天神記(四)





8、 怪奇! 人面館




延喜9年(西暦909年)、まだ続く。

醍醐帝は、時平の死のショックから立ち
直れず、ふさぎがちな日々を送っていた。
後継者の忠平は、兄ほどには帝と息が合うわけでは
ないが、父の世代までの陰謀に彩られた、陰気な
藤原摂関家の家風を嫌う点は、兄と同じである。
この年30才、明るくカラッとした性格だった。

「まだまだ暑い日が続きますし、
舟遊びなど、いかがでしょうか」
帝の気分を変えようと、奏上してみた。
「舟遊びか… そうだ、それなら」

唐では、中秋(ちゅうしゅう)の日(旧暦8月15日)に、
月を愛でながら、祭事をもよおす習慣があるという。
「どうせなら、月を見ながら舟遊び、
と洒落こもうではないか」

こうして、8月15日の夜。
都の西方、大沢池に舟を浮かべ、管弦を鳴らし、
水面の月を鑑賞しながら歌を詠み…
これが日本の、もっとも古い「お月見」だという。
月見団子が登場するのは、江戸時代後期から。

「あ… あれは…」
「どうなされました?」
水面を見ておびえる帝に、忠平はいやな予感がした。
「道真が… 道真が水の中におる!」

もちろん、単なる影である。
(これはいかん… 相当に、お心を蝕まれておられる…)

どんなに楽しいイベントを開こうとも、帝の心が晴れる
ことはなく、道真の影が常についてまわる…
その影は、しだいに帝の健康をも害し始めた。



秋になった。
焼かれた家の建て替えも進み、道真の
襲撃から、都は復興しつつあった。

道真のかつてのライバル、文章博士の
三善清行は、この年63才。
陰陽師の賀茂忠行を議長とする、「道真対策本部」
のメンバーに選ばれ、残業の毎日である。
「道真の奴、これほどの大それたことを
やらかすとは… 断じて許さん!」

大恩ある帝にまで、牙を向くとは… 
たとえ怨霊が相手でも、道に外れた
ことは許せないのが清行である。

道真のかつての親友、参議の紀長谷雄が、
まったく動こうとしないのも腹が立った。
親友なら、説得して改心させるとか、
いろいろやることがあるだろう。

「無才の学士」と、本人に聞こえる
ように悪口を言ったこともある。
しかし長谷雄は何を言われても、聞き流した。
道真はおろか、世の中にも、生きること
にすら、興味をなくしたふうであった。
なんでも、入れあげていた女と、死に別れたらしい。
「いい年して、女を亡くしたくらいで
フヌケになるとは。情ない…」

対策本部の主な議題は、「道真が再び
襲来した時、誰が止めるか」である。
聖宝はすでに亡く、観賢では力不足。
尊意は重傷、相応も年老い、浄蔵は若すぎる。
「命蓮は信貴山にこもったままだしな… 
そうだ、あの方がいれば…」
清行は、ふとある人物を思い出した。

「あの方とは?」
「比叡山の南祖坊… 尊意や相応に匹敵
する法力の持ち主ですが、居所が…」
修行の旅で各地を放浪しており、住所が定まらないという。
「それでは、どうしようもないな…」



ある日、清行は引越しすることになった。
清行の邸も雷で焼けてしまい、今まで
知人宅にやっかいになっていたのだ。

新居… といっても中古の物件だが、堀川五条に
ある大きな邸で、引越しに先立って下見に来た時、
妖しい霊気が漂っているのに気づいた。
(現在、この邸の跡地には、醒泉小学校が建っている。)

「何か、いるな…」
そう直感した。
とりあえず荷物を運びこむ前に、畳1枚だけもって
一夜を明かし、ようすを見ることにした。

この時代、部屋は基本的にフローリングである。
畳やゴザは大変貴重であり、天皇ですら、
自分の座るエリアに畳をしくだけで、床
全面に畳の入った部屋など考えられない。

問題の邸は相当に古めかしく、庭は草ぼうぼう、
庭石には苔がみっちり生え、生い茂る樹木に
不気味なツタがからまる… 
まさしく、「ザ・幽霊屋敷」。

「明日の朝、家財道具一式を運んでくれ」
と、従者に命じて下がらせ、1人泊りこむ。


真夜中… 
天井からミシミシいう音、人の
ささやくような声が聞こえる。
清行は、目を開けた。
ろうそくの灯りが、妖しく照らし出した光景は…

天井に、顔が浮かび上がっていた。
それも1つではなく、格子のマス目1つ1つに、
それぞれちがった顔が…

青白い死体のような顔、泣いている女の顔、
表情のない子供の顔、目が白く光ってる顔、
不気味に笑ってる顔、妙に歪んだ顔、
額がざっくり裂けている顔…

作者は、怖い話が苦手である。
夜中に怖い話を書いているとトイレに
行けなくなるだれかたすけて><

しかし清行は、まったくビビらない。
むしろ、ギロッ!と、ガンを飛ばす。
しばらくそうしていると、顔は消えた。

入れ替わりに、今度は30センチほどの小人が現れた。
それも団体で、50人ほどもいるだろうか。
落ち武者のような姿で、小さい馬にまたがり、
部屋の隅から隅へ横断していく。
「小さいおじさん」と呼ばれる謎の精霊(?)が、
今話題になっているようだが、昔から
「小人」の目撃談は、けっこうある。

清行はあいかわらず、ギロリとにらみつけている。
怖れるどころか、むしろイライラして、
怒りをおさえてるように見える。
「うぬぬぬぬぬぬ…」

今度は、そなえつけの戸棚が開き、
妖しい大女が現れた。
長い黒髪、白い肌、赤い扇で
隠した顔は、かなりの美女だ。
じゃこうの香りが、ほのかに漂ってくる。
しかし笑った口元には、上下に
食いちがった鋭い牙が…

「いいかげんにしろ!」
ついに清行の怒り爆発、大女は
あわてて戸棚に隠れた。

「最初の顔天井は、まあ50点。小さいのは30点。
最後の女は悪趣味すぎる、0点!」
オカルト評論家でもある清行、なかなか辛い採点である。

と、庭から… 
仙人のようなひげを生やした、不思議な
老人が上がりこんできた。
「おみそれいたしました、清行さま。しかし…」

「おぬしが妖怪どもの元締か。
なんだ、何が言いたい?」
「この家は、私どもが何年も前から住んで
おります楽しい我が家。清行さまが移って
こられるときいて、困っておりまして…」

「バカモノ、筋違いだろう! 俺は正統な
手続きで、この家を購入したのだ。
見ろ、これが土地の権利書だ! 
立ち退かないと訴えるぞ!」

「(´・ω・`)……」
妖怪を相手に、法律を盾に叱りつける。
恐るべき、肝の太さである。

先ほどの大女が出てきて、老人と並んで、
清行の前にひざまづいた。
「恐れ入りました… あなたが見破られた
とおり、私どもは人間でございます」
「私は果心(かしん)と申します。
こちらは、女房の“あわわ”」

「なんだ、妖怪じゃないの?」
「ええっ!? では、あなたさまは妖怪魔物
の類に、いつもあのような態度で…」
「妖怪だろうがなんだろうが、道理をわき
まえない奴には、言うべきことを言う。
それがこの俺、三善清行だ」


それは今から51年も前、天安2年(西暦858年)のこと。
太秦(うずまさ)の地に住む、百姓のせがれ
だった果心は、目撃してしまった…

陰陽士・滋岳川人(しげおか の かわひと)が、
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨…
と大地を震わせ、あるいは不気味な声で、
「地神」を演じているところを。
(天神記(一)「陰陽師」参照)

それを見て、果心は「幻術(目くらまし)」
というものに開眼した。
ちょっとした心理トリックで、相手に
幻覚を見せたり、催眠状態にしたり。
本物の超能力がなくとも、知恵と
技で、それに近いことができる。

川人が果心を弟子にしてくれるはずもなく、独学で
学ぶしかなかったが、ついに果心は達人となった。
そして川人が臨終の際、果心は己の技を試したくなった…
川人を相手に、「地神」を演じてみたのだ。
あの「陰陽師」のオチは、実はそういうことだったのですね。

「しかし、長年修練したその技も、あなた
さまには通用しませんでした…」
「いや、俺もほんとの妖怪だと思ってたし。なかなか
大した技だぞ。一代で絶えるのは惜しい、子々孫々
に伝承するがよい。ただし、この家でなく、よそでな」

「…大学寮南門の東に空地があるそうで、
あそこなら住んでもいいでしょうかね?」
「俺の土地じゃないし、勝手にするといいよ」

こうして、果心夫妻は出ていった。


果心は10年後に死ぬが、女房の“あわわ”
が後を継ぎ、大いに術を使った。
そのため大学寮南門の近く、二条大宮の
十字路では、奇怪な幻影を見る者が多く、
いつしか「あわわの辻」と呼ばれるように。

“あわわ”の子孫にも、一子相伝で技が伝えられた。
やがて人間の限界を超え、魔の領域
まで高められた「超幻術」となり…
戦国時代に暗躍する「果心居士(かしんこじ)」
のような、魔人を生み出すのである。
しかし、それはまだ未来のこと。



翌、延喜10年(西暦910年)、初春。

伊勢の必死の看病で、なんとか命を保ってきた
均子だったが、いよいよ最後の時を迎えた。
伊勢を枕もとに呼び、「藤原うさ子」のぬいぐるみを託す。

「夫に、あなたのことはお願いしてありますから… 
伊勢… もう私に気兼ねしなくていいのですよ。
どうか… 幸せにね…」

均子さまは、知ってらっしゃった… 
はじめから、何もかも…
「姫さま… ごめんなさい…」

均子、逝く。
まだ、21才であった。

伊勢は主を亡くし、事実上の失業である。
夫もなく、すでに父もなく、高名な歌人
とはいえ、頼る相手はだれもいない。
伊勢に対する熱い思いを秘めた、中務卿以外には…