天神記(三)





12、 古今集(こきんしゅう)




延喜5年(西暦905年)。

正月… 大納言国経の邸に、時平からの使いがあった。
「三が日のうちに、新年のご挨拶に伺いますので」
甥っ子ではあるが、左大臣がわざわざ来るというので、
国経は喜び、豪華な宴会の準備をしてスタンバイ。

正月3日に、時平は取り巻きをぞろぞろ引きつれ、やって来た。
挨拶を交わし、宴に突入。
大いに盛り上がり、皆、気持ちよく酔いが回った。

時平が歌を詠むと、皆が褒め称えた。
すぐそばの御簾の陰から、大納言の北の方が、
じっと見守っている。
時平の日本人離れした、ラテン系の華やかな
顔立ちに、ほっと溜息をつき、
「あれが左大臣… なんてステキな方…」

時平が、こちらをちらっと見て、微笑む。
北の方の胸が、思わず高鳴る。
(1度でいい… 干からびた老人ではなく、あのような方に…)

「左大臣、大丈夫ですか。今、お車を」
「いやーすっかり酔ってしまった。少し、こちらで
休ませていただきますよ」
「どうぞ、どうぞ。その間に、心ばかりの
お礼の品をご用意いたします」

「大納言… ちょっと、お願いが… 図々しいようですが」
「なんですかあ左大臣? なんでも、おっしゃってください」
2人とも、相当酔っている。

「私も大臣として礼を尽くし、大納言に敬意を表したつもりです。
もし… 私の気持ちをくんでいただけるのなら、何か、こう… 
心にグッと来るような、贈り物をいただきたいのです」
そう言いながら、時平は御簾の方を、ちらちらと見る。

大納言は、ははあ、そうか… それが目当てだったか… 
と思いながらも、人臣として最高位にある左大臣が、
正月に挨拶に来てくれるというのは、大変に光栄な
ことであり、私の顔も大いに立った。
しょうがない、まあ、いいだろう。

御簾をどかして、美しい妻の姿を見せた。
「これが、私にとって最高の宝です。左大臣」
袖を引いて、恥ずかしがる女を、時平の隣に座らせる。
「初めまして、奥さま。こうしてお会いできるとは夢のようです」

「さあさあ、皆さん、席を外して。左大臣はここで、
しばらくお休みになりますから」
人払いをしながら、大納言は自分の正気を疑った。
最愛の妻を、たったひと晩とはいえ、他の男に差し出すとは…
酒の勢いがなければ、こんな思い切ったことはできなかったろう。

時平は、北の方と2人きりになると、
「では、参りましょうか」
「あの… どちらへ?」
時平のたくましい腕が、女を抱き上げた。

そのまま、牛車に乗りこむと、
「それでは、お世話になりました」
時平一行は、邸から出て行った。
大納言はポカンとして、それを見送る。

「今夜だけ… じゃないの? おーい、お前、
私を置いてくんですかあ?」
泣き笑いしながら、妻に呼びかけると、牛車から
「あなた、お元気でね」
と、返事があった。


大納言国経は、それっきり内裏に出仕することはなかった。
邸で、ひたすら酒に溺れていた。
「ちくしょう、時平め… あいつもあいつだ! 
若い男にホイホイついていきやがって…」
しかし、いくら酔っても、奪われた美しい妻を
忘れることはできない。


御所の北、船岡山の西側エリアは蓮台野と呼ばれ、
風葬の地… つまり、野ざらしの仏さんがゴロゴロ
してる死体投げ棄てゾーンである。
そのド真ん中に、国経は腰を下ろした。

まだ新しいものは人間の形を留め、腹が
ガスで膨れ上がっている。
腐敗の進んでウジの湧いたもの、野良犬に
手足や内臓をもっていかれたもの…
そして圧倒的多数の、古く黄ばんだ骨の山…

乾いた風と異臭の中、国経は、かつて人間で
あったものたちを、一心に見つめていた。
見るんだ… これが、人間の本当の姿…
あの美しい妻も、ひと皮向けば、こんな姿をさらすのだ…

「あいつもやがては老い、こんな風に捨てられ、腐っていく…
ざまあみろ! ざまあみやがれ! どんな美しい
女だろうと、骨になるんだ!」
妻を忘れるため、国経は蓮台野に通い、
来る日も来る日も死体と向き合った。


女を奪われたのは、国経だけではない。
「かの人は左大臣の寵愛を受けることになりました。
今後、2度と通うことはなりませぬ」
時平の使者が伝えるメッセージに、平中は愕然とした。
教えてやったのは俺じゃないか… ひとり占めする気かよ…

よし、そういうつもりなら、こっちにも女たらしの意地がある…
あんたの囲い者の「侍従の君」、必ずいただいてやるからな…
怒りに歯噛みする平中であった。


「本院」と呼ばれる時平の邸では、そのころ。
さらってきた北の方と、甘く熱い夜をこれでもか
というほど、重ねている時平であった。
生まれて初めての、女としての歓びに浸る北の方(今は妾)
の体には、まもなく新しい命が宿った。

翌年誕生することになるこの命は、後の
歌人・藤原敦忠(あつただ)である。
その生い立ちから期待されるように、
成長後は美麗でエロい人となった。

逢ひみての のちの心に くらぶれば 
昔は物を 思はざりけり

(実際にあなたに会って抱いた後の、あなたを欲しいと
思う気持ちに比べれば、以前の気持ちなど、物思い
ともいえない軽い気持ちだったのだなあ)
という有名なエロい歌が、百人一首に採られている。

一方の国経は、いくら死体を眺めても妻を忘れることはできず、
恨みと懊悩のうちに、やがて悶え死ぬ。



話は変わって、4月18日。
醍醐帝は、4人の歌人を御所に招集し、勅命を下した。
「わが国最古の歌集、『万葉集』の成立より、
150年ほどが過ぎた。そろそろ、新しい世代の
歌集を編むべき時だと思うが、どうであろう」

勅命(天皇の命令)により、国家事業として編纂(へんさん)
された和歌集を、「勅撰(ちょくせん)和歌集」という。
今、日本史上最初の勅撰和歌集である「古今(こきん)和歌集」、
その編纂を命じる、記念すべき勅命が下された…
多くの資料は、この日を延喜5年(西暦905年)の
4月18日としている。

集められたスタッフは、いかつい顔に乙女のハートを
もった紀貫之(き の つらゆき)、その従兄弟にあたる
紀友則(き の とものり)、壬生忠岑(みぶ の ただみね)、
凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)といった、いずれも
官位は低いが、歌は一流と評される面々。

時刻は、まだ午前10時ごろ… 
一同は一室に集まると、ただちに作業に入った。
何しろ、和歌や歌人のことでは知らないことのない、
マニアな人たちである。
和歌集に収録する歌や詠み手のことで、
大いに盛り上がって議論が進んだ。
ものすごいペースで歌が選定されていき、後ろに
控えたアシスタンントたちが清書していく。

「少し前の世代で、名高い歌人を6人上げるなら、遍昭、業平、
康秀、喜撰、小町、黒主。異論は認めない」
「業平はガチ」
「伊勢の歌は全部収録だろ、常識的に考えて」
「伊勢は俺の嫁」
「小町カワイイよ小町」
「伊勢伊勢言ってる奴は、どんだけひらがな厨だよ。空気読め」
「素性法師のかっこよさは異常」
「おまえら… 小町の姉を忘れてないか?」
「詳細キボンヌ」
「歌の道も女の道も在原業平>>>>>>>>>>>平貞文
これだけはゆずれん」

もちろん、自分たちの作品の収録も忘れない。
友則が、この春の新作を披露する。
久方の ひかりのどけき 春の日に 
しづ心なく 花のちるらむ…
 て、どーよ?」
「神作品キターーーー(゚∀゚)ーーーーー」

「こんちわー 手伝いに来ましたー。差し入れの鮎寿司でーす」
と入ってきた青年は、紀長谷雄の息子、淑望(よしもち)である。
「これ、どーですかね? 去年、父のところに届いたんだけど…
詠み人は都良香の門弟というだけで、詳細はわからんですが」

奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき

「(*^ー゚)b 良い仕事!」
こうして猿丸の作品は古今集に選ばれた。
(後に百人一首にも)

「ねーねー、これも詠み人知らずだけど、
愛の歌として秀逸じゃね?」
「どれ?」

わが君は ちよにやちよに さざれ石の 
巌(いわお)となりて 苔のむすまで

(私の大切なあの方が、1000年も8000年も末永く、
健やかでいらっしゃいますように。細かい石が固まって、
大きな岩となり、苔が生えてくるまで…)

しばらく、一同はシーンとなった。
「日本人に生まれてよかった…」
貫之は、目頭をこすった。
「君が代」が文字となって現れるのは、これが最初である。

さらに貫之は、ひらがなで序文を書くことを提案。
「やまと歌は 人の心を種として よろづの
言の葉とぞなれりける…」
画期的だが、「女性文字」の序文だけだと批判が出るかも
しれないので、一応漢文の序文も用意することにして、
こちらは紀淑望が担当した。


こうして全20巻、1111首があっという間にまとめられ、
夜の8時ごろには帝に奏上した。
「早っ」と、帝も驚いたという。
記念すべき、日本最初の勅撰和歌集…
その成立を、多くの資料は延喜5年(西暦905年)の
4月18日としている。

※古今和歌集は、研究者によって、延喜5年(西暦905年)の
4月18日に「編纂の勅命が下った」という説と、「成立した」と
いう説に分かれており、どっちが正しいのかわかりません。
作者は、「なら勅命が下って、その日に完成すればよくね?」
と考えました(笑)