天神記(四)





15、 筑波嶺(つくばね)




坂東の聖地・筑波山。
ここは安倍晴明・平将門・菅原道真といった、
平安前期の伝説的人物たちの足跡が
クロスオーバーする土地だ。

筑波山神社 公式サイト 
http://www.tsukubasanjinja.jp/

歌枕の地としても有名で、ちょうどその頃、都では。
72才という高齢にも関わらず、若い愛人へと
送る恋歌を思案している老人がいた。
陽成院(陽成上皇)、かつて「物狂いの君」として
暴れまくった少年天皇。
(天神記(二)参照)

友人の源益(みなもと の すすむ)を死なせてしまい、
退位に追いこまれたのが元慶7年(西暦883年)
だから、56年もの間、これといった仕事もなく、
ただ色事と歌作りのみで歳月を重ねてきたのだ。
その集大成ともいえる歌が今、ひねり出された。

つくばねの 峰より落つる みなの川 
こひぞつもりて 淵となりける




その筑波嶺(つくばね)の北西、晴明たちが
逗留している館では。

「こんなにたくさんの猫を集めて、どうなさるのです?」
館の主が狼狽するほど、大量の群が庭に集結している。
「移動式の結界ですよ」

呪符をコヨリ状にしたものを麻糸に編みこみ、
首輪にして1匹1匹に巻きつける。
その数、500以上はいるだろう。

呪符には、都の第4結界と同じ呪文が書きこんである。
醍醐帝の時のように「抜け穴」が発生しない
かぎり、道真とて容易には破れない。

このようにおびただしい猫の群れが集まったことから、
この地は「猫島」と呼ばれ、館は後に「晴明が生ま
れた家」と誤って伝えられるようになった。
猫島の晴明関連の遺跡は個人の敷地内に
あるので、現在、見学はできない。

しかし今、1匹の蝿が騒がしい館のようすをスパイしている。
「あ…」

と思った瞬間、壁に貼りついたヤモリの
長い舌に捕まり、食われていた…
食い終わったヤモリは、1枚の紙きれ
と化して、ヒラヒラと舞い落ちる。

それを拾い上げる保憲。
大して上手くもないヤモリの絵が、筆で
サラサラと描かれた1枚の紙…
保憲が館のあちこちに放った、「式神」の1つだった。

「胡蝶… 仇は討ったぞ…」
この付近のどこかの草むらで、魂魄を失った
糞蝿の肉体は、朽ち果てていくだろう。

その夜、晴明の念に操られ、猫の軍団は
筑波山へ向け出陣した。



将門討伐作戦は始まった。
凶悪な盗賊・百足一味を征伐し、武名が鳴り響く
豪傑・俵藤太(たわら の とうた)こと藤原秀郷が
軍勢を率い、将門軍と激突する。

将門調伏のため建立された成田山新勝寺の
祈祷の威力もあって、ついに天慶3年
(西暦940年)2月14日、将門軍は壊滅。

その間、道真は筑波山に釘付けにされていた。
周囲をぐるりと「猫の結界」に囲まれ、
念力を飛ばすことすらできない。
手下の糞蝿も戻ってこない。

「おのれ、陰陽師ども…」
結局、将門を支援できないまま、
その敗北を見守るしかなかった。


翌日、雨が降り出すと、猫の首輪に編み
こんだ呪符も水に濡れ、呪文がにじんで
しまい、結界の効力を失った。
このチャンスに、道真は脱出を試みる。

ふもとの村では、平貞盛の従者たちの誘導で、
村人が避難を始める。
「落ち着いて行動してください! 荷物は1人1つまで!」
わずかな財産を背負って避難する農民の流れに逆行し、
大弓を背負った部隊が筑波山へと向かう。

羽鳥の天神塚付近に、道真が
巨大でおぞましい姿を現した。

「攻撃開始!!」
大弓部隊が次々に矢を放つ。
地を揺るがすような声で吼える道真、
だが雷や死霊を呼ぶことはできない。
晴明の念力が、周囲の空間を支配しているからだ。

一方の晴明も、道真に呪をかけることができない、
つまり陰陽道の術が通じないので、平貞盛から
借り受けた大弓部隊で、実力行使するしかない。
お互い超能力が通じない、パワーVSパワーの勝負。

道真は大木を根元から引き抜き、投げつける。
「ぐわあーーーーッ」
馬ごと下敷きになる兵士たち、そのスキを
突いて、突破する道真。

それを後方から見ていた晴明は、ふところから
呪符を取り出し、宙に投げる。
1枚の紙切れが、空中で烏に変化した。

森に逃げこむ道真を、烏はどこまでも追跡するが…
「頼むぞ… ここで見失ったら、また
見つけ出すのがやっかいだ…」


烏の姿をした式神は3日後、道真に見つかった。
体に突き立った矢の1本を抜き取ると、
すさまじいパワーで投げつける。
矢で貫かれた烏は、たちまち1枚の
紙切れに戻ってしまった。

こうして、道真の行方は再び、闇の中…



そのころ、唐傘山では。
「ここはもう引き払うぞ、魔風、鳴神。長居しすぎた」
乞食の意外な言葉に、鳴神は驚いた。
「道真はどうするのです?」

「道真か…」
頭をボリボリかく乞食男の口元に、
冷たい笑みが浮かんでいる。

「奴が大暴れして、鹿島の… 月と星の注意を引きつけて
くれたおかげで、俺の改心の一手を打つことができた。 
あいつら、まったく気づいてねえぜ」

「天国のことですか? 天国は将門に仕え、
将門とともに滅んだではないですか」
「いや、天国は生きてる… 
いずれ、お前にもわかる時が来るよ」
乞食男の配下に加わって30年以上たつ
鳴神だが、さっぱりわからない。

「なんにしろ… 菅原道真、奴が歴史に
おいて果たすべき役割は終わった。
後はどうなろうと、しらねー(笑)」

魔風もコブをなでながら、
「歴史とはな、鳴神よ。神々の遊ぶ双六なのだ。
人間など、駒にすぎない」



将門は滅んだが、道真の怨霊は取り逃がした。
「さて、どうするか… 正直、手詰まりだな」
賀茂忠行は、珍しく弱音を吐いた。
道真を封じこめない限り、こうした乱は、今後も続くだろう。

「占いによって、探し出そうではありませんか」
晴明には、何か策があるようだ。
「誰を? 道真なら、占いによって
探知できないのは承知のはず」
「道真公と親しかった人物を探すのです」

何か手がかりが… 
道真の居所をつきとめる、あるいは弱点を
見つけ出すヒントが、道真の生涯を詳しく
知る者から聞きだせるかもしれない。

「なるほど… しかし道真の生誕から95年、
死後37年もたっているのだぞ。
道真をよく知る人間など、生きているだろうか?」

「ならば… 前世において、道真公と
親しかった人物を探し出しましょう」
「!!」
これはスーパー陰陽師・安倍晴明にして
初めて可能な、恐るべき秘策であった。



久しぶりに道真が戻ってくると、唐傘山は、
もぬけのからだった。
仲間たちに、見捨てられた… そう悟った。

「なぜだ… 将門の乱が失敗に終わったからか?」
しかし、朝廷にじゅうぶんな恐怖を与えたはずだ。
この不死身の体があれば、あれくらいの乱は
今後いくらでも起こせるのに…

「まあいい、今の俺は完全体… 
1人でも朝廷を苦しめることができる」
しかし… サポートしてくれる仲間なしで、
本当に大丈夫だろうか?
この体は本当に、不死身なのか?
なんとなく、心細くなってきた。
「問題ない… 時間はいくらでもある…」


4月4日、比叡山において尊意が没した。
延暦寺の復興を見ることなく、道真の調伏も
いまだ成らず、無念の死…



夏も過ぎようというころ…
保憲が珍しく興奮気味で、邸に帰ってきた。
1人の少女を連れて。
「見つけましたよ、父上!!」

10才くらいの神秘的で、透きとおるような美少女。
「多治比文子(たじひ の あやこ)と申します…」
「この子か… 前世において、道真公の乳母だった
娘というのは… よし、さっそく晴明を呼べ!」

しかし晴明と対面した文子は、晴明を
気味悪がって泣き出した。
「恐がらなくてもいいんだよ… ちょっと眠って
もらうだけだからね。目が覚めたら、どんな
夢を見たか話しておくれ。そうしたら…」
保憲が菓子を運んできた。

この時代、まだ和菓子はまだない。
揚げて砂糖をまぶしたプレッツェルの
ような唐菓子と、果物である。
少女を食べ物で釣る作戦だ。



唐傘山で1人潜んでいる道真の耳にも、
尊意の訃報は届いた。
「結局、最後に勝ったのは俺だな、尊意よ… 
人間に与えられた時の砂は少なすぎる…
俺は人間を超え、生死をも超えたのだ…」

だが… 死を超越し、不死となり、俺は
いったい何をしているのだろう…
いたずらに人々を苦しめているだけではないのか…
「むなしい…」

大宰府で人間としての死を迎えて以来、道真の
周りでは常に、魔神どもが蠢いていた。
その魔神の群れが去って後、人間的な
心が少しずつ戻ってきてるようだ。

「都へ帰りたい…」
涙がこぼれた。