天神記(三)





15、 法華経(ほけきょう) 




延喜6年(西暦906年)は、まだ続く。

5月28日、尚侍の藤原淑子(よしこ)の脳の血管が切れ、
石畳に頭から倒れ落ちた。
打ち所悪く、69才でみまかる。
死後、正一位を贈られた。
時平の伯母であり、宮中の陰の実力者として、
数々の陰謀を裏で糸引いていたという。

時平は正直せいせいしていたが、ある夜、部屋に
1人でいる時、見てしまった。
頭から血を流し、立っている淑子を。
「菅公(菅原道真)が、あなたさまをお連れしろと… 
冥府にお連れしろと… 私を責めるのです。
さあ、ごいっしょに…」

手をさしのべる亡霊に、護身用の剣を抜いて切りつけた。
霊は消えたが、時平の心臓が鐘のように
バクバクして、倒れてしまった。
発作が鎮まった時、冷や汗をぐっしょりかいて、
死神に頬をなでられたような気分だった。
時平の寿命、あと3年。

「兄貴、どうした? 幽霊でも見たような顔をしてるぞ」
入ってきたのは弟の忠平(ただひら)、27才。
伊勢の恋人だった仲平より5才下で、ガキ大将のような
憎めない雰囲気の男前。
仲平とちがい、手強い相手である。

昔から時平にいちいちつっかかり、対立することの多い弟だった。
生前の道真とも交流があり、大宰府に配流された時は
道真をかばう発言を繰り返して、時平をいらだたせた。

「俺とちがって兄貴は、おおぜいの人の恨みを
買ってるからな。呪いには気をつけないと」
「弱っちい負け犬どもがいくら恨もうと、俺はビクともせんよ」
もしかして… 「道真が怨霊になった」なんて噂を
流してるのは、こいつじゃないか?
その読みは半分、当たっていた。



比叡山の尊意はこの日、白梅殿で道真の
供養をした後、接待を受けていた。
道真の長男・高視とともに亡き人を偲んでいると、
来客があり、どうしても尊意に会いたいという。
通してみると、歌人・藤原敏行の従者だった。

「私… どうしても、主が許せないんです!」
「従者が主を許せないとは、穏やかじゃないね」
「だって、ありがたい法華経を、あんな風に…」


藤原敏行は今年59才、古今集に残る有名な
秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 
風の音にぞ おどろかれぬる

を詠んだ人で、百人一首にも
すみの江の 岸による浪 夜さへや 
夢の通い路(かよいぢ) 人目よくらむ

が入っている。

歌だけでなく、能書家(書道の達人)としても知られており、
京都の神護寺には、敏行が銘を書いた鐘(国宝)が残っている。
そんな筆の立つ敏行なので、多くの人から
「法華経の書写してくださいな」と頼まれる。

写経というのは本来、自分でやって寺に収めてこそ
功徳(くどく)になるのであるが、やはり字が下手だと
恥ずかしいのだろう。
うまい人は、しばしば代筆を頼まれたようだ。
敏行もいい小遣いかせぎになるので、ホイホイと
引き受けていたら、いつの間にか200件ほども、
依頼がたまってしまったのだ。

敏行も、けっこう忙しい。
仕方ないので、メシを食いながら… 
それも、魚や肉を食いながら、書く。
さらに、愛人のもとへ通う時も紙を持参して、
契った後、寝床で書く。
そんな風にやりくりして、なんとか
頼まれた分はぜんぶ終わった。

しかし許せないのは、そばで一部始終を見ていた従者である。
日ごろ仏さまを熱心に信心している彼は、だれか偉い坊さまに
言いつけて、きつくお灸をすえてもらおうと考えたのだ。

尊意も、この話を聞いて、激しく不愉快になった。
法華経というのは、天台宗において、
たいへん重要な経典である。
それを、そんな態度で書写するとは…
「よくわかった。お前の主人を、キッチリこらしめてやるとしよう」



悪人面で脂ぎったエロじじい・藤原敏行はある日、
愛人の家でパタッと倒れた。
呼吸が止まっている…

青白い肌をした武者たちが大勢やって来て、
敏行を無理やり、愛人の家から連れ出した。
「おいおい、何すんだよ。たとえ帝だって、この敏行さまには
一目おいてんだよ? それをこんな目に会わせて、
いい思っとるんか? あー?」
「連れて来いという命令があったから、連行するのだ」

武者たちは星もない闇の中を、敏行を追いたて、
ずんずん進んでいく。
さすがに敏行も、ここが都ではなく、異世界で
あることに気がついて怖くなる。
やがて、おぞましい姿をした一団が、武者たちに合流した。

着物はボロボロ、肌は焼けただれ、肉は腐り、
髪は抜け、目は眼窩から飛び出している。
その数200人ほどだろうか、皆いちように、
敏行をジッと見つめる。
「こ、この方たちは… どちらさまでしょう…?」

「わからんのか? お前に、写経を依頼した者たちだ。
その功徳によって本来なら極楽に行くものを、お前が
魚食ったり、女と交わったり、ちんちんさわったりした手で
写経したから、かえって法華経を汚した罪をこうむり、
地獄に落とされてしまったのだ。」
「ひ、ひえええ…」

「この者たちは言うまでもなく、お前を腹の底から恨んでおる。
こいつらの訴えによって、お前を地獄に連行するのだ。
地獄での裁きの後、お前の体は…」
200人の地獄の亡者が、200の断片に切り刻む。
それでも死ねず、200片の肉のかけらになって、
未来永劫、苦痛を味わい続けるという。
「ちょwww まwwwwwwwwww」

敏行は気が狂いそうになった。
「助かる方法ないんか!?」
「軽い罪ならともかく、これはどう考えても無理」
「いややー やめれー たすけれー」

泣きわめき、失禁もしたが、武者たちは容赦なく
敏行を引きずって、やがて地獄の門が見えてきた。
その時、武者の1人が耳元で、そっとささやいた。
「四巻経を書写したてまつると、願を起こしなさい」

敏行はハッとして、
「私、無事に帰れたら、必ず四巻経を書写すると誓います!
書く時は、酒も肉も女も断ち、身を清浄にして、
きちんと清い心で書きます!」
地獄の門をくぐる直前のことだった。

さて、いよいよ地獄での裁判が始まった。
「お前はほんとうなら、もう少し命があったんだが、あまりにも
汚らわしいやり方で写経しておるので、訴えられたのだ」
裁判官は、敏行の一生が記された巻物を
巻き取りながら言った。

「おや? 1番最後に、「四巻経を書写する」と願を
立てたとあるが… これはやり遂げたのか?」
「い、いえ… 遂げる前に、召し出されてしまいまして…」
「そうか、それは可哀想だな。では、本来の寿命の時まで
もう少し生かしてやるか」
「ほ… ほんとでしゅか…」

「だが、必ず誓いを果たすようにな。願を遂げないまま
寿命が尽きると、またここに来るよ」
「了解です! 絶対やり遂げますです!!」
感激の涙があふれ… 敏行は目を覚ました。
仮死状態になっていたのは、ほんの一時のことだった。



10日ほど養生すると体力が戻ったので、敏行はさっそく、
美しい料紙を注文したり、罫線を引かせたりして、
写経の準備を整えた。
「やるぞ… 今度こそ、身も心も清めて、
尊いお経を書き写すのだ」

さあ、やるぞ… という時になって、愛人から手紙が来た。
「……ま、いいか。今日明日に死ぬわけでもあるまい。
書き始めるとしばらく女は抱けないし、今日は思いきり抱いて、
抱き納めにしよう」
こう言って、3日ほど女のところに泊ってしまった。

帰ってくると、今度は本業の方も忙しくなってきた。
仕事が忙しくなると、ストレスがたまって、女を抱きたくなる。
すっかり、以前の生活ペースに戻ってしまった敏行であった。

「ま、いいや。明日やろう」
「あー疲れた。明日にしよう」
「今日は気分が乗らない。やめとこ」
うわー作者も耳が痛いです><


そんなこんなで年が明け、延喜7年(西暦907年)。

敏行は、高熱を出して倒れた。
「ま、まずい… 写経をやり遂げないと…」
起き上がろうとしても、激しい頭痛がして起きていられない。

食べ物がのどを通らず、医者も坊主も見放した。
「このまま死んだら、今度こそ…」
意識が混濁してきた。

「迎えに参ったぞ」
またしても、青白い顔の武者の一団がやって来た。
自分の横たわっていた部屋が、米粒のように小さくなり、
暗い空間を引きずられていく。
「待ってください! この病が治ったら必ず…」

地獄門をくぐると、200人の亡者が、刃物を
カチャカチャ鳴らしながら待っていた。
200枚の肉片に解体される敏行の絶叫は、
誰の耳にも届かなかった。



「すさまじい苦しみようでございました…」
葬儀に参列した歌詠み仲間の紀友則は、敏行の最後の
ようすを聞かされ、たいそう気の毒なことと思った。

敏行が準備して、結局使わずじまいだった料紙を遺族から
譲ってもらうと、近江の三井寺にいる知合いの僧に頼んで、
四巻経を書写してもらい、敏行の供養とした。
「これで、敏行どのが極楽に行けますよう…」

だが不幸は重なるもので、友則自身もほどなく、
心不全で世を去った。
古今和歌集の編纂スタッフの1人であり、
「久方の光のどけき…」の名歌を残した人だった。
三井寺の写経でたまった功徳ポイントは恐らく、友則自身が
極楽に行くために使われたことだろう。


友則の葬儀には、伊勢も参列した。
昨年、父の藤原継蔭を亡くしたばかりで、
「なんだか、身近な人の不幸が続くなあ…」
などと思っていると、邸からの使者が…
イヤな予感が、背中を走る。

「皇太夫人さまが、ご危篤でございます。ただちにお戻りを」
「温子さまが!?」
思わず、手から数珠が落ちる…