天神記(四)





10、 戻り橋




それは2000年に1度と言われる、超大規模な噴火。
村人たちは命からがら避難したが、夜空を真っ赤に
染める巨大な炎と、雷光を放つ黒煙の塊を見て、
なかば魅せられるようにつぶやいた。

「見ろ… 南祖坊さまも竜に化身して、
八郎と戦っておられるぞ!」
「火を噴く八郎に、老師さまが
稲妻を投げつけておる!」

(何をバカな… 老師さまを救出せねば!)
猿丸は1人、避難の列を離れ、灼熱の
溶岩の流れこむ危険地帯へと向かった。
かつて単身、富士山に登頂したことのある
猿丸だからこそできる、超人的な行動。

どうにか湖にたどり着いたが、難蔵の庵のあったあたりは、
すでに溶岩流に飲まれていた… 生きてはおるまい。
だが、猿丸の目を引きつけたのは、別のものだった。
それは脳裏に焼きついて一生忘れる
ことのできない、悪夢のような光景…

それぞれ30m以上あろうか…
2体の巨大な何か… 
「恐竜」という言葉を知らない猿丸にとっては、
大蛇のようにも、トカゲあるいはオオサンショウ
ウオのようにも見えるおぞましい生物が、湖で
絡み合い、噛み合い、激しく争っている。

「2匹の竜… まさか本当に、南祖坊さまが
竜に変身したのか? それとも…
初めから2匹、ここに棲んでいたのか?」

紅蓮に噴き上がる炎をバックに、熾烈な闘争を
繰り広げる、2匹の巨大な竜のシルエット。
溶岩が湖に流れこみ、すさまじい水蒸気が湧き上がっている。
それは、平安時代というよりはジュラ紀の光景そのものだった。
本来なら人類が決して目撃することのない場面に、
目が釘付けになっていた猿丸だが、溶岩が迫り、
森が炎に包まれたので、やむなく撤退した。

この時に噴き出した火山灰が東日本一体に
降り積もり、深刻な被害をもたらすのだが、
同時に1つの伝説が生まれた。

南祖坊に十和田湖から追い出された八郎は、
日本海方面に逃走、男鹿(おが)半島つけ根
にある巨大な湖に移り住んだという。
これが、「八郎潟(はちろうがた)」である。
現在は干拓されて小さくなってしまったが、
昔は日本第2位の面積の湖だった。

この伝説を裏づけるように、十和田湖では「八郎」の
姿はパッタリ見られなくなり、かわって八郎潟での
巨大生物の目撃が多くなったそうな。
村人は南祖坊難蔵を神として十和田神社に
祀り、後に鉄の草鞋も奉納された。



翌、延喜16年(西暦916年)と
延喜17年(西暦917年)には
止まりませんのでご注意ください。
次は延喜18年(西暦918年)に止まります。

延喜18年の12月10日は、西暦では
年が改まって919年の1月19日。

紀の国(和歌山県)熊野、真砂の集落。
庄司の邸の庭で、少女が手まりをついて遊んでいる。
猫のような瞳と長い髪、13才とは思えぬ妖しい色気… 

今夜は、安仁さまと同じくらい大好きな、
浄蔵さまがお泊りになる。
去年いらっしゃった時に、「私をお嫁にしたいですか?」
と尋ねてみたら、適当にはぐらかされてしまった。

でも今さら後悔したって、遅いんだから… 
私は安仁さまのお嫁になると、約束してしまいました。
あなたの妻にはなれません、あしからず。

今年28才の浄蔵は、離れから
じっと、少女の姿を見ていた。
妙に魅かれる… 俺が未熟なのか、
あの娘が魔物なのか…
修行に来たというのに、こんなに
心をかき乱されるとは…

少女は視線に気づくと、浄蔵の
心を見透かすように微笑んだ。
まだ夜には早いが、蔀戸(しとみど)を
下ろすと、浄蔵はゴロンと横になる。
明日はいよいよ、大斎原(おおゆのはら)だ…
後で、井戸に行って身を清めておこう…

蔀戸の外で、少女のクスクス笑う声がした。
「くやしいですか、浄蔵さま? 
わたしはもう、他の男のもの…」
「私は疲れてるんです! 寝かせてください><」
少年のころから寺で育った浄蔵は、女に免疫がない。

「では、脚でもお揉みしましょうか?」
この少女に猫のようにまとわりつかれて、
体のあちこちをマッサージしてもらうのは、
どれほどな悦楽だろうか。
浄蔵は、思わず妄想に浸ってしまった。

「あら、どなたかいらっしゃいましたね…」
蔀戸の外で、少女の声が止んだ… 
しばらくして、
「浄蔵さま、開けてくださいな! 
都から、至急のお知らせが!」

蔀戸を上げると、埃まみれの使者が立っていた。
超特急で飛ばして、京の都から
ここまで、4日で到達したという。

「……父が危篤らしい。すぐに、戻らねば」
書状を置いた浄蔵の顔は、険しかった。

「何か道中で召し上がるものなど、
ご用意いたしますか?」
さすがに少女も、すっかり殊勝げになっている。
「いや、それより庄司どのにご挨拶もせず失礼
するが。くれぐれもよろしくお伝えください」
浄蔵は、風のように飛び出していった。


なんとしても、生きているうちに
もう1度、父に会いたい。
果たして、間に合うだろうか…
夜になると密教の秘術を使い、無意識状態で
ジャンプしながら、飛ぶように歩く。

浄蔵の父といえば、文章博士の三善清行。
菅原道真に試験を落とされた男。
出世街道を驀進する道真に、引退して人生を
楽しむよう、勧告したこともあった。

書状によると、2週間ほど前から足がむくんで
いたが、急に意識を失って倒れたという。
恐らく、高血圧が原因の脳溢血だろう。

すさまじいスピードで疾走する浄蔵は、翌日に
大和の国(奈良県)に入り、そのまた翌日
12月12日には、宇治を通過していた。

ここで知合いの僧と行き会い、父・清行が、使者の
出発した12月7日のうちに亡くなったと聞かされた。
「そうでしたか…」

がっくり肩を落とす浄蔵、だが葬儀は
まだこれからだと聞かされ、
「せめて葬儀には間に合うよう」
涙をふき、都へ再びダッシュ。


都では、できればご子息の浄蔵どのが戻ってから… 
と、葬儀を先延ばしにしてきたが、死体の腐敗も進んで
きたし、5日目の今日、ついに葬列が出発した。
「ご遺体を埋める前に、せめて一目なりとも
会わせてあげたかったですなあ」

葬列が一条大路の北橋にさしかかった時…
「父上ーッ!!」
「おお、あれは! 浄蔵どのではないか」
「よかった、ギリギリ間に合いましたよ」

北橋の上で、浄蔵は父の入った棺桶と対面した。
浄蔵か… 帰ってきたのか…
周囲の人々は、のけぞった。
確かに今、棺桶の中から声がした!

「父上…」
疲れたろう… ぶぶ漬け(湯漬け)
でも、あがっておいき

浄蔵は棺桶を、ひしと抱きしめる。
涙があふれて止まらなかった。

「これはたまげた… 黄泉(よみ)の国から、
死者の魂が戻ってくるとは…」
「浄蔵さまの法力じゃ… お若いのに、
なんと徳の高い坊さまじゃ」
「ありがたや、ありがたや… ワシも死んだら、
浄蔵さまに呼び戻してもらおうぞ」

いえいえ、浄蔵は何もしておりません。
事実は、ご存知の通り… 
いつぞや弓削是雄が清行に与えた、「死後、一瞬
だけ蘇生する」お札のパワーによるもの。
(天神記(二)、「時の砂」参照)

もはや、棺桶から声はしなかった。
「皆さま、父が大変お世話になり
ました。さあ、参りましょうか」
浄蔵にうながされ、一行は再び
葬送の地へ、動き出した。
「たとえ一瞬とはいえ、父子の別れを交わす
ことができて、ようございましたなあ…」


このことがあって以来、北橋は死者の魂が戻って
くる橋、「一条戻り橋」と呼ばれるようになった。
橋そのものは何度も建て替えられたが、現在も
同じ場所に「戻り橋」は架かっている。
晴明神社(安倍晴明の邸址)から、すぐ近く。

ちなみに、京都の人が来客に
「ぶぶ漬けでも、あがっていきなはれ」
と言う時は、真心からのお誘いなので、
決して断ってはいけない。
「ほな一杯いただきまひょか」
と上がりこんで、1時間以上は世間話を
するのが暗黙のルールである。
あわてて帰るのは重大なマナー
違反なので、注意したい。



年は明け、延喜19年(西暦919年)。

すさまじい雷雨が都を襲い、左大臣時平を
はじめ多くの命を奪った、あの「サンダー
ストーム」の年から早くも10年。
都は傷が癒えるどころか、むしろ道真の怨霊に
対する恐怖は、日増しに高まっていく。
あの日以来、毎年のように異常気象や
疫病の流行が絶えないからである。

藤原仲平(44才)、現在の役職は醍醐天皇の第2
皇子・保明(やすあきら)親王の春宮大夫(とうぐう
だいぶ=皇太子の家政を司る春宮坊の長)である。
出世が遅い。
弟の忠平は、とうに右大臣になっているというのに…
女流歌人・伊勢との短いロマンスだけが、
今のところ彼の生涯の華である。

その仲平が、大宰府に来ている。
菅原道真の墓所に社殿を造営
するため、遣わされてきたのだ。
これが、後に太宰府天満宮となる。

「道真公… 兄の命を奪っただけでは、
気が晴れなかったのですね…
どうか、これで怒りを鎮めてください。
これからは、あなたを神として崇めます。
この筑紫の地で安らかに鎮座ましまして、
2度と都を祟ることのないよう…」

ところで、天満宮の宝物殿近くに麒麟(きりん)の
像があるのだが、長崎の「グラバー邸」に住んで
いたイギリス商人トーマス・グラバーが、これを
たいそう気に入っていたそうな。
後にビール会社を買収した時、この像に
ちなんで「麒麟ビール」と命名…
ただ、この話はキリンビールの正式な社史には
のっていないので、ちょっと眉唾かも。

太宰府天満宮 公式サイト 
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/



この年、比叡山延暦寺の高僧、相応が
89才という長寿で没した。
かつて怨霊となった真済を調伏、千日回峰行
という荒行を編み出したことで知られる。
その魂は、根本中堂にある1200年間、絶える
ことなく灯されてきた「不滅の法灯」とともに、
今も天台の聖地比叡山を照らし続けている。