天神記(四)
9、 謎の巨大生物
延喜10年(西暦910年)の続き。
仁和寺に、桜が咲いていた。
御室桜という、背の低い独特の桜である。
古来、日本で花といえば、中国の
影響で梅が尊ばれていた。
桜がそれに替わり、日本人の最も愛する花
となるのは、平安時代のちょうどこの頃から。
宇多法皇は、桜をながめながら、
若くして逝った娘・均子を偲んだ。
思いは自然、もう1人のわが子、
醍醐帝へと移っていく。
道真の怨霊におびえ、このところ
健康がすぐれないと聞くが…
法皇は桜をひと枝折ると、帝あてに届けさせた。
このひと差しの桜で、少しでも
明るい気分になってくれれば…
これが、御室流華道の始まりとされる。
御室流華道総司庁 公式サイト
http://www.omuroryu.jp/
3月24日には、藤原高子が69才で、
寂しく息を引き取る。
翌、延喜11年(西暦911年)。
紀州熊野、真砂(まなご)の集落を、
1人の修験僧が通りかかった。
「ごめん。一晩の宿をお願いしたい」
庄司の邸に宿を乞うたその僧は、年老いて法衣も
ボロボロだが、ゴツい筋肉質の体、鋭い眼光、
長く伸びた白髭と、どう見てもただ者ではない。
美しい奥方が出迎えてくれた庄司の
邸には、意外な先客がいた。
「あら、叔父さま… いえ、今は南祖坊難蔵
(なんそぼう なんぞう)さまでしたね」
「これは… 意外なところで会うものですな、妙子さま」
陽成上皇の妃、「雲の絶間」こと藤原妙子(49才)。
母のように慕っていた高子を失った
ショックは強く、妙子を蝕んでいた。
すがるような思いで、「死んだ人間に出会える」
という熊野権現に参詣、さらに足を伸ばして、
女だてらに那智の滝に打たれたりもしたが、
結局空しく、今は都へと帰る途上である。
年老いた修験僧・難蔵は妙子の叔父。
少年時代より霊感強く、若くして比叡山に入門、
円仁の高弟・安慧(あんえ)の下で修行。
円仁が行方不明になった時、華芳峰という峰で円仁の
草鞋(わらじ)を発見したのは、25才の難蔵である。
中年を過ぎたころから、思うところあって
比叡山を下り、諸国の霊場をめぐる。
2人は、はなれの間から、庭で手まりを
ついて遊んでいる少女を見ていた。
6才になる庄司の娘で、猫のような瞳の美少女である。
「かわいいですね…」
難蔵は少女が放つ妖しい気配が気になったが、
それ以上に、やつれた姪が心配だった。
「このような山深い里を旅なさるとは…
あまり無理をなさるな。もう、お若くないのだし」
超元気少女だった姪っ子が、このような
弱々しい姿になってしまうとは…
時の流れとは恐ろしいものだと、思わずにはいられない。
一方の妙子は、昔から不死身かと思うほどにタフ
だった伯父が、年老いてもなお精気がビンビン
みなぎってる様子を見て、少し腹が立った。
私の大切な高子さまは、露のように
はかなく消えてしまったというのに…
「ほんとうに、神さまって不公平ですよね…」
翌朝、難蔵は熊野権現めざして出発。
妙子は体を休めるため、もう1泊。
庄司の娘の清音(きよね)と仲良くなり、蔵の中を
見せてもらい、面白いものを発見した。
以前に、旅の修行僧が宿賃がわりに置いて
いった、鉄製の草履(ぞうり)である。
それを見て久々に、妙子の心に
ムクムクと茶目っ気が湧いてきた。
その草履を買い取ると、翌日、従者に
草履をもたせ、熊野権現まで引き返す。
お堂の中では叔父の難蔵が、
一心不乱に祈祷を捧げていた。
いつしか気力を使い果たし、ウトウトと眠りに落ちる…
(今だ… にょほほほほほほ^_^)
妙子はこっそり忍びより、難蔵の前に
鉄の草履を置くと、その耳もとで
「南祖坊難蔵よ、お前にこの草履を授ける…
これからは諸国をめぐるさい、必ずこれを履くのだぞ…
よいな、これは大事な修行であるぞ」
これで不死身の爺さまも、少しは苦労
するだろうと思い、妙子はニンマリ。
だが、ちょっと待て… バカ正直に死ぬまで、
ヨボヨボになっても鉄草履を引きずってたら、
ちょっとかわいそうかな… うーん、よし…
「ただし鼻緒が切れたら、そこで旅は終わり…
その場所を、終(つい)の棲家とするのだ」
妙子はそっと姿を消し、真砂で
もう1泊してから、都へ戻った。
この時のバチが当たったのか、
旅の無理が祟ったのか。
高熱を出し妙子が寝こんだのは、
それから間もなくのこと。
今ではすっかりプレイボーイで名を知られた、
息子の元良親王が駆けつける。
「母さま! しっかりして」
「ごめん、悪ノリしすぎた。母さまは、高子さまのところに
行くから。あとよろしくね。女の子、泣かすんじゃないよ」
「雲の絶間」妙子、永眠す。
妙子のイタズラを、熊野権現のお告げと信じて
疑わない難蔵は、汗だくになって重い鉄草履を
引きずりながら、今日もどこかの旅の空で、
姪っ子の冥福を祈るのであった。
均子の死から、1年…
敦慶が、伊勢のもとを訪れた。
「1年、待った… 心の整理はついたろうか。
均子から、あなたのことを頼むと」
15才年下の、匂い立つような男前の
貴公子から、伊勢は目をそらす。
「あなたはまだお若いし、奥さまが必要でしょう。
でも… なぜ、私などをお選びになるのです?
もっと若くて、ふさわしい方が」
それ以上、言葉が出なかった。
涙があふれ、同時に、息もできない
ほど強く抱きしめられたから。
ひととき、均子のことも、歳のことも忘れた。
ただの男と女になって…
翌、延喜12年(西暦912年)。
2月10日、紀長谷雄が風邪をこじらせ
肺炎となり、そのまま帰らぬ人となる。
昨年、中納言に昇進したばかりだが…
すでに、抜け殻同然であった。
伊勢に、娘が生まれた。
41才の高齢出産である。
「8月生まれだから、葉月ね」
美男・敦慶と美女・伊勢の娘である
から、美しくないわけがない。
生まれたばかりなのに、どことなく
気品と、りんとした強さを漂わせ…
その小さい手には、ボロボロの「藤原
うさ子」がしっかり、握られていた。
後の女流歌人、「中務(なかつかさ)」である。
翌、延喜13年(西暦913年)。
3月、宇多法皇が亭子院で歌合せを開催。
伊勢や紀貫之も参加した今回の歌合せは、
これまでになく大規模で、後世のお手本に
なるような、内容の濃いものであった。
この時の模様を、法皇から依頼を受けた
伊勢が「歌合日記」として書き残している。
(現存する歌合せの詳細な記録として、最古のもの)
このころが、伊勢の人生の頂点だったかもしれない。
この年、道真の長男、高視(たかみ)没。
翌、延喜14年(西暦914年)。
三善清行が、「意見十二箇条」を帝に奏上。
このころが、清行の人生の頂点だったかもしれない。
翌、延喜15年(西暦915年)。
南祖坊難蔵の草履の鼻緒がついに切れたのは、出羽の
国の奥深く、十和田湖(とわだこ)のほとりでのこと。
「ここが俺の最後の地か… それにしても…」
青く深い十和田湖の水面は確かに、恐いほど美しい。
だが今、湖に面した十和田火山からは噴煙が
立ち昇り、不気味な振動が続いていた。
もともと十和田湖は、火山の噴火に
よって生まれたカルデラ湖である。
「こいつはどうも… とんでもない
ところで鼻緒が切れたもんだ」
地元(秋田県鹿角町)の村人たちは、見るからに
法力の強そうな修験僧を歓迎ムード、だが警告を
発するような、何かを期待するような口ぶりで
「老師さま、この湖には恐ろしい怪物が住んでおるでよ…
湖のほとりに庵を建てるとなれば、そいつが怒るだろうが…
あんた、そいつを退治できるか?」
「神秘的な湖に竜が棲んでいる」というパターンの
言い伝えは世界中にあり、ネス湖のネッシーも、
この流れをくむものだろう。
村人の話では5年ほど前からたびたび、十和田湖で
巨大生物が目撃されているとのこと。
同時に、お山が白い煙を吐き、大地が
揺れるようになったという。
「あの怪物は、八郎太郎が変身したモンにちげえねえよ…」
猟師仲間に、「八郎太郎」という若者がいたそうだ。
(青森県では「八太郎」「八之太郎」などとも呼ばれる)
ある日、猟師の掟を破り、獲れたイワナを仲間の
分まで食ってしまい、逃亡したという。
足跡は湖の方へ、伸びていた。
「イワナの食いすぎで、喉が渇いたんだろうな」
八郎太郎は、それっきり姿を消した。
「村の掟を破るからだ… きっと罰が当たって、水を
飲んでも飲んでも渇きが収まらず、ぐいぐい
飲んでるうちに、竜になっちまったんだ…」
それ以後、「竜」の目撃情報が報告されるようになり、
湖の周辺で行方不明になる者も多くなった。
「ふうむ… 人間が竜にね…」
「老師さま。私の考えだがね、八郎は
竜に食われたんだと思う」
猟師のリーダー格の猿丸という男が、難蔵と
2人で酒を飲みながら、冷静に分析した。
頬に傷跡のある、暗い目をした男だ。
聞けば猿丸は、この村の生まれではなく、
よそから流れてきたらしい。
村に伝わる迷信は信じていない、と言い切った。
「竜が大地を揺らしているというより、
地震によって竜が目覚めたのでは…」
難蔵は、夜の湖のほとりに腰を下ろし、
猿丸の言葉を思い出していた。
「いずれにしろ、とんでもない奴と戦うことになりそうだ…」
と、つぶやいた瞬間。
目の前の水面が怪しくざわめき…
水が山となって盛り上がり、見たこともない巨大な
口が、難蔵の前にパックリ開いていた。
何列も並んだノコギリのような歯、
青い巨大なナメクジのような舌…
その時、十和田火山は巨大な
火柱を噴き上げ、大爆発した。