天神記(四)





6、 天狗VS天神




「道真公… どうか、このまま恨みを忘れ、涅槃
(ねはん)へと旅立っていただけないだろうか…」
巨大な蝦蟇の背に立ち、両手で印を結ぶ尊意。
「さもないと… あなた自身が呼んだ
雷電で、あなたが滅ぶことになる」

「ほう… 興味深い」
天空を引き裂き、1億ボルトの雷光が、
尊意の頭部を直撃した。
が、高圧電流は尊意の体を通り抜け… 
蝦蟇の体に伝わる。
全身のイボが妖しい光を放ち、くわっと開けた
蝦蟇の大口から雷エネルギーが放射される!

それを胸に食らい、道真は、血の
ようなマグマを吐いて膝をつく。
「ガファアッ」
死肉の焦げる、もうもうたる煙。
「バカな… 雷電をはじき返すとは…」

「ほう… それで雷を操っているのか。確か…
火雷天気毒王(からいてんきどくおう)… であったか?」
尊意が指さすものは… 
道真の右手にのった、小さな精霊。

火雷天気毒王、それは「雷を操る能力」を具現化したもの。
これに念を送ることによって、因果を逆転
させたり、幻の雷を呼んだりする。
道真の目と、右手の精霊の目が、同時に光った。

「天の龍よ、地を撃て! 斗魔咆吼(トマホーク)ッ!!!」

いく筋もの雷光が、瞬時に、集中的に、尊意を襲った。
しかし、避雷針のように尊意から蝦蟇へと電流は流れ、
大口からまばゆいビームとなって放たれる。
今度は、1発目よりさらに強力。

「グアアアアアアッ」
道真の肩に炸裂し、右腕を根元から切断した。
火雷天が地に転がり、マグマがドロドロとあふれ出す。

「このような結果になり、残念だ。道真公… 
だが、帝にまで牙をむく今、あなたを
調伏せずにおられましょうか」
尊意は印を組み直し、道真を
滅し去る最後の祈祷に入る。
一方、道真は下を向いたまま、
何かブツブツ唱えていたが…

突如、大地を割って巨大な蛇が出現。
疾風のように、蝦蟇をくわえこんだ。
振り落とされ、転がる尊意。
「地雷丸!」
蝦蟇はすでに、半分以上飲みこまれている。

大蛇の上には…
長い髪、鋭い目の、荒々しい美貌の男が立っていた。
虫ケラでも見るような目で、尊意を見下ろしている。
道真は邪悪な笑みを浮かべ、立ち上がり、

「これは東大寺の僧坊に巣食っていた、蛇骨
(じゃこつ)という、殺しを生業にしていた男。
蛇の方は、山上ヶ岳の阿古滝に棲みついていた大蛇。
どちらも醍醐寺の聖宝に殺され、今では
私の配下となった死霊どもだ」

「蛇ににらまれた蛙」という言葉があるが、蛙は蛇に弱い。
地雷丸は、ほとんど飲みこまれ、消化されてしまった。
蛇骨が、姿を消した…
と思いきや、尊意の背後に出現。
長い手足で、後ろから首と胴を締めあげる。

「グウウゥーッ」
プロレスでいう、チョークスリーパーホールドという技である。
尊意VS蛇骨、来世において
「児雷也(じらいや)」VS「大蛇丸(おろちまる)」
として対決する、宿命のライバルの出会い。

「法性坊尊意、そこで見ておれ、都の
滅ぶさまを… 広相! 善祐!」
さらに新手の死霊を召喚する道真。
青白い顔のロボットのような霊が2体、現れた。

橘広相(たちばな の ひろみ)は、藤原基経が関白に
就任した際の「阿衡(あこう)事件」において、
問題の文書を執筆した責任で罷免された学者。
道真が基経をいさめてくれなかったら、
流刑に処せらるところだった。
善祐は、皇太后・高子と密通し、
伊豆へ流された東光寺の座主。
どちらも、藤原一族の支配する
朝廷には、恨みをいだいている。

道真は、朱雀門を指さし、
「内裏に侵入して、誰でもいい、殺しまくってこい」

「や、やめろ…」
通常なら7秒で失神するチョークスリーパーを食らい、
いまだに意識があるとは、厳しい修行のたまもので
あろうが、すでに尊意の顔に血の気はない。

地雷丸を食い終わった大蛇は、蛇骨が技を極めている
上からさらに巻きついて、2人まとめて締め上げる。
蛇骨は霊体なので、締められて呼吸できなくても問題
ないが、尊意は全身の骨が砕かれんばかりである。

地上から1mほど上空を滑るように移動し、
広相と善祐の霊は、朱雀門に突入。
しかし、門の前に立ちはだかる中臣 霊道の
英霊が、善祐を一刀両断に斬り捨てる。

10mも跳躍して門を飛びこえた広相は、
第4結界に捕まった。
「ッ!!」
青白い火花を散らして消滅。

「チッ… ここから先は、一筋縄ではいかんようだ…」
「な、なぜ…」
尊意は、絞り出すような声で、
「あなたは… ついこのあいだまで、天皇の
恩をこうむった臣下だったではないか…
内恩外忠の威儀、未練なり… 静まり給へ…」

お前、まだ生きてたのか… というような、
憐れみの目で見下ろす道真。
「あら愚かや僧正よ… われを見放し
給う上は、僧正なりとも恐るまじ」
火雷天気毒王の目が光る。

「斗魔咆吼(トマホーク)!!!」

大蛇と蛇骨が尊意を締め上げている塊に、
すさまじい雷が落ちた。
幻の落雷だが、両手で印を結べず、念を集中
できない尊意は、まともに食らうしかない。
それにしても、自らの配下をも巻きこんで
雷を撃つとは、なんという非情さ…
大蛇も蛇骨も、四散して消滅してしまった。

尊意は全身に大火傷を負って
倒れていたが、まだ息がある。
「あいかわらず、しぶといな」
道真は、尊意の首をつかむと、
朱雀門めがけて投げつける。
「生身の肉体なら、結界も関係あるまい」

まるでミサイルのようにすっ飛んでいく尊意の体は、
朱雀門をこえ、建礼門、承明門をこえ… 
このままでは、御所のど真ん中に墜落、帝の目の
前に、凄惨な死体をさらすことになるだろう。

しかし地面に激突する衝撃も、悲鳴もなかった。
かわりに、異様な羽音… 
そして、吹き荒れ始めた旋風…
「むう? まさか、あれは…」

尊意を抱きかかえ、それは降り立った。
筋肉で張り裂けそうなアンバランスな巨体、
山犬のように突き出した顎、巨大な翼…
「愛宕山より太郎坊天狗、見参!」

「真済ッ…!!」
なんという運命であろうか、かつて
都を襲った太郎坊天狗こと真済、
その強烈なパンチから道真を
かばったのが、尊意だった。
今、その尊意を助け、真済が
道真の前に立ちはだかるとは…

「あなたまで私の邪魔をするというのか、
真済阿闍梨(あじゃり)よ」
「あいにくと、俺は誓いを立てたんでな… 
比叡山に害をなす者を祟ると…
我が魔道の力をもって…!!」
「ほう… 都を祟りに来た怨霊であるこの私を、
祟ると? それはおもしろい」

怨霊遷化によって甦った、モンスター
同士のバトルが始まった。

「風よ吹け、嵐よ叫べ!! 神風招来!!!」

巨大なヤツデの葉を振り回す真済、
超ド級ハリケーンが都を襲来した…
「ぬおおおおおおおおおぉぉッ」
もちろん、これも幻影の大風であるが、
道真の巨体をも後ずさりさせる、
すさまじいリアルな風圧があった。



「私が望んだのです、女の子がほしいと… 
神仏に願をかけたのです」
伊勢はつぶやいた。

「え…」
「お前、今なんと…」
藤原淑子の死霊が、伊勢をにらみつける。

「男子を産むことが、温子さまの大事な
お勤め、それはよく心得ておりました…
けど… たぶん一生結婚などできそうも
ない私は、女の子がほしかった。
己の身勝手で女を苦しめる、男なんかでなく…  
甘やかで柔らかく、しなやかでふわふわして、
小さなものや綺麗なものに愛情を注ぎ、ずるくて
憎らしくて、けれど、抱きしめたくなるような…
そんな女の子というものを、自分の子供に
もちたいと、常々思っていたのです」

「お前の個人的願望など知るか! 
藤原摂関家の神聖な責務を、お前は…」
霊体のくせに、淑子は青スジ立ててブチ切れた。

「私の願いが届いて、均子さまがお生まれに
なったのかもしれません。温子さまも、つらい
時期もおありでしたが、こんなすばらしい
姫さまをさずかって、後悔などなさるはず
はありません。そして、おそれながら…
均子さまは、この伊勢の娘でもあるのです」

伊勢は小袿を祓いのけると、おぞましい
姿の淑子をまっすぐに見た。
「うちの娘に文句があるなら、地獄でもどこでも
行ってやりましょう。あんたみたいな下っ端では、
話になりません。閻魔大王のところへ連れて
行ってもらいましょうか! さあ!」
八重が止めるのもきかず、伊勢は淑子に詰めよる。

「人間のくせに、死霊である私を
恐れもせず、なんと無礼な…」
背中の子供霊が、淑子の首を
絞める指に力をこめる… 
淑子の必殺技、発射スタンバイ…

その時、伊勢が思いっきり平手打ちをかました。
淑子の霊に。
そのせいで、吐き出した水は、横にそれた。

母の愛、死霊の怨念に打ち勝つ。