天神記(三)





10、 魔神の群れ




魔風、2人の若い僧、それに猿丸… 4人の旅が始まった。
「菅丞相も、ここにおるぞ」
と言うが、猿丸の目には見えない。
今、道真は猿丸以外の3人の脳の中にいるのだから。

3人は、ハードディスクの使用量が100%近い
パソコンのように動作がのろく、何か聞いても、
しばらく固まっていることが多かった。
Windowsでいうと、砂時計が出ている状態にあたるのだろう。

当然、この3人だけでは旅はおぼつかないので、
一行の世話をするのは猿丸の役目である。
食事と宿の手配、道中の警護。
しばしば盗賊が出現したが、たちまちのうちに
猿丸の山刀の露となった。

なんという不思議な運命であろうと、猿丸は思った。
26年ほど前、猿丸は都良香(みやこ の よしか)という
男の先達(ガイド)として、東へ、富士の山へと旅をした。
良香は道真の先輩に当たる人物で、道真が
官吏登用試験を受けた時の試験官である。

猿丸は良香から漢詩や和歌を習い、良香の作った
上の句に、下の句をつないだこともあった。
これがきっかけで、道真と良香は仲たがいしたのであるが…
今、こうして道真の霊の先達を務め、再び東に向かおうとは。

あの時の下の句を作った「鬼」とは
自分であると、道真に伝えたかった。
道真の評価も聞いてみたかった。
しかし、今は重要な任務の最中であり、
個人的なおしゃべりなど許されるはずもない。

「これは頭脳に、相当な負担がかかるな… 
旅の終わるころには、この体も捨てねばなるまい。
猿丸、大和に入ったら、ひとつ手ごろなのを見つくろっといて
おくれ。品のいい、物持ち風の老人がいいな」

2人の若い僧はどうなるのか… 
などと、余計なことを聞く必要はない。
魔風に選ばれた時点で、2人の運命は決まっているのだから。
全員の夕食と寝床の用意をした後、猿丸は外に出た。
月明かりの下、寝る前のわずかな自由時間を、詩作にはげむ。

宿に戻ると、土間に藁をしつらえ、横になった。
「猿丸… お前、相当スジが良いようだな」
奥の間から、眠そうな魔風の声。
「……見ておられましたか」

「いや、私ではない。菅丞相だ… お前が熱心に書き物を
してるのを、見てたそうだ。いいのができたら、都の
紀長谷雄に送ってみろと言ってる。なんでも… 
お前がこのまま世に埋もれるのは、たいそう惜しいと」

猿丸の胸に、熱いものがこみあげてきた。
「ありがとうございます…」
あの菅丞相から、これほどの言葉をかけてもらえるとは。
不覚にも、涙がこぼれるのであった。



一行は陸路を長門(ながと)、周防(すおう)、安芸(あき)、
備後(びんご)、備中(びっちゅう)、備前(びぜん)、
播磨(はりま)、摂津(せっつ)、河内(かわち)と旅して、
いよいよ大和が目前となった。
「よくぞ、ここまでもちこたえたな、菅丞相。もう、まもなく」

記憶データこそ、根の国に流れぬよう3人の脳に保存して
あるが、道真の自我が崩壊せずに形を留めているのは、
一途な念の力以外の何ものでもない。
旅が終わりに近づくにつれ、その念は、ますます
燃え上がっていた。
「ええい、まわりくどい… なぜこのまま、
まっすぐ都に向かわぬか」

「今行けば、大したこともできずに消え去るのみだぞ。
新しい不死の肉体に宿って、生まれ変われ。
その肉体があれば… 常人にはとうてい
かなわぬ力を、自在にできよう」
こう言われると、従わざるを得ない。

「で、その唐笠山というのは、どんなところなのだ?」
現在の住所で言うと、奈良県御所(ごせ)市にある。
御所(皇居)もないのに、御所市とは… 
古代に御所があったのだろうか?
この御所市、日本の市区町村の中でも屈指の、
歴史の謎に満ちた土地である。

唐笠山の東側のふもとには、出雲系の式内社、
大穴持(おおなむち)神社がある。
この神社は本殿がなく、拝殿後方の御神木を拝む。
古代においては、唐笠山そのものが御神体であったろう。

西側のふもとには鍛冶師の集落があり、出雲で
発明された製鉄施設「タタラ」が点在。
古代の豪族、鴨(かも)氏の本拠地であり、
氏神・高鴨神社がある。
公式サイト http://www5.kcn.ne.jp/~takakamo/

すぐそばの街道は、木の国(和歌山県)に通じている。
ここは、出雲と木の国を結びつける接点なのだ。
木の国には、根の国に通じるという霊地
「大斎原(おおゆのはら)」がある。

鴨の里からさらに西… ここになぜか、
「高天原(たかまがはら)」という土地がある。
高天原といえば、皇室の祖先の神々が、日本に
降り立つ前にいたところではなかったか。
(ちなみに、茨城県の鹿島神宮のそば… 
藤原氏発祥の地にも、「高天原」が存在する。)

北に行くと、天皇家と張り合った葛城(かつらぎ)王朝の神、
一言主(ひとことぬし)を祀る神社もあって、ここでは
古代の歴史がグチャグチャに交錯している。

謎に満ちた御所市の観光サイト 
http://www.city.gose.nara.jp/kankou/gra/index.html



焼けた鉄を叩く、槌の音が響いていた。
「鬼丸が都に行ってから、もう13年… 
今ごろ、りっぱな陰陽師になってますでしょうな」
下働きの男の口調には、郷土を誇る気持ちがにじんでいた。
「この土地はね、役行者(えん の ぎょうじゃ)さまを
生んだところだ。ちょくちょく不思議な力をもったのが
生まれるし、集まってくる… あなたのような」

雇い主である鍛冶師の、異形の姿を見つめながら、男は言う。
「あなたのような… 異能のお人がね。クックックッ…」
手を休め、振り向いた鍛冶師の、片目は潰れている。
あぐらを組んでいる足も、1本しかない。

「たしかに、この山には魔物がよく集まるようだ… 
俺を含めてな」
彼の名は天国(あまくに)。
出雲出身の、まだ若いこの鍛冶師が、ツテをたよって
鴨の里に移ってきたのは、去年のことである。

その姿は里人を驚かせたが、技術の高さ、生来の
真面目さで、すぐに信頼を得た。
それによく見れば、1つ目・1本足の鍛冶の神「天目一箇神
(あめのまひとつのかみ)」の化身にも見える姿であり、
年寄りの中には彼を拝む者さえいた。

彼は会ったことはないが、この里に、たいそう
不思議な能力をもつ少年がいたそうだ。
人には見えないものを見たり、心を読んだり、
未来のことを予知したり。
そんな鬼丸少年が、陰陽頭の弓削是雄(ゆげ の これお)に
スカウトされたのは、6才の時。
都で元服し、今は賀茂忠行(かも の ただゆき)と
名乗っているそうだ。

「鬼丸が、山で魔神を見たと言うとりましたわ。
ま、今さら驚きませんが」
「今も何か、禍々しい気が近づいてくるようだ… 
さっきから気になってるんだが」
片足で器用に立ち上がり、戸口から外をのぞいてみる。
ちょうど… 幽鬼のような旅の僧が3人、通り過ぎるところだった。
獣の皮をかぶった男が、先導している。

ちょっと出てくると言い残し、天国は両手に杖をつきながら、
山道も気にせず、僧たちの後をついていく。
中腹にある洞穴に、一行は入っていった。
(あそこに、いったい何が…)

「そんなに気になるか、死霊の匂いが」
声がしたので振り向くと、異様にたくましい、
背の高い乞食のような男がいた。
天国の心に、言い知れぬ恐怖が湧き起こったが、
同時になぜか、不思議な懐かしさを感じた。
「あなたは… この山の魔神…?」


道真は洞穴の中の、暗く細い道を進んでいた。
デジャヴ… かつて夢の中で通った、
あの「冥府の細道」に似ている…
一段天井が低くなったところを、腰をかがめて通り抜けると。

そこには、菅原道真モドキが横たわっていた。
顔の作りこそ、なんとなく道真に似ているが、
スケールが2倍以上になっている。
体長は2m30cmはあろうか、異様に生々しく盛り上がった
肉体は、ネアンデルタール人を思わせる。
あちこちに、肉体を継ぎ合わせた不自然な継ぎ目が残っていた。

「どうだ、最上級の体だろう。これだけの死体を
見つけるのは、たやすいことじゃない」
戦慄と吐き気を催すような不快感とともに、
歓喜の震えが道真を包んだ。
強そうな体だ… これなら、時平を地獄に落とすことができる…
と、片隅に… もう1匹、何かがいる。

「馬… いや、鹿?」
その生物は確かに馬だが、尻にもう1つの首がついていた。
眠っているような、しなびたミイラのような人間の首だが、
額から鹿の角が1本生えている。
「鳴神だよ。なかなかいい力をもっていたので、
殺さずに私の僕にしようと思ってな」

鳴神上人といえば、あの時… 道真が、天竺の一角仙人の話を
ヒントに、旱魃の術を破る作戦を献策したのではなかったか。
鳴神の額から生えた角が、まさしくその一角仙人の
ものと知ったら、あまりの運命の不思議さに、
開いた口がふさがらなかったろう。

「ふぉんとはね、あの体、にゃるがみさんに
使おうと思っちょっちゃのよ」
顔面イボだらけの、不気味なギドラ道士も現れた。
「やむをえん、菅大臣を助けるほうが先だしな。
鳴神にはもう少し眠っていてもらおう」

さっそく、怨霊遷化の最終段階に入る。
3人の僧の脳内の、道真データに(未)フラグを立て、横たわる
死体合成ボディの脳と、糸で結んでLANを構築。
その後、3人が薬を飲んで眠りにつくと、道真データは、
新しい空っぽの脳に吸い上げられていく。

処理が終わると、脳を酷使した3人の僧は、
ボロ人形のようになって息絶えた。
猿丸が、拉致してきた老人(大穴持神社の神職)の頬に、
魔風のコブを移植する。
老人は、不気味な動きで、自分の顔や体をなでまわしていたが、
「やれやれ、うまくいった… あとは魂が固定するまで、
七・八年、寝かせておく」
「ごの若い2人のがりゃだは、合成しゅて、
にゃどぅがみさんに使いばひょう」

「お願いします! 俺にも新しい体を…」
乞食に付きそわれ、天国が入ってきた。
「やらなければならないことが、あるんです! 
しかし、この短い一生ではとても…
どうか、俺にも不死身の体をください!」

「ああ、君か」
今が初対面にも関わらず、魔風は天国が
何者なのか、知っているふうだった。
乞食は、天国の肩をたたいて、
「あわてるな。この術はな… 死の直前になって、
やるべきことに気がついた負け犬のための、
間に合わせの救済の策。最後の手段てやつよ」

「魔神さま… では、他に…」
「お前の時の砂は、まだじゅうぶんある。
この山でみっちり修行して、お前だけの術を身につけろ。
時を超え、死を超え、この世と根の国を
自在に行き来する術をな」
乞食は、牙をむいてニヤリと笑った。


延喜3年(西暦903年)、大和の国・唐笠山において… 
日本の逢魔ヶ時(おうまがどき)は始まった。