にも回覧がまわり、たくさん地元の方が参加され、恒例の地元を上げての行事である。
第1部は「ロス エストレラス アンディーナ」(当ホームページとリンク)の演奏。「もののけ姫」、「さとうきび畑」を演目に入れるも、子供達(特に低学年)には、フォルクローレ=はてな?だったかな?
ご父兄は「コンドル」をはじめ、胸に染み入るよう静かに聴いている。空が見えないほど山が迫る風景に溶け込む。
第2部は我々と子供達とで、「明日があるさ」の合同演奏。
ケーナの主旋律に合わせ、1年生から6年生まで客席で立ち、自分達で作った歌詞で歌う。6年生は「残り少ない学校生活を楽しくと」歌う。
チャランゴのTさんがエレキベースに挑戦。なかなかノル。
歌う全6年生(首に手作りのケーナ下げ)

「アンデスの祭り」では、6年生5人が、前へ出て、自分で作ったケーナで前奏を演奏。歌でも参加してくれる。内一人は、体半分もあるボンボを担ぎ一生懸命叩いてくれた。
第3部は我々とアンデイーナとのジョイント演奏。曲目は、「花祭り」と「サリーリィ」。チャランゴ2台、ギター2台のすごい弦集団。歌集団も負けじと迫力がある。子供達も好きで「テンゴケ」の歌やろうと、歌っているとのこと。歌詞の紹介で、スペイン侵略とアンデスの人々の背景を話したが分かったかな?
第4部?!もあった。集団下校する子供達を送ろうと、急遽決まった。(実は第1部の演奏が少ないのでもっとというアンコールがあったのだが、すっかり忘れてしまった代わり)
屋外で「花祭り」を再度。子供達はなんだろう?という感じだが、ご父兄や先生はニコニコ大喜び。ひんやりとした山の空気に良く似合う。
子供達が裏山で拾ったクリ、メッセージが入った色紙、花束が出演者一人、一人手渡されたこと。暖かい食事をと演奏途中で家に帰り、おばあさんから届けられた、ホカホカのお赤飯、煮しめ。自家製漬物、クリの渋皮煮、手作りケーキ。
路傍に咲くススキ、野菊らの活け花。
みんな、山里の暖かい心遣いが感じられた。
フォルクローレ日記平成13年9月分
内容 「富士山へキノコ狩りに行く」
「秋の訪れと我が人生」
「Nさんのケーナ」
「北海道へ渡ったケーナ」
9月24日 月曜日 「富士山へキノコ狩りに行く」
フォルクローレの仲間4人で、富士山五合目須走り口へキノコ狩りへ行った。
快晴に恵まれ、五合目「小富士」からは富士山を背に240度の展望。北は八ヶ岳、南は、箱根の大涌谷の噴煙、相模湾に浮かぶ八丈島、利島を見ることが出来た。
キノコもまあまあ取れた。今晩は私が腕を振るうキノコ汁だ。
久しぶりに、ケーナも作らない、ケーナのことを考えない、フォルクローレの練習もしない休日。このサイトを立ち上げて以来半年振りの休日か。
いや、やはり出てきた。深い山で行方不明にならないよう、お互いの位置確認に、サンポーニャ、ケーナが役立った。
体力的にはアップアップ。キノコを探し、道なきところを昇り降りするのですごく疲れる。
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冠雪の富士山 |
| 一番奥のギザギザのシルエットが八ヶ岳 |
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三日月形が山中湖 |
| コケモモの実 かじるとすっぱい |
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オオツガタケ |
| キノボリイグチ 木にはえる |
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取れたキノコ 上記2つのほかに、ホテイシメジ(お酒と一緒に食べると危ないので、明朝の味噌汁の具)、ナラタケ(貴重 木の根元に5、6本かたまっていた)、イグチ類 |
9月22日 土曜日 「秋の訪れと我が人生」
庭のヒガンバナ 年1度の時計
当地、八王子は東京のはずれにあり、山梨県に接している。
私の住むところもそのまた西はずれにあり、山が迫り、川が近くを流れ幾分涼しい。
今朝は特に、涼しく、というより寒いくらいだ。庭の草取りをしていて手がかじかんだ。
今年は、ケーナ作りとこのサイトの運営に追われ、全く庭の面倒を見てやれなかった。
玄関へのアプローチは本来、山野草のロックガーデンとキウイの棚とで風情があるべきはずなのだが、青シソとたれさがるキウイのツルとで、ジャングルと化し、人の行く手を阻む。
夕餉のビール用にと植えた枝豆は、すぐそこにたわわに実っているのに、収穫せず、今は本当に大豆と化している。ブドウは、熟しすぎて貴腐葡萄と化しているありさまだ。
家庭菜園で作物を育てていて、「哲学者と化す」のはこの季節だ。
トマトやキュウリをあれほど生み出した勢いは薄れ、枯れ始める。ボウル一杯取れたブルーベリーは、小皿やっとの収穫となり、早くも葉は色づき始めている。
私の人生もそうではないのか。
長男を負ぶい紐で背中にくくりつけ、自転車で2つの坂を超え、ついた保育園でオシメを代える。そういうことはもう私には出来ない。
朝6時起きし、高校へと出かける彼が、今度は2つの坂を自転車で上がる。出かける後ろ姿に声をかけてやることしか今の私には出来ない。
若さ満ち満ちた時は去り、下降線にあるのは純然たる事実である。
掲示版にご投稿くださる方の奥さんのホームページには、こう記されている。
私は、年齢は隠さず堂々と書きます。それだけの人生を歩んできた「あかし」だからと。
9月7日 金曜日 「Nさんのケーナ」
初秋の恵み 我が家で収穫のブドウ
私の作りたいケーナ。お腹から、喉、口腔、唇そして管へと一つにつながるような、ケーナを持っていることすら忘れさせるような、管が体の一部となるようなそういうケーナを作りたい。
そういう感覚は公園で1時間半ぐらい、夢中でケーナを吹いたときに出てくる。また、A管を吹いた時にも体感する。
人はそれを、「レスポンスがいい」とか、「鳴りがいい」とか、「吹いて楽」と表現するようだ。
そういう管に一度だけ巡り合えたことがある。知り合いの、セミプロ活動をしているNさんのケーナである。(正確に言えば、であったとなる。)
見かけ上、どうということはない管であった。ヒビ割れていたり、それを、ビニールテープで補修してあったりして、色も黒いこともあり、おせじにも綺麗とはいえない管であった。また、バチがわりに、それでボンボを打ったり、Nさんはゲタのようにそれを扱っていた。
借りて、吹いてみると、とにかくよく鳴る。低音から高音まで、普通の息遣いで、まろやかに同じ音色がでていく。管が軽いこともあり、持っていることを感じさせず、管が唇の一部となったようである。
聞いてみると、街頭演奏していたかの国の人が、まさに吹いていたそのものを買ったのだというではないか。それもかなりの値段で。Nさんに言わせれば、お店に並んだ何十本ものなかから、鳴りのいいもの探す苦労を考えたらなんでもないと言う。
Nさんはその大事にしていたケーナを、壊してしまった。愛車のバックドアを閉める時、はさんで、管は縦に割れ、ファの穴が陥没してしまった。
その修理を私に依頼してきた。
なんとか修理し、ピカピカに磨いて返した。自分で吹いて、前のように音が出るのを確認した私は得意であった。
後日かえってきた、Nさんの答えは「否」であった。外見上良く直ったと思ったが、吹いてみたら前と感じが違って、もう演奏には使えないというのである。
外見ばかり気にした私は恥ずかしかった。やはりくっついたとはいえ、ヒビはヒビ、管の微妙なユガミは音に影響するのであろう。それ以上に、このケーナはNさんの体の一部だったのだ。誰しも、自分の本当の体の一部が少しでも傷つけばわかるでしょう。
そういうケーナを私は作りたい。
道遥か遠し。
9月1日 土曜日 「北海道へ渡ったケーナ」
近所の竹藪のキヌガサタケ
北海道の方からご注文があった。北海道と聞いただけで頭がクラクラしてしまった。勿論うれしくて。
渾身の力を込めてお作りした。
日本で唯一アンデスらしい、冷涼で広大な北海道をイメージし、また、ご依頼者のご経歴(郷土芸能保存会の太鼓ご担当)を考え、相当太い、どっしりした、ボリビアタイプのケーナを作ってさしあげた。
自画自賛で恐縮だが、野太い低音、音程のバラケがあまりなく(太い管ほどオクターブを合わせるのが難しい)、軽く3オクターブのシが出る、レスポンスがいい(吹けば即座に音が鳴る、吹いて楽)等なかなかよく出来たと思っている。
吹き込めば「むせび泣く」高音の世界となる可能性を感じさせる。それこそ、手元において自分でその行く末を見届けたかった管である。
ご依頼者からは、及第点をいただいたようだ。太い分、律がなじむまで相当吹き込む必要があるかと心配していたが、予想通りパワーがおありなようで、ガンガン吹いておられるようだ。
篠笛、尺八もたしなむようで、メールには新鮮な驚きがある。
例えば、ケーナの響きを篠笛と尺八のあいのこと表現。6本調子の篠笛にはF管のケーナが合うから、合奏する曲を作りたい。A管は民謡のキーだから、太鼓の合間に民謡を吹いてみたい、おじいちゃん、おばあちゃんは大喜びだろう。等々。
何より私がうれしかったこと。日本の竹が好きな方なのだということ。装飾の糸はいりません、竹の自然さが一番と、はっきりおっしゃる心意気がいいのである。
フォルクローレ日記平成13年8月分
内容 「団地夏祭りの演奏」
「ブルーベリー摘みとアルパ」
「米沢ケーナの会」
「ロス アウキス コンサート」
8月24日 金曜日 「団地夏祭りの演奏」
先週の土曜日(18日)の夜、M住宅の夏祭りで2ステージの演奏をした。
フォルクローレ(正確に言えばフォルクローレをグループで生演奏すること)のオーラを改めて感じさせたくれたこと2つ。
その1。本番1時間半前に会場入りするも、半端でない雨。(因みに屋外演奏) 町会役員は半ば、中止モードであった。
「雨が上がるかもしれないですから」とともかくリハーサルを開始する。その演奏を聴くとはなしに聴いていた若い女性の役員が町会長に耳打ちする。「工事用のブルーシートを雨よけに張ったらどうです」
結局、ステージの上にシートを張ることとなり、やれロープはどこだと町会長は大忙しとなる。その合間、ウン、ウンと頷きながら練習を見守っていてくれる。実は町会長が我々を呼ぶのに一番骨をおったのです。
その思いが通じたのか、なんと本番20分前に雨はピタリと止んだ。
その2。お茶やスイカを出してくれた接待役の70後半の老婦人、つまり、おばあちゃん。リハーサル後半は、そのおばあちゃんお一人が我々の演奏を聴くという状況となる。
一曲終わるごとに拍手をし、じっと聴いてくれる。「一人で生演奏が聴けて良かった」と。恐らく、長い人生この種の音楽は初めてであったろうに。
肝心のステージは?まあなんとかかんとか。
これを経験し、前から続く流れ(ケーナ同好会的要素から、グループ演奏志向へ)が一段と進んだことは間違いない。
実質3日間の練習でアルパのギター伴奏をとにかく出来たこと。投げないで良かった。
とにかく、練習し結果として出来て初めて、ステージに上がれる。そうでなければ(練習した、でも出来なかったでは)ステージに上がれない。そういう道を、私も含め皆は歩み始めたのである。
「ビエントス・デ・ラ・フロンテラ」(辺境を吹き抜ける風たち)のグループ名が「開拓の風」 戦前の国策映画?と模造紙に書いてあったり、「歌謡ショー」とアナウンスされたり。
それは面白くもあり、主催者の暖ったかみが伝わるエピソードでした。
8月17日 金曜日 「ブルーベリー摘みとアルパ」
ブルーベリーが実るのは、8月のお盆のころだ。帰省する車のなかで、摘み取ったばかりのそれを食べるのが何年も続いたことだろう。秋風が吹く頃には、暑い夏の思い出を惜しむように、それは終わる。
娘の朝の日課はブルーベリー摘みである。彼女が摘む姿を眺めるのが私は好きだ。やがて、小皿にはちきれんばかりに摘み上がり、そして、ヨーグルトをかけ食するのである。
田舎に妻と帰っているので、今朝は私が摘み、一人静かに食べた。
明日は、団地の夏祭りで2ステージの演奏がある。
パラグアイの楽器アルパ 
急遽、アルパのギター伴奏をやることとなった。曲目は「偽りの愛」(ガラーニャ)。アルパらしいしっとりとして、かつ切々と心に訴える綺麗な曲だ。
アルパの伴奏をさせてもらえるなんて、そんなにいないのではないだろうか。もうそれだけで胸がいっぱいとなる。
3日前の夜、アルパのSさんと初めてあわせただけなので、これから猛練習する必要がある。あせっているのだが、反面、そのように声をかけてくれたSさんに感謝している。
明日で終わりでなく、今後、彼女のアルパと演奏する機会が増えることがとてもうれしいのである。
8月6日 月曜日 「米沢ケーナの会」
会の皆さん
山形の「米沢ケーナの会」の練習へ泊りがけで行って来た。
なりより、ここまで立ち上げたT君を励ましに、そして私のケーナを使って下さっている方々へお礼をする旅であった。
会の方々は、例えて言うならば、掘りたての土のついたじゃがいも、ゆでたばかりのとうもろこしのようである。
決して華美かつスマートでないが、山形のお国言葉のように、純朴で暖かい。フォルクローレを愛する人固有の感じを、更に純化させたようだ。
結成2、3ヶ月なのに、「リャキルナ」(悲しき人々)のセカンドケーナをさりげなく入れたり、歯切れよくワイニョのリズムをボンボで叩いたり、手に入れたばかりというサンポーニャで「二羽の小鳩」を吹いたりと、それぞれの方ががんばっている。
孤軍奮闘するK君を見ていると、3年前の私を見るようだ。
自分のケーナが吹かれているの見るのは初めてである。お会いして手がかわいらしいのが分かる。第1穴を小指で押さえていると聞き、もう少し指穴の間隔を狭くする必要があったと悟る。作り直しをお約束する。
やはり皆さん、フォルクローレ病がかなり進んでいる。懇親会後、夜の植え込みで、野外演奏を一緒にやってしまった。8月というのに、東北の夜は冷え込む。寒い、寒い。
米沢の町は、「上杉鷹山」公(ケネディをして尊敬する日本人だと言わしめた人物)生誕250年で一色である。なんと、T君に案内された温泉も「鷹山の湯」であった。
8月4日 土曜日 「ロス アウキス コンサート」
ブルーベリーとミントの花 
先月の29日(日)江戸川区で「LOS AWKIS」のコンサートがあり、山形から上京中のT君と一緒に行って来た。
リーダーはセルヒオ・アウカでペルーのグループである。ペルーらしくバイオリンを入れている。CDも出し知っている方が多いだろうから演奏については触れない。ただ、CDに入っている「チューニョの花が咲く頃」(トバス)が好きなので期待したが、その演奏はなかった。
CチャバンバのY岡さんはケーナの持ち方について、「現地のミュージシャンは右手が上で左手が下が多い」「サンポーニャの向きが日本人の感覚と逆なのと同じなんです」と言われていた。
まさにアウキスの3人とも右手が上の持ち方であった。
これで合点がいった。現地のケーナの歌口を仔細に観察すると、歌口が少し左に傾いているのがほとんどである。上に来る右手はどうしても右向きに管を回すこととなるが、それを計算に入れて左に傾けて歌口を作っているのではないかと。結果として演奏時、歌口は水平となり、正しく息があたることとなる。
現地のケーナの材料観も興味深かった。リーダーはこう語る。「ケーナは竹で作ります。それがない時は木で作ります。それもない時は水道のパイプで作ります。それはけんかの時役立ちます。」と。後半はジョーク。木製のケーナ、いいなあとは思うのだが、ケーナは竹(当然南米の)という思いがあるのだろう。
それにしてもT君はすごい。チャランゴの講習とその後の飲み会、フォルクローレのライブハウス、我が家での練習、そしてこのコンサートと、スターばりのスケジュールを2泊3日でこなし、風のように山形へ帰っていった。
平成13年7月分
7月27日 金曜日 「ケーナの修理」
我が家のブドウ もうすぐ熟す
ケーナの修理依頼があった。3年前に作ったもので、だんだん当時の記憶が戻る。
当時は一生懸命作ったはずなのに、今改めて見ると、恥ずかしくて正視できない。歌口が「いけません」。
同じことを、陶芸家のH原さんが言っていた。お得意さんの家にお呼ばれし、台所で、使い込まれている作品を見る機会があったそうだ。大分前に、自分の作ったものであることは一見して分かるが、その出来栄えについて同じ思いをしたという。
管尻のヒビ割れを修理。、「ご苦労さん、またがんばってね」と、管の内外をきれいに拭い、油をすり込む。
歌口を直したかって。そのままにして置きました。歌口の手直しのご指示がなかったせいもありますが、それだけではありません。
7月18日 水曜日 「続 京都Y式ケーナ」
先週の土曜日、京都のYさんにケーナ送る。以後毎日メールで第1穴の位置についてやり取りする。
ほぼ見えてきたこと。外側へのシフトはすべきである。(13日付け写真よりやや弱くても良い)小指で押さえるのであるから、指穴は同写真よりやや手前かつ小さめが好ましい。総じて、小指で押さえられる喜びを述べておられた。
東京のYさんからは早々メールをいただいた。南米現地での見聞、ご自身での製作実例から第1穴のみならず他も微妙にシフトさせるというご指摘。それと上記は合致する。
京都のYさんからは、きびしい指摘もあわせていただいている。ラのオクターブが上ずるということ。喜び勇んで作るあまり、穴の大きさを少々大きくし過ぎたか。また、空梅雨、連日の猛暑でピッチ上がりが思いのほか早いのか。
いけない、いけない。それは言い訳というものだ。自分の未熟さ故でないのか。
歌口作りと調律は1日で仕上げることはしない。一気にやると、目と耳がその形と音に慣れてしまい、結果としてよくない段階で妥協してしまうことになる。日を変えて、新鮮な眼と耳で再度行う。そこでは必ず手直しが入る。その繰り返しだ。その繰り返しに耐えなければならぬ。
オヤジは、板前専門の包丁の柄を作る職人であった。その握りの微妙な丸みを、一時、機械でだしていたが、すぐに手作業に戻した。何種類ものカンナと紙やすりだけでだした。恐らく気の遠くなる作業だったはずだ。
生家にはまだ別棟で、オヤジがいたままに作業場が残っている。そこに工房を移すのは当分先だろう。
前の日記でも書いたが、「職人の名人芸はない。あるとすれば長い時間をかけ丁寧に仕事をするのがそれだ。」とは知り合いの建築家Sさんの言葉。
名人と言われる木製リコーダー作者の、注文からの納期は5、6年後だという。
そこまでいかなくても2,3ヶ月はかけてみたい。穴をすこしあけ、吹いてみることの繰り返し、竹と対話しながらの日々。
7月13日 金曜日 「リコーダー式とボリビア式」
製作中の「京都Y式」ケーナ(太い)
ケーナの押さえ方には「リコーダー式」(表の穴を左指3本、右指3本で押さえる)と「ボリビア式」(表の穴を左指2本、右指3本で押さえ、一番下の穴は常時押さえない)がある。
私が勝手に師匠と仰ぐO木さんは、「ボリビア式でやりなさい、必ず後で笑います」と力説されている。左薬指を使わない分、高速の指使いが可能となる有利さがあるようだ。
しかし、最低音のソやオクターブのソ♯を出す時が問題となる。その時だけリコーダー式に持ち替える必要があるようだ。ボリビア式が良いのは分かるが、この点がネックになり長年どうしたものかと考えていた。
9日にいただいた京都のYさんのご注文は、この問題を解決する「コロンブスのたまご」的発想であった。「右手小指で押さえられるように、一番下の穴を中心から外側にずらして開けるように」とのご指示であった。
早々製作に入る。そうすると、確かに持ち替えることなく小指で押さえられる。なぜ今まで気がつかなかったのか。見栄えや指穴は真っ直ぐという先入観にとらわれていたようだ。
うまくいけば、Yさんに敬意をはらい、この指穴の形式を「京都Y式」と名づけたい。
この間、この例のみならず、ご注文頂いた方から教えられることがたくさんありました。感謝申し上げます。
注記
リコーダー式とボリビア式(私が独自にそう名づけているだけですが)について私見を書いてみました。是非ご意見をお寄せください。またお教えください。
7月10日 火曜日 「横浜からきた女性」
メールでフォルクローレの会の見学希望があり、高尾駅で待ち合わせる。どんな方だろうと朝からドキドキ、落ち着かない。
現れたのはギターを持った若い女性。練習会場への道すがら、旧知の間柄のようにフォルクローレ談義がはずむ。「バッキングの弦」が増えてよかったよかった。
腰を抜かさんばかりに驚いた。八王子駅からここまで1時間20分、猛暑のなか重いギターを持って歩いてきたのだと言う。てっきり八王子の方とばかり思い、ローカルな高尾駅を待ち合わせ場所にしてしまった。横浜から来た彼女は高尾が分からず、八王子で下車し人に尋ね尋ねここまで歩いてきたようだ。
迎えたメンバーも当然驚いた。「いかにもアンデス、フォルクローレ的ですねえ」と全員、異口同音。そういえば以前のメンバーに駅から1時間かけ歩いてきた人がいました。
団地夏祭りの演奏を控えての練習は少々、ピリピリ。これでは当日を迎えられないと、選曲、構成の話し合いをメンバーの自宅で行う。
プロデュースがフィリピンの方で、踊れる曲をという希望。ランバダ(「泣きながら」)がいい、コーヒルンバがいいと夜更けまで「会議は踊る」。
横浜の彼女は最後まで付き合った。無事帰れたでしょうか?
7月6日 金曜日 「野鳥のヒナとボクサーと」
庭のブルーベリーの実

ケーナを作っていると、「お父さん来て来て」と娘が呼ぶ声がする。何事かと庭へ出てみると、姫リンゴの木に野鳥のヒナがとまっている。まだうぐいす色の産毛で、眼もはれぼったく、今日巣立ったばかりのようだ。
近づいても逃げないほど衰弱し、声も出さずやっと枝につかまっている。ピーピーと鳴く方を見上げると、親鳥らしい鳥が電線の上からこちらを見ている。庭でケーナを作りながら見ていると、親鳥は決死の覚悟でヒナにえさを与えに降りてくる。さあがんばって飛ぼうといっているかのように声をかけ励ましている。
何度も繰り返し降りてくるが、ヒナは飛び立てない。その側にはカラスがいて、ヒナを狙っている。ネコも心配だ。そうこうするうち、夕闇が迫ってきた。妻は「家に入れようか」と言う。私は「そのままでいい」と言った。
TOKIOの24時間テレビで、耳の不自由なボクサー志望の少年が取り上げられていた。耳のことでイジメにあったが、ボクシングジムに通うことでそれを乗り越えた。しかしプロ登録にはゴングの音、レフェリーの声が聞こえないこと等で難しいという。
その少年を励ます企画で、元世界チャンピオンが彼とスパーリングをする。最初こそ少年のパンチを受けていたが、後半チャンピオンは、彼にパンチをあびせ続けた。
スパーリング後チャンピオンは彼にこう言った。「障害があるからといって、誰も手加減はしない。リングに上がれば、1対1のボクサーがいるだけだ。それをわかってほしくて全力で君にあたった」と。少年は鼻血を出しながらうなずくばかりであった。
翌朝、姫リンゴの木にヒナの姿はなかった。その行方はようとして知れない。
フォルクローレ日記(平成13年上半期分)を見る
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