天神記(三)





11、 好色




延喜4年(西暦904年)。

3月、仁和寺(にんなじ)に宇多法皇専用の室(むろ
=僧坊。坊さんの住居)が完成。
僧坊といっても、法皇が住まうので立派な宮殿である。
ただの室ではないので「御室(おむろ)」と呼ばれ、
付近の地名も「御室」となった。

法皇は、ここに引っ越してくると同時に、門跡(もんぜき
=住職)に就任。
以後、明治まで30代、仁和寺の門跡には
出家した皇族がつくことになる。
太東亜戦争の敗戦後、近衛文麿(このえ ふみまろ)は
昭和天皇を仁和寺で出家させ、連合軍の追及を
かわそうと企んだという。

宇多法皇は本来なら、ここから思い通りに
醍醐帝を操るつもりだった。
が、自我に目覚めた息子は時平と組んで、父親に反抗。
その気になれば法皇は、道真を始め、自分を
支持する勢力を集め、息子である帝と血みどろの
争いを繰り広げることもできたのだが…
後の平家物語の時代の、帝と法皇のように。
時平はそれを警戒して、菅原一門を
徹底的に粛清したわけだが…

しかし、風雅を愛する法皇は、骨肉の争いをよしとしなかった。
そこまでして権力を求めることは、法皇の美学に反する。
敗れたのなら仕方ない、それも時の運…
道真には気の毒だったが、あきらめてもらう他ない。
今の法皇は政治とスッパリ手を切り、
仏道と和歌にはげんでいる。

「そういえば… お前の弟子に、道真の孫がいたな」
法皇が話しかけたのは、仁和寺別当の観賢(かんげん)。
醍醐寺の聖宝に育てられた高弟である。

「淳祐(じゅんにゅう)のことでしたら… 
まだ般若寺(はんにゃじ)にいるかと… ププッ」
観賢は、仁和寺に来る前は、奈良の般若寺にいた。
「なんだ、そのププッというのは?」
「失礼いたしました。あいつの顔を
思い出すと… ( ゚,_・・゚)ブブブッ 」


現在はコスモスの寺として有名な般若寺は、
観賢によって再興された古刹である。
観光サイト 
http://narashikanko.jp/kan_spot/kan_spot_data/w_si54.html

道真の五男・菅原淳茂(あつしげ)の子、淳祐はわけあって
幼少のころ出家、般若寺の観賢に師事した。
現在15才、思春期まっさかりの淳祐には、ある悩みが。

「はあ〜 ぼくちんの顔って、どうして
こんなにブサイクなのかしら」
( ´゚ё゚`)←こんな顔を鏡に映しながら、深いため息をつく。
確かに、人の笑いを誘ってしまうようなユーモラスな顔である。

「どうか、ぼくちんを男前にしてください、ナムナム…」
ここ1年ほど、本尊さまへ毎日祈っている。
そして、ある日… 夢に、神々しい老僧が現れたのである。

「そなたの顔は美しく、知恵も広大で
あるぞよ… ( ̄>Θ< ̄)ブチュッ」
「わああああっ」
びっくりして、目を覚ました。

さて、その日… 鏡を見てみると。
「あれ? …なんか、俺… いけてね?」
確かに、いつもよりキリッとしている。

しかしもちろん、淳祐の顔が一夜にして変わったわけではない。
夢を通した自己暗示により、自分の顔に
自信をもつことができたのだ。
(  ̄ё ̄)←今は、こんな感じに。


観賢は、淳祐からの手紙を受け取り、
この話を読んで大笑いした。
さっそく、法皇にも伝える。
「あいつは将来、きっと大物になりますよ」

淳祐の父・淳茂も今は、播磨(はりま)の国
(=兵庫県)に流されている。
道真の一族が1人でも、元気にがんばっている
という知らせは、法皇の心を慰めた。
がんばっているといえば…
長男である敦仁(あつひと)、すなわち醍醐帝が
ここまでやるとは思ってもいなかった。

帝は今、後の世に「理想的な天皇の治世」と
称えられるような政治を行っている。
もちろん、それを支えているのは時平であるが。
帝は血縁関係がないにも関わらず、時平を厚く信頼していた。

時平も、父や祖父とちがって、決して
帝を押さえつけるようなことはしない。
あくまでも忠実な臣下として、身命を捧げている。
2人の息の合った連携プレイを、まざまざと
見せつけるできごとが、この年にあった。


帝はある日、財政緊縮の折から贅沢をつつしむよう、
身なりも質素にするするよう、通達した。
しかし、時平が実にハデハデしいゴージャスな
装束をまとい、参内してきたのである。
帝は、たちまち不機嫌になり、人前で
時平をきびしく叱りつけた。
「左大臣自ら、そのような装束で参るとは。
今すぐ、出て行きなさい!」

時平は真っ青になり、あわてて御所から退散。
それからひと月ほど、「本院」の邸に引きこもり、謹慎していた。
「帝から、重いおとがめを受けまして…」
訪ねてくる人に、会おうともしなかった。

1ヵ月後、帝からお召しがあって、
時平は地味な身なりで参内した。
それを見た人々は、
「左大臣でさえ、帝に怒られ、あのようにつつしんでいる…」
「我々も贅沢を控えないと、まずいでしょうな…」

もちろん、これは帝と時平の仕組んだ芝居である。
こうして、倹約令を徹底させることができたのだ。
「うまくいったな、左大臣… 大儀であった」



その夜、時平は邸に「平中」という男を招いた。
本名は平貞文(たいら の さだふみ)、
プレイボーイで有名なナンパ男である。
かつて伊勢にアタックして、あえなく轟沈したこともある。

「ひと月もおとなしくしてたから、体が腐り
そうだわい。まあ飲め、平中。
今宵はゆっくりしていってくれ… ところでな」
酒をついでやる時平の目が、ギラリと光る。
「最近、都で1番いい女は、だれだと思うね?」

仕事がひと段落した後の、時平の息抜きは「女」である。
今、無性に女が欲しかった… それも、極上の。
平中も女好き同士、時平の「飢え」を敏感に嗅ぎ取っている。

「左大臣の前で言うのも、チト気が引けますが… 
大納言の藤原国経(くにつね)さま…」
「うむ、俺の伯父貴だな」
「その国経さまの北の方(正妻)… 
これがまあ、絶世の美女でして」
「そうらしいな。俺も聞いたことがある」

国経は今年、77才。
これが20才そこそこの若い娘、しかもたいへんな美女を妻に
したのだから、犯罪といおうか、新妻が不憫といおうか。

「どうやって、顔を見たんだ?」
「大納言さまの従者に、知り合いが
おりまして。その手引きで…」
「何? もう、いただいちまったのか? この悪党め!」
時平は、大笑いした。

「年寄りの相手は退屈で気が滅入る… 
と、嘆いてらっしゃいました。気の毒な方ですよ。
私に会うのを、唯一の慰めにしてらっしゃいます」
平中は、忍んで逢いにいった時の様子を、詳しく話した。
そのエロ話を肴に、2人は大いに飲んだ。

さて、夜も更けて… 平中が
「これから、さる女と約束がありまして」
と、いとまを告げ、牛車に乗りこもうとした時… 
庭で、月を見上げている女を見かけた。
(あれが噂に聞く、本院の侍従か…)

なんという神秘的な、この世ならざる美しさ… 
大納言の北の方と、勝るとも劣らぬ…
「侍従の君… 竹取物語をお読みになりましたかな?」
最近出回っている、かぐや姫を主人公にした
物語を読み、ロマンチックな気分で月を見上げ
ているのだろう… と、平中は考えた。

本院の侍従… つまり、人魚の肉を
食らった女、八重は振り返った。
「作者としては、あまりいい出来栄えとは思わないのだけれど」
「えっええ!? あ、あなたが竹取物語を?」


3年ほど前だろうか、八重は久しぶりに伊勢に会い、
「竹取物語」第1稿を読んできかせた。
伊勢は、自分とはジャンルが違うものの、
八重の文学的才能に驚き、
「よく、こんな話を考えたね」
「本当にあった話ですから」

もし伊勢がお茶を飲んでいたら、ブー!と吹き出すところだが、
この時代、まだ茶の習慣はない。
「本当なの?」
「人名とか、できごとは微妙に変えてありますけどね」
「月の世界に、人間が住んでるんだ…」

八重は、夜空を見上げ
「月だけでなく、この空に輝いてる星の
いくつかには、人間が住んでますよ。
私が常陸(ひたち)の国(=茨城県)にいたころ、
空から大きな釜が降りてきて、中から不思議な
光を放つ人間が… 童女のような姿でしたが…」


思わず取り乱した平中だが、すぐに
いつものプレイボーイに戻って
「失礼しました… 私は平貞文と申します、
つまらない歌詠みですが…」
これほどの美女を侍らせておきながら、
なぜ左大臣は他の女を…?
そんな疑問が湧いてくる。

実は時平は、八重の、あまりにも自分とは次元がちがう… 
というより、人間を超越しているような雰囲気に、
もてあまし気味だったのである。
そこが八重の魅力でもあったが、色恋の相手に
するには、しんどいものがあった。
時平は知らないが、八重は100才をとうに
超えており、もはや人というより妖怪である。

「平貞文? ……平中か」
フッと鼻で笑い、八重は背を向け、歩き去る。
平中は、魔に魅せられたような、かつて味わった
ことのない不思議な熱っぽさを感じた。
すぐそばにいるのに、これほど遠くに感じる、
これほど手が届かない女も初めてだった。

平中、ウン命の恋の始まりである…


さて、好色男といえば、ここにもう1人…
歌人で書道家の藤原敏行(としゆき、57才)は、
女のもとへ通う途中、車の窓を開けていたのだが… 
すき間から入る冷たい風に、へっくっちん!と、くさめをした。
「ズル… なんだ、おい。涼しくなってきやがったな」
思わず、鼻水が… じゃなくて、歌がスルッと出てきた。

秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 
風の音にぞ おどろかれぬる


秋の歌の中でも屈指の、爽やかで、よく知られた歌である。
しかし、これを詠んだ敏行は、悪人面の脂ぎった
エロ中年で、ちっとも爽やかでない。
彼にもまた、とんでもない運命が待ち受けている…