天神記(四)





18、 天神縁起(てんじんえんぎ)




天慶6年(西暦943年)は、まだ続く。

7月26日、元良親王、不摂生が祟って没。
22才も年上の愛人の死に悲観にくれる葉月だが、
葬儀の席で、ある人物に目を止めた。
この年69才の藤原仲平、現在は左大臣。

仲平は元良と仲が良く、7年前の承平6年には2人で
共同で、新たに建設の始まった醍醐寺五重塔のため、
心柱となる木材を寄進したこともある。
だが、葉月にとっては母を捨てた憎い男であり、
今まで口をきいたこともなかったが…

「左大臣、お話したいことが」
仲平は兄の時平を道真の怨霊に殺され、
後に天満宮となる廟を大宰府に建立する
など、けっこう道真との関わりは深い。
あの夜のことを、知る権利があるだろう
と、葉月は考えたのだ。

「なんと! あの飛梅が… 女人の姿となって、道真公を…」
仲平は絶句した。
やはり、弟の太政大臣・忠平からは、
何も聞かされていないらしい。

政治の才覚がなく、弟に比べて出世が遅れ、
左大臣といっても名ばかりの存在である
仲平が、哀れに思えてきた葉月であった。

「教えてくれてありがとう、葉月ちゃん。
あ、いや、中務どの…」
以前から仲平が、生暖かい愛情のこもった目で
自分を見ているのは、気づいていた。
母・伊勢のことがいまだ忘れられず、
自分に母を重ねているのだろう。
なんとも迷惑な話だが…

「あ、あのね、葉月ちゃん… 
私は今でも、君の母さまのことを…
なぜあの時、伊勢を選ばなかったのか、悔いて…」
「話は以上です!! じゃ、さよなら」
こういうキツイところは、母そっくりな葉月であった。


その仲平も、2年後の天慶8年(西暦945年)
9月1日、永眠。
道真の生誕100年の年であった。



天暦(てんりゃく)元年(西暦947年)、6月9日。

右近の馬場ほど近く、北野の地に、
正式に道真を祀る社が建てられた。
北野天満宮の創建である。
(右近の馬場は、その参道となる)
公式サイト http://www.kitanotenmangu.or.jp/

ちなみに大宰府の天満宮とは、それぞれ別の
創建であり、特につながりはないらしい。


天暦3年(西暦949年)、9月29日。

かつて、「物狂いの君」として恐れられた
陽成上皇が、82才で崩御。
少年時代に強制的に廃位させられて以来、
65年にわたって上皇の地位にあった。
(歴代の上皇の中で1番長い。)


天暦5年(西暦951年)。

醍醐寺の五重塔が完成。
これは現在まで残っており、京都
最古の木造建築物である。
(その心柱は、藤原仲平や元良親王らが寄進したもの)

昭和29〜35年の大修理で、 五重塔の天井板に
創建時の大工さんによる落書きが発見された。
その中に、平仮名で和歌を書き記したものもあり、
遅くとも951年ごろまでには平仮名が一般的に
使われるようになっていたことがわかる。

またこの時、天井裏から手紙と思われる
文書も、いくつか発見された。
その中の1枚に、「色即是宙」という文字と
キスマークらしきもの?が見られたが、
発見後間もなくボロボロになって、
四散してしまったという。


永延(えいえん)元年(西暦987年)。

朝廷より、北野の社に「北野天満宮大神」の
神号が下される。



祟りをなす「怨霊」から、強い神威をもつ「天神さま」へ。
サンダーストームを呼んで都を蹂躙(じゅうりん)した
道真の暴れっぷりは伝説となり、そのすさまじい
パワーが、「強い力をもつ、頼れる神さま」という
イメージに変貌する。
全国各地に「天神さま」を祀る神社が作られ、
一説によると、その数10,000以上。

江戸時代。
漢詩や書道が得意だった道真の像を、寺子屋の
守り神として祀る習慣が広まると、「天神さま」は、
「学問の神」「書道の神」としての顔をもつように。
道真を題材にした歌舞伎「菅原伝授手習鑑
(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の割引
招待券を、寺子屋で配ったりしたんだって。

江戸の「天神さま」といえば、「湯島天神」がメジャー
ですが、ここでは「亀戸天神」を紹介します。
作者の生まれた家が、亀戸天神から歩いて
5分くらいのとこだったからね…

歌川広重は「名所江戸百景」の1つとして、
亀戸天神の池と太鼓橋を描いた。
この浮世絵がフランスへ渡り、印象派の
巨匠モネがジヴェルニーに家を買った時、
この絵を参考にして庭を改造、太鼓橋の
ある日本風庭園を作り上げたそうな。
その庭で描いたのが、あの名画「睡蓮」である。

つまり、亀戸天神は「睡蓮」の原点…
なんて思って訪ねてみると、ガッカリするからね、
けっこうショボいですから><
戦前は、もっと大きくてきれいだったそうですが…
遠方からわざわざ来るようなとこではないので、
近くを通った時にでも、よってください。
その時は、船橋屋の「くず餅」が定番のお土産ですよ。

文化2年(西暦1805年)創業 くず餅の元祖
船橋屋 公式サイト http://www.funabashiya.co.jp/




長保(ちょうほう)2年(西暦1000年)、
第66代・一条天皇の御世。

魔の10世紀が、終わろうとしている。
もちろん平安の人々が西暦を知る由もないが、
「ここ100年ほど、奇怪な事件が実に多かったな…」

陰陽頭・安倍晴明は今、北野天神の
鳥居を前に、思いをめぐらしている。
道真がこの地に眠ってから、57年の
歳月が過ぎていた。

それにしても、今でも気になるのは…
あの強大な天神・菅原道真が、最後は実に
あっさりと、晴明の術中にはまったこと。
あれは、どういうことなのだろうか。

何か裏があるような… 
道真は、もっと恐ろしい企みを隠すための、
単なる目くらましにすぎないような… 
そんな気がしてならない。
多発する怪事件や、次々に現れた魔物たちも、
何かつながりがあるのだろうか。



時は戻って、天慶元年(西暦938年)、11月。
下総(しもふさ)の国、平将門の館。

「なに、天国が…」
「体が衰弱しきっており、手の施し
ようがありませんでした」
「惜しい男を亡くした。丁重に葬ってやるとしよう」

将門はこの日、館に逗留していた
刀鍛冶・天国の死を知らされた。
京の都で知り合い、将門の無茶な注文に対して
研鑽に研鑽を重ね、この下総まで将門を追いかけ、
ついに「夢の刀」を完成させてくれた。
しかし寝食を忘れ、あまりにも精魂こめて仕事に
打ちこんだため、天国の体は粥(かゆ)も喉を
通らぬほど、衰弱してしまった…

「あの者が地元の鍛冶師に製造法を伝授してくれて、
あの刀を量産できるようになった… 
我が軍団の戦闘力は、飛躍的に増大するだろう。
しかし、そのために大切な友の命が…」
将門の頬を、ひとすじの涙が伝う。

「お館さま、これが天国の形見で… 
ぜひとも、お館さまに使っていただきたいと」
「そうか」
将門は、ひとふりの刀を受け取った。

「最期の時まで、これに取り組んでいたようで… 
完成と同時に倒れたのでしょう」
「おう… これは、また一段とみごとな…」
鞘を払った将門の目に、美しい刃紋が飛びこんできた。

「この刃紋をじっと見ていると… 
まるで草木1本生えていない、死の世界の
砂丘のようにも見えるな…」
「ぜひ満月の晩、月の光の下でご鑑賞くださる
ようにと… それが最後の言葉でした」
「おう、それはいい。さぞや美しかろう」

「それから…」
「なんだ?」
「その刀の名でございますが…」
「おう。なんという名だ?」
「黄泉比良坂(よもつひらさか)と… 
そう申しておりました」


次の満月の晩。
将門は1人、庭に出て「黄泉比良坂」を改めて鑑賞した。
息を飲むような、妖しい美しさである。
「これはすごい… まさしく天国の魂がこもっておる…」

その時、刀の表面の疵(きず)に気がついた。
いや、疵ではない… よく見ると、それは動いている。
「虫か?」

しかし懐紙でぬぐっても、それは取れない。
しかも… 先ほどより大きくなってる?
「なんだ、これは?」

刀身に描かれた「刃紋」という一幅の絵。
「草木1本生えていない、死の世界の砂丘」と
将門が表現した、その景色の中を、こちらに
向かって歩いてくる者がある…
それは、刀身に映し出された別世界!

将門は、目を離すことができなかった。
妙な歩き方… 一体何者だ、こいつは!?
はっきりと識別できるほどの大きさに
なったそれは、1本足だった。
そして、1つ目…

「お前… 天国!?」

黄泉比良坂、それは死の世界の入口。
この世とあの世の境目。


翌朝、家人たちが庭で倒れている将門を発見した。
命に別状なかったが、どうしたわけか片目が
つぶれ、片足がきかなくなっていた。
「お館さま! なんというお姿に…」
「大丈夫、案ずるな。それより、この刀を…」

黄泉比良坂を、家人にあずける。
「鹿島神宮に奉納し、戦勝の祈願を
依頼しろ。兵を起こすぞ」
将門の乱、始まる。



天神記(四) 完